| 2006年07月22日(土) |
あさの あつこ『バッテリー』★★★☆☆ |
 『バッテリー』 あさの あつこ 角川書店 (2003/12)
こういう児童小説もありか、と思った。
内容(「BOOK」データベースより) 「そうだ、本気になれよ。本気で向かってこい。―関係ないこと全部捨てて、おれの球だけを見ろよ」中学入学を目前に控えた春休み、岡山県境の地方都市、新田に引っ越してきた原田巧。天才ピッチャーとしての才能に絶大な自信を持ち、それゆえ時に冷酷なまでに他者を切り捨てる巧の前に、同級生の永倉豪が現れ、彼とバッテリーを組むことを熱望する。巧に対し、豪はミットを構え本気の野球を申し出るが―。『これは本当に児童書なのか!?』ジャンルを越え、大人も子どもも夢中にさせたあの話題作が、ついに待望の文庫化。
読みながら、自分の胸に飛び込んでのは次の文章。
池の中に転落、水死しているかもしれない(そして死体はブルーギルに食われるのだ)病弱な弟を探し、不安に押しつぶされそうになりながら、よくやく見つけた矢先、草にからみとられて生臭い池に落ちた巧が豪に「ピンチに弱い」と指摘され、弟には信頼の言葉をかけられ、混乱し、吐き気と涙でどうにも動けなくなって感じた、
「心も身体もボールさえも思うようにならない。」(p228)
思うようにならないものなど何もない、そう思って生きてきた巧がおそらく初めて感じた無力感、絶望感。
あぁ、これがきっと「こども」から「おとな」になる瞬間じゃないのか、と感じた。
大人になるということは、 泣かなくなることでも、人に頼らないことでもない。 必要な時には、泣けること、誰かに頼れること。
それがこの本のテーマではないと思いつつ、私に一番響いたメッセージはこれだった。 こういったメッセージを、こんなに自然に、そしてわかりやすく伝えられる小説というのはいいなと思った。
そして読み終えて、一番心に残ったのは、著者のあとがき。
「それでも、この一冊を書き上げたとき、わたしはマウンドに立っていた。異議申し立てをするために、自分を信じ引き受けるために、定型に押し込められないために、予定調和の物語を食い破るために、わたしはわたしのマウンドに立っていたのだ。」(p254-255)」
著者は、ヌルい児童小説が書きたかったんじゃない。 著者の中から、書かねばならないと湧いて来たもの。 少年少女の凶悪犯罪が続く中で、ステレオタイプに語り捨てられるその時代とその時代を生きるコドモ、そういった世相や蔓延する価値観に対して、流されることにノーと言い、物書きとしてノーという作品を作り上げた。
その心意気が、『バッテリー』の巧を、青波を、洋三を、真紀子を、豪を生み出した。
野球の物語でありながら、試合すら出てこない小説。 あまり野球に興味のない私はそれまた面白いじゃない?と思ったのだけど、続きがあることに先日知って驚いた。 これだけで完結していても充分面白い(巧たちの中学時代は読者の想像にゆだねられて、自由に羽ばたいていけるから)と思ったけど、せっかくならば読んでみましょう。
『バッテリー』
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