再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 樹木希林について、10数年前に書いていたのだ。

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■ キキキリン

誰と話したのかはとんと、忘れてしまったが、極めて最近のことだったような気もするし、もうちょっと前だったような気もする。つまるところ、もうそれは殆ど忘れてしまっていたと言って過言ではないわけで、こうして書いているうちに、なんのことを書こうとしていたのかすら、忘れてしまいそうなのである。言葉遣いがとてもえらそうなのが、やや気になるところでもあるが、気になるところと言えば、その「とんと」って一体何なんだ、とんととんととんととんと…

ココのところ、樹木希林さんがかなりマイブームである。
直接面識もないが、とても敬略称できないぐらいである。
別にここ最近好きになったのではなく、昔からではあるのだが、スゴ録(HD‐DVD)のおまかせ番組表に「樹木希林」とキーワードを入れているくらいなのだ。この場合、さんをつけると、検索にひっかからなくなるので、あえて敬略称。

「大希林」←某公共、最近みんなこぞってお金を払わない放送の…
これ、いいんです、もう随分長い事やっちょりますが。上記の通りの番組名だから、あえてくだらない駄洒落であることはおいておいて、10分番組。硬い感じで造れば、教養番組なのだろうが、「とんと」のように、意味は明確にわからないが使っている言葉。また、使い方の間違っている言葉。旧き日本の言葉。それを二人(家主ミロクさん=樹木希林ともう一人ね)の軽いかけあいの中で、広辞苑、ならぬ大希林で調べて、あ〜でもない、こ〜でもないと…、という書けば書くほど教養番組だな。全然面白そうじゃない…
そう、そうなんですよ、これが危機期林、あ、っ。…樹木希林さんでない場合、きっと面白くないんですよ。

で、わたしは誰と話したのかは忘れてしまったが。
その誰かと、お金をたっぷり使ってよくて、好きな俳優さんを使ってよくって、集客もそんなに考えなくてよくって、そんな条件で、どういうモノをつくるか。そんな何も得るもののない不毛な会話をしていた時のわたしの答え。

装置は蜷川とかの比じゃなく、綿密に造りこまれた構成舞台にする。
設定はどうだかしらんが、例えば古城でも、別荘でも、ログハウスでも、大劇場に六畳一間でも、貧乏長屋でも、都庁でも、なんでもいい。兎に角具体的である必要大。それを幕間毎に大転換する。
照明はその、場にそぐった地明かりだけ。
音は、そこから想像できるだけの自然音のみ。

出演は、そりゃあもう、樹木希林。一人。他に誰もいらない。
演出。そんなものもいらない。
せりふ。なし。

全三幕。(一幕二十五分×3)
一幕。
ト書き、明転すると、その部屋のどこかに、樹木希林が座っている。
→まだ、座っている。→兎に角座っている。→ずっと座っている。
そして樹木希林そのまま座り続ける。暗転。(二十五分)

休憩(転換)

二幕。
ト書き、明転すると、その部屋のどこかで、樹木希林が立っている。
→まだ、立っている。→兎に角立っている。→ずっと立っている。
そして樹木希林そのまま立ち続ける。暗転。(二十五分)

休憩(転換)

三幕。
ト書き、明転すると、その部屋のどこかで、樹木希林が眠っている、
→まだ、眠っている。→兎に角眠っている。→ずっと眠っている。
そして樹木希林そのまま眠り続ける。暗転。(二十五分)幕。

これほどどきどきする舞台はない! とわたしは高らかに宣言する。誰宛だかしらないけど。…さっぱりわからないと思った方、これを同じ時間で、ちゃんと想像してみてくだされ、場所はどこでも思ったところで。
だって、そこに樹木希林がいるのである。そして、なにもしないのである。
だが、それを見る場合、こっちは何かしらの想像をするわけで、なにもしないとしても、きっとなにかしていると思うのである。だけど、なにもしないのだ。そして、なにもしない故の爆発的な存在感に圧倒される。たまには鼻がかゆくて鼻を掻くかもしれないが、そうなったらなったで、ただ「鼻を掻く」という動作が百倍にも千倍にも意味を持ってくるだろうし、一緒になって鼻を掻いてしまうかもしれない。たまらない。
そして希林は立つのである。そして立ち上がったのだから、遂にそこから歩き始めるのかと思ったころ、挙句希林は眠るのである。
普通の役者がやったら、成立しないのはもう言わずもでしょ。「なんだよ立ってるだけかよ」やら「座ってるだけかよ」やら「ほんとに寝てるよ!」やら「装置が立派でした」やら言われそうなものである、そこに爆発的な存在感がない場合は。あ〜観て見たい。

このところ、どの現場にいっても存在感というものについて考える。
そしてその場にいるということの難しさを思う。
昨日いれても、今日はいれないかもしれないのである。
特に「なんかしなくちゃ」と思わないこと、そんな気がして、「なにもしない」ってのは非常に困難だが。
ま、だからって世の中総樹木希林だったら、それはそれで問題な気もするが…

誰かやってみてください。
わたしはお金があっても、やりません。
…やんないのかよ!




2005年03月24日(木)

12年前の足利演劇大学の頃を改めて見直していたら、
2005年に発見。(『キネマの神様』パンフレットにも、この方のコトバを引用させてもらったのだけれど)
…13年経っても、
何もかも一緒だよ、今も。
舞台上にいかに存在し、観客に想像してもらう。
ここにあった基礎(笑)

2018年11月06日(火)
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