活字中毒のワタシの日記

2015年05月09日(土) 脇明子『読む力は生きる力』★★★★★


脇明子『読む力は生きる力

すべての教員、そして親になる人は読むべきでは、と思った本。
とても読みやすく、とてもわかりやすく、読む力は生きる力を育んでくれることを教えてくれます。

「考えてみれば、文化の伝承というのは、なにも義務感にかられて肩肘張ってやることではなく、いいものをもらった喜びをおすそわけしたくなるような、そんな小さな思いの集積にほかならないのかもしれません。」(p14)

「ほんとうにすばらしい本は、読む人を自分だけの世界にとじこもらせるのではなく、書き手と読み手とを人間的な共感でつなぎ、何か大切なものを受け取ったことによって開かれた新しい目で、まわりの世界を見直すように促します。」(p14-15)。

「人間の生存に不可欠なのは衣食住ですが、人間というのは、それだけでは生きていけない生きものです。衣食住に加えて何が必要かというと、それは自尊心です。(略)私がここで言う自尊心とは、「自分には生きていくだけの価値がある」と思うこと、極端に言えば、「この世界のなかでいくらかの場所を占領し、食べものを食べ、水を飲み、空気を吸って生きていてもかまわないのだ」と思うことです。」(p16)

「身のまわりの物事を楽しみ、生活にちょっと手間をかけて彩りを添えることは、人間にささやかな自尊心を与えてくれます。そうやって手に入れた自尊心は、ささやかではあってもゆらぎはせず、積もり積もってしっかりしたものに育っていきます。それがあれば、勝ち負けに悩むことも人を見下すこともなく、ゆったり構えていられますし、年を取ろうと、貧しくなろうと、逆境におちいろうと、自尊心をまるごと失ったりはせずにすみます。それが文化というもののありがたさで、大人はその楽しみ方を子どもに手渡していかねばなりません。読書の楽しみも、そのひとつなのです。」(p19-20)

「文字を読む」ことと「本を読む」こと(p75)

「つまり、かつての語り手たちは、『字を読む』ことができなくても、立派に読み書きができる日本の多くの若者たちよりも、よほど『物語を読む』力を持っていたわけです。」(p77)

「『本を読む』うえで肝心なのは、一文字一文字読むことではなく、言葉をもとに想像力を働かせ、内容を理解し、物語の展開についていくことです。」(p79)

「『自由な選択肢」が保障されていると言えるのは、じゅうぶんな選択肢と、個々の選択肢についての基本的な情報とが与えられている場合だけです。」(p85)

「昔話のメッセージはその場で理解する必要はなく、物語として純粋に楽しんだものを心のなかにためこんでおけば、いつかそのうち『ああ、このことだったんだ』とわかるときがやってきます。」(p96)

「私たちがしなくてはならないのは、そもそも子どもに本を読んでほしいのはなぜなのかを考えながら、ほんとうに子どもたちに読んでほしい本を見きわめ、本と子どもとの距離を埋める努力を重ねていくことではないでしょうか。」(p123)

「子どもにとっての読書は、知識や楽しみを得る手段であると同時に、読む力のトレーニングでもあるのであって、ほかの手段に置きかえるわけにはいきません。一部はいいとしても、全部をほかの手段にゆだねては、絶対にいけないのです。」(p134)

「本は、ほどよい歯ごたえがあってこそ、知らないうちに読む力を育ててくれます。『楽に読めるから』という理由で選ぶような本では、そもそも意味がないのです。」(p134)

「映像ではけっして代用できない読書の価値は何かというと、それは読まれる内容にあるのではなく、読むという精神活動そのものにあるということになります。
読むという精神活動に含まれていて、映像メディアでは置きかえのきかないことは何かというと、それはまず書き言葉レベルの言葉を使う力であり、次に想像力であり、第三に全体を見渡して論理的に考える力だと思います。」(p140)

「書き言葉レベルの言葉を身につけることが重要なのは、それがものを考える道具になるからでもあります。(略)でも、使える言葉の語彙が乏しく、複雑な構文になると混乱してしまうようだと、むずかしい問題を考えようとするとき、ひじょうに不便です。」(p142)

「想像力とはファンタスティックなことを思い描く能力ではなく、その場にないもののイメージを思い浮かべる能力だと説明しましたが、思い浮かべる対象は『もの』だけではなく、人間の感覚、感情、考えなども想像の対象になります。(略)これは言うまでもなく、生きていく上で大きな意味を持つ力です。コミニュケーションをとるとき、相手の目には物事がどう見えているかが推測できれば、ひじょうに役に立ちます。(略)ところが、基本的な想像力が身についていないと、それだけのことがなかなかむずかしいのです。」(p143)

「想像力は、他者とかかわっていくためにも、いろんな仕事をしていくためにも、ひじょうに役立つどころか、必要不可欠と言っていい力なのです。
読書は、この想像力を鍛えるのに、きわめて効果的な方法です。それは、想像力が働かなければ、そもそも物語を読み続けていくことができないからです。」(p144)

「自分が直面している問題の全体像を把握し、さまざまな可能性を考慮に入れて解決策を練るだとか、行動に移る前に段取りを考え、状況に応じて計画を変更していくとか、自分とはちがう立場から物事を見直してみるといった能力は、十歳前後で急速に発達すると言われています。これらの能力の基礎となるのは、自分の頭のなかで進行していることを一段上から観察し、制御するモニター力で、そういう力のことを『メタ認知能力』と呼びます。このメタ認知能力が育ってくると、子どもは急速に大人び、自分というものを強く意識しはじめます。それが思春期のはじまりです。メタ認知能力は自己コントロールにも大きなかかわりを持っていて、私たちが感情の爆発を抑えたり、衝動にかられて動こうとする自分をなだめたりできるのも、この力があってのことです。」(p152-153)

「アメリカの教育学者ハーリーなどは、電子メディアばかりと接してきた子どもたちのなかに、この年齢になってもメタ認知能力が育ってこず、衝動的で計画性がない、持続力がない、最初に見つかった答えに飛びつく、おなじまちがいを何度でもくりかえす、抽象概念がうまく扱えない、などの傾向を示す者が少なくないと述べています。また、アメリカの思想家であるバリー・サンダースは、その著書『本が死ぬところ暴力が生まれる』において、読み書きが満足にできなくなった若者たちは、自我の助けなしに人生を組み立てるしかなく、その結果『自省ではなく、復讐と報復を求める世界』を作り出し、『ゲームセンターをさまよい歩くように人生をさまよい歩き、自分自身にさえ接続できなくなっている』と述べています。」(p154)

「これは私の推測ですが、読書はメタ認知能力を育てる上で、大きな助けになっているのではないでしょうか。」(p154)

「メタ認知能力については、もうひとつ興味深い話があります。それは、十歳前後になってこの能力が開花するためには、それまでに『感情の脳』がしっかりと発達し、『考える脳』のための環境作りをする必要があるらしいということです。」(p157)

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