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| 2007年09月03日(月) ■ |
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| 数える |
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怒涛の一週間を過ごしていました。 途中、ボーっとしてた気もするけど。 やっぱり、なんか凄かったです。
8月28日に、うちのおばあちゃんが亡くなりました。 1年ほど前から、市内の特別養護老人ホームに入所していましたが、最近食事があまり摂れず、医師からは「まずいかもしれない。会わせたい人がいたら連絡をとってください」と宣告されていました。8月中旬頃から、親戚が続々と会いに訪ねてきてくれました。母と私も交代で、あるいは一緒に、ほぼ毎日ホームに面会に行きました。 その日、28日の夕方、会いに行ったのは私でした。おばあちゃんは痰が絡んでしまってスムーズに息が出来ず、食事の時も苦しそうでしたが、私の問いかけに返事もしてくれたし、頬はきれいなピンクだったし、汗ばんだ手をゆすっていました。 「また来るからね!じゃあね!」とホームを後にしたのが7時20分頃。自転車で帰宅し、夕飯を食べ始めたころ電話がありました。容態が急変。心配停止状態に陥ったとのこと。私がおばあちゃんと別れて30分しか経っていませんでした。 搬送先の病院にかけつけた時、おばあちゃんはもう冷たくなっていました。ついさっきまで熱を持って動いていた顔が、身体が、もう生き物ではなくなってしまっていることが、信じられませんでした。 病院でない場所で亡くなったこともあり、警察による遺体の検案と事情聴取が明け方まで。わずかな睡眠をとって、朝から菩提寺と葬儀屋さんと、葬儀の日取りを決め、斎場にて遺体を安置。私たち一家はフラフラでしたが、特に母は対応に追われ、ぶち切れそうでした。喪主として葬儀を仕切らねばならず、親族や知人への連絡、葬儀の段取り、参列者の把握、生花の注文……。混乱してくると、ふつうに数を数えていても分からなくなるようなので、私は母のそばにいて、一緒に数を数えたり、やることを確認したり、あまり役に立たないながらも、とにかく母の行動につきあうようにしました。 斎場のスケジュールの関係で、葬儀まで少し日にちが空いてしまいました。しかし、それがかえってよかったようで、気持ちのうえでも事務的な面でも、いろんな整理がついたと思います。お悔やみをくださった方とお話ししたり、古い写真を眺めたり、おばあちゃんの戦争体験の聞き書きを葬儀で配ろうと小冊子にまとめたり、壊れたTV台を直すべく、ドリルドライバをギュルギュルうならせてキャスターを付け替えたり……(いやこれはおばあちゃんとは関係ないんですが、母も私もヤケになってました)。忙しいようなのどかなような、不思議な日々を送っていました。 昨日は通夜で斎場に泊まり、今日の告別式。骨になったおばあちゃんが、うちに帰ってきました。やっと一段落。たくさんの人がおばあちゃんにお別れしてくれて、「きっと幸せだったよ」と言ってくれて、生前の写真もたくさん見てくれて、ホッとしました。オリオリ(妹のつれあい)には、最初から最後まで助けられました。感謝してもしきれないくらいです。
とにかく終わりました。泣いて笑ってを繰り返した一週間でした。みんなおつかれさま。おばあちゃん(享年87)もおつかれさま。明日から、また日常がはじまります。
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