スカーレットの心のつぶやき
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2005年09月30日(金) 不信感と怒り

二度も裏切られると不信感を抱くようになっても仕方ないと思う。

昨日は私の再手術のことを決めようと

大学病院を受診した。

8月の手術が医者のミスによって

違う箇所を手術されたことは明らかだ。

医者の立場としては

認めたくない気持ちも分からないわけではない。

しかし、

「ちゃんとしたつもりだった」とか

「場所が少しずれた」とかいう言葉は

いい訳に過ぎないと思う。

私の今回の手術が

命に関わる場所ではなかったし

そのことが普段の生活に支障をきたすことではないから

気にしなければそれで済むと思っているのだろうか。

たとえそれがどんな小さなものであれ

医者は患者の病気なり怪我なりを

治すのが本当だと思う。

それが昨日行って

医者の前に座った途端に

「予定していた再手術は止めました」と言ったのである。

「え〜!」

「何?」と思った。

8月の手術のミスさえ認めない医者が

今度は再手術をしても治ると言う確信が持てないから

中止するというではないか!

これって医者としての責任放棄ではないかと思った。

「薬を処方するのでしばらく様子をみてください。」

じゃあ、あの痛い思いと恥ずかしい思いをした

先月の手術は一体何だったの?

あの手術が正しく行われていれば

今頃は私の傷も癒え、

快適な生活を送れていたはずである。

この一ヶ月余り、

どうなるのか?

大丈夫なのか?

父の入院のことに加えて

私の肉体的、また精神的な疲労や苦痛は限界に近づいていた。

父がやっと退院し、

これで私自身のことを考えることが出来ると思っていた。

来月の末にはきちんと治っていると思っていた。

それなのに・・・・

医者というものに不信感を抱いてしまった。

先日TVで見た

「世界のスーパードクター」と云う番組では

脳外科の医者は

脳を切らずに小さな穴をあけて

そこからカメラで覗きながら

脳に出来た腫瘍を全て取り除いていた。

成功率は99パーセント以上だと言っていた。

また心臓外科の医者は

人工心肺を使わずに心臓のバイパス手術を行っていた。

患者は手術中も意識があり

回復も異例の早さだった。

こういった医者の技術は素晴らしいものだ。

本当に「神の手」と言われる技術を持っている。

私のミスに終わった手術は

医者がその箇所を肉眼で見ることが出来たし、

私自身が傷ついている場所をちゃんと話し示していた。

そして時間的にも技術的にも

簡単な手術だったと思っている。

それなのに傷ついている場所を見つけることが出来ず、

結果として再手術も出来ないことになった。

情けなさと悲しみと怒りが

私の心の中に湧いてきている。

中村天風先生の言葉に従えば

「たとえ肉体は病気や不自由であっても

心を元気に積極的に持ち

前向きに明るく生きることが出来る」

確かに頭では分かる。

理屈はその通りだと思う。

しかし、私はそんなに強い人間ではない。

今の私の心は最悪状態だ。

もし、医者が自分のミスを認め

謝罪の気持ちや言葉を示していれば

私だって今のような気持にはなっていないと思う。

医者も神様ではない。

手術も100%成功するとは限らない。

これは分かっている。

ならば、

「私には技術的に難しいので優秀な医者を紹介します」の言葉があっても

おかしくはないと思う。

処方した薬を使って様子をみて

来月の6日に再受診の予定だ。

今回の再手術を中止すると決めたのは

医者本人だけではなく

上の医者とも相談したというなら

教授と話をしたいと思う。

そしてきちんとした説明を受け、

その上で私の傷を治すことの出来る医者を

日本中の大学病院から探して紹介してもらおうと思っている。

そうでもしなければ

私の今の医者に対する不信感と

怒りや悲しみは治まりそうも無い。


スカーレット