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■ 『島』2018年版チラシ掲載文。
『島と現在』から『現在の島』へ 藤井ごう 「わしらが白髪の爺さんになる頃には、この地球上も大分様子が変わっとるよの。それ迄一粒一粒、種を大事に蒔いて生きるんよの。―その時は、人類に貢献した言うんで」 被爆者である栗原学の劇中(1951年)の台詞ー 青年劇場での初演時(2010年)、 楽観できる事など実は何もなかった訳だが、それでもあの時はまだ3.11も起こっておらず、まだ一応神話は神話の体をギリギリ保っていて、世の風潮もここまでセンソウがカクジツに迫っている況ではなかった。 初演から『島』は8年目の旅へと出る。 元米大統領のレキシ的訪問を経ても、核なき世界への流れは新大統領の下で追求されることはなく、唯一のセンソウ被爆国はカクゴをするどころか、とうの昔からその事にイロンを唱えていたとゆう体たらくー 僕ら舞台の作り手は、非力であることを思い知らされる日常が続いている。 学、そして作者堀田氏の思いとも確実に異なる『現在』がある。 その事をどう考えようかー 2010年にこの作品が産声を上げた時とは違う意味が生まれ、受け取られ方も大きく変わり多くの出逢いの場を得てきた。それは喜ぶべきことなのだが、この作品が求められる世になってしまったとも言えるのだ。 でもだからこそ、わかりやすい言葉、わかりやすい敵、大きい声、外国ではこうである的な常識に囚われることなく、こうやって生きてきた人物たちの思いを苦しみを喜びを、現在の都合で 「なかったこと」になどしないように、何度でもコトバに耳をすませ、ココロに寄り添う。 想像力が経験を栄養とするならば、学らの経験と選択は、今正に必要とされる想像力の基礎となるはずである。 舞台上にいつも通り人物たちを現出させようー 人間の未来の為に あなた自身の為に 作者の願いと共に、『生』という事の意味が大きく僕らに迫っている。
2018年11月27日(火)
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