与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2023年01月18日(水)  死を忘るなかれ 〜 Prepare to Die and Live 〜


┌─────────┐

│ adlib/20230118

│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20230118
│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
│ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000

│ https://note.com/adlib20210301/all
│ https://booklog.jp/users/awalibrary/
│ https://q.hatena.ne.jp/adlib/

│ https://twilog.org/awalibrary
│ https://twitter.com/awalibrary
│ https://www.facebook.com/masatoshi.awa

└─────────┘

 
 死を忘るなかれ 〜 Prepare to Die and Live 〜
 
…… メメント・モリ(memento mori)は、ラテン語で「自分がいつか
必ず死ぬ事を忘れるな」「人に訪れる死を忘る事無かれ」と言った意味
の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
 古代ローマでは「将軍が凱旋式のパレードを行なった際に使われた」
と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は「将軍は今日絶頂にあるが、
明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担
当していた(Wikipedia)。
 
…… 「メメント・モリ」誕生のきっかけは、バロック期の精神を表す。
15世紀ごろのペスト流行後に絵画《死の舞踏 》が描かれ、16〜17世紀
には《ヴァニタス》で頭蓋骨が描かれ、バーント・ノトケ《死の舞踏
1435》、ブリューゲル《死の勝利 1562》が描かれた……。
https://biz.trans-suite.jp/25166(20211224)
 
…… 明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは。
 親鸞 聖人 真宗開祖 11730514 京都 12630109 89 /承安 3.0401-弘長 2.1128
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20181224
 
…… (加賀 乙彦の)一貫した小説のテーマは「メメントモリ(死を
忘れるな)」だった。死を意識することで生はより良いものになる。
それは死刑確定囚の日々を描いた「宣告」や冤罪事件を扱った「湿原」
といった作品に象徴的に表れている。背景にあったのが精神科医とし
て東京拘置所や病院に勤務した経験だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD011GP0R00C22A1000000/
 
〔death〕
 
 Kaga, Otohiko 作家 19290422 東京 20230112 93 /犯罪心理学
/籍=小木 貞孝 Kogi, Sadataka/精神科医/日本ペンクラブ副会長
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF17CF80X10C23A1000000
 
──  鈴木 比佐雄・宮川 達二・制作《虚無から魂の洞察へ 〜 長編小説
『宣告』『湿原』抄 (加賀 乙彦;散文詩集) 20211108 コールサック社》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4864354782
 
── 加賀 乙彦《帰らざる夏 19930810 講談社文芸文庫》19450127 197307‥
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B00K1ZQLW0
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4061193813
── 加賀 乙彦《錨のない船 19820401 講談社》上下
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4061193821
 
 来栖 三郎   外交官 18860306 横浜 東京 19540407 68 /
/駐ドイツ特命全権大使としてベルリンで日独伊三国同盟に調印。後、
特命全権大使としてアメリカ合衆国に派遣され、太平洋戦争直前の日米
交渉にあたる。戦後GHQにより公職追放。アリス・ジェイ・リトルの夫。
 
 来栖 良 陸軍航技大尉 19190108 America 19450217 26 /事故死
/三郎の長男。エンジニア・パイロット(陸軍航空審査部附)として
米艦載機迎撃の為、四式戦「疾風」へ搭乗に向かう途中、急発進した一
式戦「隼」のプロペラに接触、即死(戦死)。最終階級は陸軍航技少佐。
 
…… 太平洋戦争中の外交官一家をモチーフにした小説で、その息子が
大日本帝国陸軍の戦闘機操縦者となり、戦闘中被弾し脱出降下したとこ
ろ、日米ハーフだったためにアメリカ兵と誤認され、民衆に竹槍で惨殺
されたこととなっている。
 
 実際に日米ハーフであり、テストパイロットとして多摩飛行場に所在
の陸軍航空審査部に所属していたが、死亡状況は小説とは異なり、空襲
迎撃の為に出撃準備中にプロペラに巻き込まれる事故によって即死。
 
 来栖夫妻は、息子が小説に描かれたような「アメリカ人と誤認され殺
される」といった死に方をすることを何より恐れていたとされる。当初
は小説の登場人物は名前が変えてあったが(来栖 三郎→来島 平三郎、
来栖 良→来島 健)、再版時に実名に変更された為、実際に来栖大尉が
誤認惨殺されたとの誤った認識が流布されることとなった。
 
 来栖大尉の戦死時の状況については航空史家・渡辺 洋二が詳細な聞
き取り調査を行い、実際には事故死であることは確定している。死因の
捏造とも言える加賀の記述と実名への変更については、当時の戦友など
が抗議を行い、渡辺も加賀に質問状を送付しているが、加賀からの回答
は無く、現在も同書は実名記述のまま書店に並んでいる(Wikipedia)。
 
 渡辺 洋二 作家 1950‥‥ 名古屋 /立教大学文学部卒
/航空雑誌編集者の後ノンフィクション作家となる。 
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4121005651
── 加賀 乙彦《死刑囚の記録 19800125 中公新書》
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/pen-name/index.html
 ペンネーム図鑑
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19850106
── 加賀 乙彦《宣告 1979》
https://booklog.jp/search?service_id=1&index=Books&keyword=%E5%8A%A0%E8%B3%80%E4%B9%99%E5%BD%A6
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
 YMDay(20230118)last up dated.


与太郎 |MAILHomePage

My追加