| 2012年01月26日(木) |
斎藤明美『高峰秀子の流儀』★★★★☆ |
 斎藤明美『高峰秀子の流儀』
メモ。
「高峰秀子の中に棲むのは、もう一人の自分。それも、極めて厳しく、冷たく、自己を見つめている、もう一人の自分なのだ。この恐るべき究極の客観性を、彼女は決して手放すことがない。」(p50)
「そんなものが何だって言うんですーーー。」(p58)
「さて、なぜ高峰さんが変わった老人かと言えば、それは『愚痴』と『昔話』と『説教』が全くないからです。」(p89)
「人は、その生きたように老いるのだ、と。」(p92)
「高峰秀子は、努力しない自分、手を抜く自分、いい加減な自分を、絶対に許さない。」(p120)
「ー今しなければいけないことを今しなかったことはないですか? 『ないね』」(p141)
「なぜ彼女は人を疲れさせないか。理由はただ一つ。高峰秀子は、自分を何ほどの者でもないと思っているからだ。」(p177)
「驚くべきことだが、松山家はいつなんどきでも、清潔、整頓、何一つ余分な物がない。あるべき物があるべき場所に置かれ、どこもかしこもきれいだ。」(p193)
「”細部に神は宿る”ではないが、一見些細に見える日々の営みを見事に完遂できてこそ、大きなことも成し得る。そのことを、高峰秀子という人は、黙って教えてくれる。」(p225)
斎藤明美『高峰秀子の流儀』
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