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■ エーシーオー沖縄『豚の報い』演出の戯言
演出の戯言「キレイはキタナイ? キタナイはキレイ?」
かのシェイクスピアは400年以上前に、四大悲劇の一つ『マクベス』において有名な「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」という名台詞を書いた。善悪の曖昧さや、人間の本質を鋭く突き、物事の表面的な価値に囚われず、真の意味や価値を見極める姿勢の重要性を説いたと言われている。 日本の戦後も80年になるが、世界の情勢も日本の現状も間違いを正すどころか、逆の道をたどっている。「豚の報い」は1995年に又吉栄喜さんによって書かれた。1995年と言えば、戦後50年で、日本の現在に至るターニングポイントといえる出来事の多くあった年だ。現在に照らしてみると、男女観も様々な価値観も表向きは30年ひと昔に見える部分も多いだろう。でも一皮剥いた人間の本質はどうか。表だけに見えているものだけではなく、その人間という動物そのものがどういうものであるのか、改めて見直すべき時に今はあるのだと思う。お金や賞賛、表面的な成功で自分を測るのではなく、何で自分を測るのか。人が紡いできた営みの多くに本当は蓄積された知があるはずなのだ。変化は大事だ。進歩も大事だ。だが、その変化や進歩が、何を目指したものの元にあるものなのか、見失わずに生きたいものだ。 やりたいこと、夢がないこと、やらなければいけないこと、現在の自分、過去の自分、コンプレックス、ルーツ…。そういうこと一つ一つに主人公である正吉は、逞しき魅力的な女性たち、そして豚に誘われながら出会っていく。承認欲求が満たされない愛すべき登場人物たちが、生理的欲求に翻弄されながら土地に抱かれたどり着く場所は― 人間の汚い部分綺麗な部分チャンプルーな舞台。土地とのつながり、先祖とのつながり、その距離感はウチナーならでは。確実に、振り返れば僕らに続いている道がある。 狭いところで恐縮ですが、最後までどうぞごゆっくりお楽しみください。そしてあれからの30年を、80年を振り返り、これからを考える時間となってもらえたら嬉しいです。 キレイはキタナイ、キタナイは、キレイ…
藤井ごう
2025年03月30日(日)
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