| 2009年11月29日(日) |
山田登世子『贅沢の条件』 |
 『贅沢の条件』 著者:山田登世子 出版社: 岩波書店
心に残ったところ。
シャネル。
「シンプルであること、着心地のよさ、清潔さなどが求められていた。わたしは知らぬ間にそのすべてを提供していたのね。」(p73)
「シャネルが創造したモード、それは『働く女』のための装いだったのだ、と。」(p73)
森茉莉の『贅沢貧乏』から。 「だいたい贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。容れものや着物や車より、中身の人間が贅沢でなくては駄目である。(・・・)高い指輪をはめている時、その指輪を後生大事に心の手の中で握りしめているようでは、贅沢な感じを人に与えることはできない。」(p97で紹介)
「ほんとうの贅沢な人間は贅沢ということを意識していないし、贅沢のできない人にそれを見せたいとも思わないのである。贋もの贅沢の奥さんが、着物を誇り、夫の何々社長を誇り、擦れ違う女を見下しているのも貧乏臭いが、もっと困るのは彼女たちの心の奥底に『贅沢』というものを悪いことだと、思っている精神が内在していることである。」(p98で紹介)
著者の言葉。
「要するに茉莉の言いたいのは、贅沢は悪であるどころか、堂々と朗らかに『楽しむ』ものであるということである。自分のやりたいこと、楽しいことを、嬉々としてやることーーそして人生でそれ以外のことはやりたくないという『こども』のような自己中心性。ほんものの『贅沢の精神』とはそれ以外の何ものでもない。」(p98)
嬉々として楽しむ心があれば、豪華な家でしゃちこばっている娘よりも、安くて新鮮な花を買ってきて活けて楽しむ少女の方がほんとうの意味での贅沢をしている、と。
「贅沢はシンプルなのである。」(p99)
私たちが失ったのは「はるけさ」。 ゆったりした時の流れを感じさせるものが持つ贅沢さを、今私たちは失い続けている。
そこから抜け出るためには、あわただしい時間から抜け出る時間を持つこと。
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