与太郎文庫
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2021年04月15日(木)  同姓同名の妻 〜 Wife with the same surname 〜


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 同姓同名の妻 〜 Wife with the same surname 〜
 
〔death〕
 
http://a.msn.com/01/ja-jp/BB1fIG8I?ocid=st
 
 日本劇作家協会が公表。《女優N−『戯曲推理小説』より 200106‥》
早大在学中に初戯曲《署名人》でデビュー。卒業後は岩波映画社を経て
1965 フリー。《真情あふるる軽薄さ 1969 》から蜷川 幸雄とコンビを
組んで現代人劇場、櫻社で蜷川さん演出による話題作を発表。
《ぼくらが非情の大河をくだる時 19‥ 岸田戯曲賞》
《わが魂は輝く水なり 1980 泉鏡花文学賞》《エレジー 1983 読売文学賞》。
 
 清水 邦夫 劇作 19361117 新潟 東京 20210415 84 /老衰/民藝「木冬社」
♀松本 典子 女優 19350809 東京   20140326 78 /籍=清水 和子/邦夫の妻
 
…… 女優・松本 典子さんが26日、間質性肺炎のため亡くなった。
 俳優座養成所8期)卒業後、劇団「民藝」入団。「三人姉妹」
(原作・チェーホフ、演出・宇野 重吉)など数多くの作品に出演した。
 1976年、清水 邦夫らと共に「木冬社」を結成。主演女優として数多
くの清水作品に出演。公私にわたるパートナーとなった。
 1967年、パルコ劇場公演「タンゴ・冬の終わりに」(作・清水 邦夫、
演出・蜷川 幸雄)および、木冬社公演「夢去りて、オルフェ」の演技
で第37回芸術選奨文部大臣賞(演劇部門)を受賞した。
 1990年代以降は木冬社で演出にも取り組むほか、Bunkamura 公演
「三人姉妹」(演出・蜷川 幸雄)などに出演した。
「女優N 200106‥ 東京・シアターX」が最後の出演舞台となった。
https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/03/28/0006816163.shtml
 
 同姓同名 〜 Family of Tomashino 〜
 
♀松本 典子 女優 19680130 東京 /158cm [B] 京都=誤
/旧姓=佐藤 美和子/籍=苫篠 賢治(ヤクルト)の妻
/タレント [B] 1984 ミスセブンティーン 19870321 歌手デビュー
 苫篠 賢治 野球 19661011 大阪 /内野手、野球解説
https://twitter.com/awalibrary/status/1274499795759976451
 
 笘篠 誠治 野球 19640622 大阪 /賢治の兄/180cm, 73 kg
♀瞳 はるか 女優 元松竹歌劇団(SKD) /籍=笘篠 誠治の妻
♀笘篠 ひとみ女優 19920606 東京 /籍=笘篠 誠治の娘
/都立井草高校出身/元宝塚歌劇団花組娘役=姫歌 ひな乃
/162cm/愛称「とま」、「ひぃ」、「ヒナノ」
http://orchard-net.com/wordpress/?page_id=4519
 笘篠 和馬 俳優 19950910 東京 /ジャニーズJr./誠治の長男
 
(20210417)
 
http://a.msn.com/01/ja-jp/BB1fJZIS?ocid=st
「孤独と出会い」最期まで発信 被爆者 20210417 朝日新聞
 小崎 登明 脩道士 1928‥‥ 朝鮮 長崎 20210415 93 /籍=田川 幸一
/Ozaki, Toumei
 
…… ナガサキピースミュージアムで写真展を開いた小崎 登明さん
20190814 09:44 長崎市松が枝町、榎本 瑞希・撮影© 朝日新聞社
 
 「罪」の意識を背負った被爆者として、長崎のカトリック史を掘り起
こす修道士として、病と向きあう一人の人間として死去した小崎 登明、
死の間際まで出会いを広げ、発信を続けた。ゆかりの人は感謝の言葉で
見送った。
 
 小崎さんは1928年、現在の北朝鮮生まれ。三菱兵器製作所の少年工員
として働き、長崎市赤迫のトンネル工場で被爆した。爆心地から約500
メートルの家にいた母とは二度と会えず、孤児となった。
 
 「最期まで、19450809 に感じた自分の『弱さ』と向き合っていた」。
 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の横山 理子(みちこ)さん(47)
は振り返る。昨秋から毎週、面会やビデオ通話を重ねた。
 
 自分に暴力を振った年長の工員がうめいているのを見て「ざまあみろ」
とののしり、助けを求める手を振り払って逃げた。無事だった自分に
「エリート意識」を感じた――。「人間とは悲しい存在」。最後となっ
た2月の講話でそう語った。
 
 戦後、聖母の騎士修道院(長崎市)に身を寄せ、修道士に。ポーランド
人のコルベ神父(1894-1941)に希望を見いだした。長崎で布教し、
アウシュビッツ強制収容所で身代わりを申し出て亡くなった神父の生き方
を、自らの体験と対置。30代から長崎やポーランドで足跡を調べ、雑誌や
著作で発表した。
 
 80年代初頭には神父の資料を作家・遠藤 周作に提供。遠藤の代表作の
一つ《女の一生――二部・サチ子の場合》に結実した。
 
 カトリック長崎大司教区の高見 三明大司教(75)は「多くの人に、魂
の糧になることを伝えつづけてくれた」とねぎらった。
 
 2009年には「人生を語りたい」とブログを始めた。思い出や、度重な
るガンとの闘病をつづった。亡くなる前日に「もう、チカラが無い」と
書くまで、諫早市の老人ホームや入院先の聖フランシスコ病院(長崎市)
からほぼ毎日更新していた。
 
 ブログ読者だった看護師の塩沢 美樹さん(38)とドイツ語講師の
野々村 哲さん(44)は何度も小崎さんを訪ねた。小崎さんが撮影した
約1万カット分のネガの整理を手伝い、19年には長崎市で写真展も開いた。
塩沢さんは「見たことのない世界を見せてくれた。思い出の中で、また
会える気がする」と話した。
 
 自らの信念を、生前の小崎さん自身はこう語っていた。「生きるとは、
孤独と出会い」(榎本 瑞希)
 
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