| 2015年10月01日(木) |
西牟田靖『本で床は抜けるのか』★★☆☆☆ |
 西牟田靖『本で床は抜けるのか』
実際に本で床は抜けるのか? 各地の蔵書もちを訪ね、実際どうなのか、確認してきたレポ。 著者自身の顛末も描かれていて、本に限らずモノを多く持つことの意味を考えさせられます。
「仮にあと4,5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体が気持ちよくいた方がいいし、気持ちよく生きたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされるようにして、せせこましい空間にいる意味がない。」(p66)
「物体としての本の存在感は読者に読む醍醐味を与える。本を手に持ち、ページをめくりながら、目を通していくからこそ読書という体験は豊かになる。だが、その物体性故に、床が抜けそうになったり、居住空間が圧迫されたりもする。さらに、部屋に閉じ込められたり、果ては凶器となり怪我をしたりとあらゆる厄介事を抱え込んでしまうのだ。」(p80)
「亡くなった夫の蔵書とはお祖母さんにとって、漁師が時化に見つけた灯台の光のような存在なのだろう。」(p105)
妻子が出て行った後。 「ところが、数時間後に彼が帰ると途端に寂しさが募り、呆然とした。こうなったのは妻の気持ちを顧みず、本をためまくった自分勝手さのせいだ。僕は自分を責め、家に残っていた酒を手当たり次第に、昼も夜も飲んで過ごした。」(p238)
西牟田靖『本で床は抜けるのか』
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