スカーレットの心のつぶやき
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今年も残り3日になった。
町はお正月を迎える準備で賑わっている。
私は今まではお正月旅行に家族で出かけていたから準備はしたことがない。
また今年は母も高齢になり旅行はやめたのだけれど、 私達3人一緒に実家に帰ることになっているので、今年も準備は何もしていない。
いつかは母も居なくなり、淋しいお正月を迎えることになると思う。
でも、それまでは甘えさせてもらうことにした。
こうしてお正月を迎える準備に忙しく、これが当たり前だと思っていたけれど、昨日の夜のTVの報道特集で餓死者のことを言っていたのを見た。
正直ショックだった。
今のこの何でもある時代に食べるものがなくて餓死する人が居ることが信じられなかった。
レトロな時代の昭和30年代でさえ、物はなかったけれど、食べるものに不自由な経験をしていない。
世の中は不公平だ。
あるところには有り余るほどのお金があるだろう。
そして贅沢の限りをしている人たちも居るはずだ。
私は小さいころから決して裕福ではなかった。
父は警官だったからつましい暮らしをしてきた。
でも、学校の給食費を払うことができなかったこともなく、母は私に貧乏さを味わわせはしなかった。
住む家は小さくてもあった。
着るものも贅沢はしなかったけれど、そして姉のお古を着せられたけれど寒い思いはしなかった。
食べることもひもじさを味わったことはなかった。
だから、今の何でもある時代に餓死する人が居るということがとても悲しくてたまらない。
私がヴァイオリンを始めようとしていることさえ、何故かとても贅沢なことに思えてきた。
娘と一緒にみていたのだけれど、いつもなら不満ばかり言う娘が何も言わずじっと見ていた。
娘の心の中にどんな思いが宿ったのかは分からないけれど、 きっと自分の周りに満ち溢れているものに対して何かは感じてくれたに違いない。
餓死した男性は私と同じ52歳だった。
市役所へ生活保護の申請に行っても、まだ働ける年齢だからと言って断られた。
足が不自由だったらしい。
数年前までは会社に勤めていたけれどリストラにあったらしい。
一人で生活していた。
数ヶ月前からは水道も、ガスも電気も止められ、飲み水は近くの湧き水を汲みに行って飲んでいたらしい。
なんと悲しいことだろう。
どんな気持ちで死んで行ったのだろう。
もう駄目だと思った時の気持はどんなだっただろう?
こんな悲しいことがあっても良いのだろうか?
年末助けあいの募金は何所へ行っているのだろう?
一人の人間として生きていく権利はある。
社会の現状の変化によって自分が生きていく環境も変わり、適応できないものは排他されて良いのだろうか?
今の社会のこの不況が少しでも好況になり、仕事に就きたい人には仕事があるようになって欲しい。
私は今、自分のことを考えるととても悲しい気持ちになっている。
スカーレット
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