スカーレットの心のつぶやき
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人と何かが違うこと、
そのことを駄目だと否定すること、
これは差別だ。
何かが違っていることを受け入れた上で、
違うと認識することは区別だと思う。
人権問題を取り上げるとき、
必ず差別をなくそうと言う。
差別をしてはいけないと言われる。
差別を受けたものは、
まるで自分自身の存在そのものを否定されたような気になる。
でも、差別をしたほうは別になんとも思ってないことが多い。
私は先天性の心臓疾患を持って育った。
でも、私の周りには私を差別する人は居なかった。
いじめられたこともない。
もしかしたら、
心の中で私のことを白い目で見ていた人は居るかもしれないが、
面と向かって私に言った人は居なかった。
だから、私は自分自身をかわいそうだと思ったことはなかった。
かわいそうだなんて思うこと自体おかしいと思った。
人は色々だ。
顔も姿形も同じ人は居ない。
双子であっても、個性はあり全く違う存在だ。
そして、障害を持っている人も居ない人も、
そのことで偏見を持たれることはないと信じていた。
こんな私が一番初めてショックを感じたのは、
卒業して就職をしようと思った時のことだった。
当時は今と違って、
身障者雇用制度がしっかりとしてなかったのだろうか。
雇用法はあったとしても
それはあまり意味を持っていなかったのだと思う。
難関な筆記職試験も合格し、
家庭調査も済み、
後は内定を待つばかりだったとき、身体検査が行われた。
そして心電図とレントゲン検査で
私の心臓の病が判明した途端、
その就職は不採用になった。
生まれて初めての挫折感を味わった。
海へ行き、砂浜に打ち寄せる波を見ながら一人で泣いたのを覚えている。
本当に悲しかった。
私は心臓が悪い。
このことは事実だ。
でも、これは人と違っているというだけであり、
私の人生の中で障害になるものではないと思っていた。
だから、社会の中で受け入れられなかったことが辛かった。
足の不自由な人、目に障害を持っている人も皆、
立派に働くことができる。
現に耳も聞こえず、目も見えない人が東大の教授として皆に教えている。
人と違っていることで差別するのはいけない。
人権とは、人が皆幸せになれるためのものだ。
どんな人にも幸せになる権利が存在している。
区別と差別の違いしっかりと理解してほしいと思う。
スカーレット
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