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■ いろいろ。
図式で動かすことと、声の具合で表現だと思われること。 それは、もう既に学芸会の域でしかなく、その先って本当に難しい。 たとえそれが、素人レベルの如何にもこうにもならない演者たちであってもだ。 想像力とその先に広がってくる世界があることへの否定でしかない、と思ってしまったりする。 (基本の立ち方がこうであるを聞きかじりでミミックしてみたところで、何故かそれが必要か、説明できなければただの型でしかないし) 創造性を養うって一筋縄ではいかない。 だからこそ、できない人の文句を言ってるだけでは無意味な時間にしかならないし。 精神論みたいなもので括って縛ったって、縛る人がいなくなれば、何もできない人に早変わりしてしまうし。 個人で考える能力こそ必要とされるのではないか。(ずっと言ってる) でもそうするには、「具体的に考える」ことを癖付けするための、漠然とした提供と、少しづつのヒントだしみたいなものが必要(想像することを楽しませる)なのかもしれないし、物凄い忍耐力が必要とされるかもしれない。 とはいえ、そこだけを待って具体を言わないってのも難しい。 でも、全てを決めて、これが世界だと言えるのはもっと恐ろしい。 もう、結局、都度コツとか概要とか可能性みたいなものを現場、題材によって懇切丁寧に説明するしかないのだ。 だから演出家みたいなモノ好きしかならない立場はそこをちゃんとわきまえて、世界を謙虚に構築するしかない。
6月と7月の若い人ら(方や若くないかもう)とのモノづくりで殊更に思った事。 別のクラスや学校の発表会、また違う教えの現場なんかで思うこと。 だからこそ、講師は現役でなければいかんのだな… 逡巡の夏。
「父と暮せば」朗読劇の再演稽古を重ねながらおもうこと。 そして、人を動かすとゆうこと。 人を表現するとゆうこと。 人の心を動かすとゆうこと。
再演だから前回と同じ事❎ 目新しいこと❎ 新鮮に忠実に、関係を掘り込んで◎ 9日から無何有で。
2014年08月04日(月)
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