スカーレットの心のつぶやき
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2004年10月25日(月) 差別と区別

人と何かが違うこと、

そのことを駄目だと否定すること、

これは差別だ。

何かが違っていることを受け入れた上で、

違うと認識することは区別だと思う。

人権問題を取り上げるとき、

必ず差別をなくそうと言う。

差別をしてはいけないと言われる。

差別を受けたものは、

まるで自分自身の存在そのものを否定されたような気になる。

でも、差別をしたほうは別になんとも思ってないことが多い。

私は先天性の心臓疾患を持って育った。

でも、私の周りには私を差別する人は居なかった。

いじめられたこともない。

もしかしたら、

心の中で私のことを白い目で見ていた人は居るかもしれないが、

面と向かって私に言った人は居なかった。

だから、私は自分自身をかわいそうだと思ったことはなかった。

かわいそうだなんて思うこと自体おかしいと思った。

人は色々だ。

顔も姿形も同じ人は居ない。

双子であっても、個性はあり全く違う存在だ。

そして、障害を持っている人も居ない人も、

そのことで偏見を持たれることはないと信じていた。

こんな私が一番初めてショックを感じたのは、

卒業して就職をしようと思った時のことだった。

当時は今と違って、

身障者雇用制度がしっかりとしてなかったのだろうか。

雇用法はあったとしても

それはあまり意味を持っていなかったのだと思う。

難関な筆記職試験も合格し、

家庭調査も済み、

後は内定を待つばかりだったとき、身体検査が行われた。

そして心電図とレントゲン検査で

私の心臓の病が判明した途端、

その就職は不採用になった。

生まれて初めての挫折感を味わった。

海へ行き、砂浜に打ち寄せる波を見ながら一人で泣いたのを覚えている。

本当に悲しかった。

私は心臓が悪い。

このことは事実だ。

でも、これは人と違っているというだけであり、

私の人生の中で障害になるものではないと思っていた。

だから、社会の中で受け入れられなかったことが辛かった。

足の不自由な人、目に障害を持っている人も皆、

立派に働くことができる。

現に耳も聞こえず、目も見えない人が東大の教授として皆に教えている。

人と違っていることで差別するのはいけない。

人権とは、人が皆幸せになれるためのものだ。

どんな人にも幸せになる権利が存在している。

区別と差別の違いしっかりと理解してほしいと思う。


スカーレット