| 2009年11月07日(土) |
山本健治 『ホウキとヤルキ』★★★☆☆ |
 山本健治 『ホウキとヤルキ』
【内容情報】(「BOOK」データベースより) 「掃除なんて簡単だ。二つの『キ』さえあればできる。『ホウキ』と『ヤルキ』だ」こう私に言った男がいる。なるほど、そのとおりである。だが、「ホウキ」は金さえ出せば手にすることはできるが、「ヤルキ」は金を積んでも出てこないんだぞ。掃除とは、「整理・整頓・清掃・清潔・躾」=「5S」。なぜキミは「掃除」をしてるの?そんな考えで平気なの?宝の山にホウキで飛びこめ。
【目次】(「BOOK」データベースより) 本気でやる人は黙って今日から始める―プロローグ/第1章 「5S」を再確認する/第2章 掃除を嗤えば、事故に泣く/第3章 ホウキとヤルキ/第4章 求道の心も掃除から/第5章 掃除は経営の漢方薬/第6章 教育に火が灯る
心に残ったところ。
「『今日はいい話を聞かせてもらいました』と感想を述べにきた人で、『私も明日からやります』と言った人に実践した人はまずおられません。やる人は黙って今日から始められるものです」(p10)
明日から、はいつか、と同じ。
「何度も自分に言い聞かせているのだが、掃除は単に『場』や『モノ』をきれいにすることにとどまるものではなく、掃除する人の心を変え、組織を元気づけ、環境にも好ましい影響を与えるものである。」(p18)
「禅問答のようだが、すっきりきれいになると、”すっきりさ”(素切り、シンプル)と”きれいさ”(奇麗、ビューティー)がわかる。すっきりさときれいさがわかると、そこに近づこうと努力するようになる。」(p22)
掃除→実践→すっきり→きれい→そうじ→実践・・・とサイクルが回り始める。
掃除をすると必要不必要もわかるようになってくる。 使うと思って買ったはずなのに使わないで邪魔になってたモノたち。
「想像以上に不要なものやゴミが出てくるというのは、結局、いつのまにかお金も場所も時間もムダづかいをしているということである。」(p24)
「掃除とは、私たち自身がこんなふうにいつのまにか溜めたムダの整理である。」(p24)
ムダが出るのは心に垢がたまっているから。 それを落とすのが掃除。
「『清潔』は、抽象的な状態を表す言葉ではなく、自分でクリーンとビューティーにつての『目的・目標』を明確にし、それをめざして『工夫・努力』する具体的な活動のことである。」(p43)
それなりの清潔目標であれば、それなりの清潔度になる、ということ。
著者が病院の研修会で講演した内容から。 「なすべきことを標準化・仕組み化し、習慣化=自らに躾しておくことがポイントである」(p77) 「掃除は美化活動というだけではなく、問題を発見することであり、だから点検になり、アクションをとることによって予防になり、仕組み化することによって問題が生じない構造・体質にできる」(p77)
著者が腹立たしく思った、福知山線事故での、懲罰的特別教育の内容。
「掃除・草むしり・窓ふきは『罰』として行われるべきものではない。」(p97)
掃除、清掃を冒涜し、それらを仕事にしている人への侮辱であると。 この考え方が事故を起こさせた最大の原因であると。
「掃除は、決して雑用ではない 雑にやる者が雑用にする」(p100)
「掃除がきっちりやれるということは、(略)自分の目に入った問題はすぐに片づける行動習慣が身につき、どんなに困難なことでも臆することなく取り組む、確固たる精神が形成されていることを意味する。」(p104)
同時にやり続ける根気も持っている、と。
著者がPTAの役員をしていた時の話。 子どもたちに汚れたトイレの掃除をさせる提案をしたら、勉強の方が大事であり、たかが掃除くらい業者に委託すればいい、という反論をした親がいた。 彼の反論。 「整理・整頓とか、掃除とか、身のまわりの始末がしっかりでき、自分で時間管理ができるとか、生活習慣がきっちりできるということは、一人の人間として自立する大前提だから、いま少しくらい勉強ができるより、将来に大きな意味を持ってくる。整理・整頓・掃除がきっちりできる子は、生活の習慣がきっちりしている子は、必ず勉強もできる。たかが掃除、されど掃除である」(p195-196)
どこもかしこも、磨けば光る。 まず行動。
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