スカーレットの心のつぶやき
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2010年10月30日(土) 悲しくないわけ

私が泣かないわけが分かった。

自分でも本当に不思議だったが

そうだ!と思えることが分かった。

それは、母の姿が遺骨となったけど

私が見える場所、いつも傍にいるからだ。

祭壇をまつっている部屋は

母の家のリビングだ。

そして、母が最期に電動ベッドを置いていた場所だ。

毎朝、御霊具繕をかえ、お茶とお水をかえ

お花の水を取り換え、手を合わせている祭壇が

私の傍にあるからだと分かった。

母の最期の二日ほどは、会話が出来なかった。

それでも、私は母に話しかけた。

母は時々、首を動かし、声にもならないう〜んという声を発した。

私が母に話しかけたことはきっと分かったはずだ。

だから、今、母の遺骨に向かって話しかけているのも

母がベッドで寝ている時に話しかけたのと同じなのだ。

返事は返ってこない。

声も聞けない。

首を動かすこともない。

でも、私には母が居るという実感がある。

だから、何をする時でも

「母ちゃん」と呼びかけ、話しかけている。

お風呂に入る時もご飯を食べる時も

買い物に行く時も

二階へ洗濯ものを干しに行く時も・・

いつでも「母ちゃん」と声掛けしている。

昨日も声なき声で返事が聞こえた。

だから、私は寂しくない。

悲しくない。

泣かないのだ。

四十九日の法要を来月23日にすることになっている。

納骨もする。

母の遺骨がお墓に納められたら

私の見えるところに母が居なくなった気がして

急に悲しくなり寂しくなり泣くのではないかと思う。

いつまでもこのまま母の遺骨を部屋に置いておきたい。

せめて一周忌までそうしたい。

お寺さんに尋ねてみようか。

母の遺骨の傍で生活したい。

そうでないと、私は崩れそうだ。

生きていけそうもない。

母の残した言葉を守ろうと思うけれど

それができないかもしれない。

そんな気がする。


スカーレット