スカーレットの心のつぶやき
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昨日の胃の痛みから一夜明けた。
昨夜は熱も出だして本当にしんどかった。
「胃潰瘍の胃穿孔」と心配してくれた友も居たけれど もしそれなら、もっともっと痛むだろうし、 吐血もするかもしれないから、 私の場合はそうではなかったと思う。
今朝は痛みは少なくなってはいるものの、やはりじわじわと 痛みの満ち引きが始まった。
昨夜は9時頃から休んだけれど、痛みがあって なかなか寝付かれず、結局眠りについたのは 12時になっていた。
痛みは人を変える。
勇気がなくなった。
元気もなくなった。
もうどうでも良いと言う気持が現れた。
誰かを恨みたい気持が出てきた。
もし、こんなときに愛する人が側にいてくれて 看病してくれたら、同じ痛みもその感じ方が 変わっていたのではないかと思う。
同じ屋根の下に住みながら、まるで他人ごとのように 私のことに無関心な家族。
こんな家族なら要らないと本気で思う。
昨夜帰宅した夫は、私を見ても一切何も言わなかった。
普通言うよね?!
「痛みはどう?無理をするなよ。」と言う言葉くらい 言ってくれてもばちは当たらないと思うのだけれど・・・
私がちょっと横になって休んでいると 娘は「お母さん寝よん?良いなあ・・」。
まあ私のことに無関心でいる夫よりは 娘の方が少しはましかな?
私が心臓が悪くて無理を出来ない体だと知っているはずなのに いつも、寝込まないで家事も育児もしていたから 夫は私のことを健康体だと思っているのだろうか?
そりゃないよ!
私は、毎日一生懸命にやってるんだ。
無理を分っていてやっているのに・・
それが17年間一緒に暮らしていて分らないの?!
本当に私が今この家に居る価値って何?
唯の女中さん?
夫は外で働いて稼いできてくれる。
確かに明日食べる物が無い、娘の学校で要るものが買えないと 言う経験はしていない。
これは本当にありがたいと思っているし、給料をもらう時には 「有難う」という言葉を言っている。
それなら、私だって夫や娘のために家事をしているではないの?
日曜祝祭日は全く無い、年中無休の家事をこなしているのだ。
家族の食事、健康、お金の管理、掃除、教育、付き合い等々・・・・
私一人でやっていると言っても決して過言ではない。
私がするのが当たり前になっているから、私の存在価値なんて 分らないのだろう。
私が寝込んで、入院でもすれば少しは分るかな?
主婦は病気ひとつ安心してできないのかと思うと 本当に情けない。
元気な時は、少々のことには我慢できるし実際している。
ここまで文句が言いたくてもぐっと我慢して飲み込んでいる。
娘のことでも、心の中では本当に腹が立っていても 私が何か一つ言うとそれに対する反抗が凄いのを 分っているから、私は我慢している。
前に我慢と辛抱は違うっていうことを書いたけれど、 我慢はホントいつかはその糸が切れて 爆発するものなのだと実感している。
「言うまい、言うまい」と思いながら 毎日を過ごしているのだけれど、 私がこうして痛みと戦っている時ぐらい 少しはやさしい言葉一つ言ってくれても良いじゃあないのと 言いたい。
昨日よりは痛みは和らいでいるけれど 心の痛みは昨日よりはひどくなっている気がする。
体の痛みと心の痛みはどっちが人間にとっては 苦しいものなのだろう?
肉体的な痛みは、その傷が治れば次第に痛まなくなる。
でも、
でも、
でも・・・・
心の痛みはそうはいかない。
心に大きな傷を負ったら、その人の一生をかけても 癒されずに、苦しみ続けるのではないか?
今こうして書いている時にも痛みは波のように打ち寄せてきた。
しばし休止。
息を詰めてじっとして、その波の引くのを待っている。
痛みが弾くと不思議にも、何でもできるのになんて思える。
本当は今日は人と約束事をしていた。
でも、この状態では約束を果たせないのでキャンセルしてもらった。
本当に悪いとは思うけれど、仕方ない、謝って済むなら 延期にしてほしいと言った。
機嫌が悪くなっていたかなとも思うけれど、今日の私には無理だ。
こういう体調の悪さは一年に数回訪れる。
3ヶ月に一回くらい、休まないといけない状態になるのは 何でだろう?
神様が私を無理させないために病気を作って 休ませようとしているのかな?
もしそうなら、それをありがたいことだと思わないと いけないのだろう。
体の痛みも心の痛みも、きっと神様が私に与える 休息の必要性と、自分の心を見直す機会なのかもしれない。
明日には良くなっていると思うのだけれど・・・
スカーレット
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