|
|
■■■
■■
■ 『さくらみたいな恋のこと』当パン戯言。
演出の戯言 「雰囲気を捨てよ、こんな感じから脱しよう」
決まりきった動きの中で、 決まった感情っぽいものを込めて、 音程も何も固定化された台詞を喋る。
演劇ってそうじゃない、 演じるってそうじゃない、 俳優の仕事ってそうじゃない。
誰かの指示で、それでいいよ、と言われて安心することじゃない。どんなに小さくても、自分が表現主として、人間を(いやそれは動物のことも、地球外生命体を演じる場合もあるかもしれんが)創ることだ。人の営みを、どうしようもないかもしれないやり取りを、ちゃんとその場に生むことだ。 その人物が本当に舞台の上で、画面の中で、何を感じたか、心を身体を目一杯開いて体現することだ。 「相手」がくれる「ヒント」と「発見」に耳を目を傾け、心を動かすことだ。本当の身体の真ん中を隠したまま人を感動させることなどできない。
でも、 ここはこうでこうだからこう動いて、 そうするとああなるから、こうして云々、
と作られてしまうことがいかに多いか。 そして、それが無限に広がる表現の、自分たち自身の可能性をどれだけ閉ざしてしまっていることか。 所詮人を気持ち良くさせるウソを創るのだから、 ホントウの瞬間をどれだけ多く積み上げられるのかにかかっているのだ。
『さくらみたいな恋のこと』 社会の常識とか、女性はこうあるべきとか、そうゆうものを何とかしたいと思っている女たちの闘いは、とっても悲劇めいて、でも極めて喜劇だ。
大きく深く準備して、仕上げはシンプルに研ぎ澄ます。大丈夫、君たちはもっとできるよ。
藤井ごう
2019年08月04日(日)
|
|
|