与太郎文庫
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2005年06月26日(日)  恩師の条件

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050626
 
 20050625 11:45-12:30 芝山 マツ 先生に電話(以下、草稿)。
 先生の父上は関西電力。母上は京都女子師範卒。
 
 頂戴物のお礼 〜 新井 正夫 先生への書簡草稿・補足 〜
 
 NHK《作法の極意》によれば、目上の方から過大な返礼を受けるのは
以後の贈り物を謝絶する意とされる。さて、過大な返礼とは、どうして
判別すべきか。(Day'19961223,19961224,19950506)
── 《作法の極意 19970521 01:30 NHK》再放送
 
── 近藤 珠賓(こんどう・たまみ)東京神田の生まれ、「日本の心」
守りながらも、現代感覚で国際的にも通用する作法を目指し昭和52年に
新作法「清紫会」を結成。同時に作法学院を開設し学院長に就任。以後、
生徒を指導する傍ら、執筆・講演・社員教育・テレビ出演等幅広い活動
を行う。主な番組に「小川宏ショー」「笑っていいとも」や 新潟総合
テレビ「ほがらか作法シリーズ」TBS「おはようクジラ」等がある。
<著書>
「基本ビジネスまなー」「冠婚葬祭ハンドマップ」
<主な講演演目>
「なんだそうだったのか・・・・」 「冠婚葬祭でのマナー」
「こんな時どうすればいいの?」 「正しいエチケット法」
<講演料> 30万円 (消費税別)
http://www5.ocn.ne.jp/~honeypro/kousi/kondoutamami.html
 
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 杉井先生と話していると、こんど生れかわったら、音楽などには目も
くれず、《史記》や《衰亡史》のような大著に取りくみたいと思う。
 
 しかし本宮先生のことを思いだすと、なんべん落第してもいいから、
もういちど指揮者になって、自前のオーケストラを育てたいと考える。
 さらに金谷先生ご兄弟の作品を思いうかべると、やっぱり絵画こそが
人類史のふるさとなのだ、と確信する。
 芝山先生のペン字を眺めると、文字こそは究極の文化であり、もっと
研究をつづけなかったのか、われながら残念でならない。
 
 おおくの人は、ヒマとカネがあれば、芸術や文化が育つと考えている。
しかし与太郎は、自分の人生をふりかえるに、ヒマとカネがある時には、
酒ばかり呑んでいた。そして、ヒマとカネがなくなると、心にもない作
品に取りくんでいたのだ。《傘寿 20031028 》につづく。
 
 2004年10月10日(日) 兄事 〜 金谷先生の兄・常延氏の命日 〜
 
── 国語辞書との一致 (1件中1〜1件)
けい‐じ 【兄事】[名](スル)兄に対するように、敬意と親愛の気持ちを
もって仕えること。「―する先輩」[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
 
 和英辞書との一致 (1件中1〜1件)
けいじ 【兄事】◇兄事する respect; look up to 《a person》 
── [ プログレッシブ和英中辞典第2版 提供:JapanKnowledge ]
 
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「わたしは、第一に音楽、第二に絵画、第三に文字を愛しています」
(20041004 逆・はてな http://www.hatena.ne.jp/1096826783)
 与太郎は、一に音楽、二に絵画、三に文字を愛してやまない。
 
 金谷先生に出会っていなければ、絵を描いていなかったかもしれない。
 芝山先生に出会っていなければ、手紙を書かなかったかもしれない。
 本宮先生に出会っていなければ、音楽に目ざめなかったかもしれない。
 
 杉井先生に出会っていなければ、東京へ行けなかったかもしれない。
 谷本先生に出会っていなければ、日記を公開しなかったかもしれない。
 これらの先生たちに出会わなかった人生を想像することができない。
 
♪《仰げば尊し》
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/03nihon/aogeba_k.htm
→《同志社小学校、リベラリズムの危機》につづく
 
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 Q&A 回答件数:5 投稿日時 : 2004-10-08 06:28:55
 
 70歳以上の方に質問です。自分の子供から親孝行されたことがあり
ますか?何をしてもらったら一番嬉しいでしょうか?嬉しかったでしょ
う? お金が欲しいですか? 旅行がしたいですか?
「あなたが元気で幸せならそれでいい。」といつも言うだけです。
親孝行したいのですが。主人の仕事の都合で遠く離れた外国に住んでお
ります。
 
 わたしは、小学校以来の恩師5人に、なるべく御誕生祝を届けます。
「あなたのことを、いつも思いだしているんですよ」というわけです。
 人は、忘れられることが、いちばん淋しいのではありませんか。
 
 知恵袋 
 
 恩師に、お誕生日の贈物をしたら、とても高価なお礼の品を頂戴して
しまいました。過分なお返しは「もう贈らなくてよろしい」という合図
だと聞いたことがあります。流派によって解釈が異なるのでしょうか?
 
http://knowledge.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=4932103
 
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 街の灯
 
 最後の学芸会はなかなかの趣向だった。主人公の悪役を、S君(柴原)
と私がダブル・キャストで演じることになった。主役同志は互いの家を
親しく訪問するほど意気統合した。
 S君の一家は寺に間借していて、その貧しさは歴然としていたが、母
親は幼い妹を背に弟を叱りながら、父親は寝床に起きなおって、ちいさ
な客人を歓迎してくれた。
 枕元には筆や絵皿が散乱している。「君が絵を習いたいなら父ちゃん
に頼んでやるよ」「うん、習ってみたいな」というような会話から、私
は病める画伯のもとに入門した。
 師匠は、絵をまなぶ者の心がまえとして「通俗に染まってはいけない、
たとえばベースボールごときは一時的な流行にすぎない」とか「肥桶は
一個をみれば醜だが、数十数百と積みあげれば美となる」などと説いて
新弟子のために漢文調のノートを綴った。
 かつて戦死した日本画家も「貧者士之常」を頭上にかかげていたこと
が思いだされる。
 何度目かの講義のあと、S君が「これから父ちゃんの絵を売りにいく」
というので、私も期待して同行することにした。
 暮れなずむ繁華街に着くと、S君は赤ちょうちんの屋台に首をつっこ
んで、風呂敷包みから数枚の色紙を取りだし、商談をはじめた。色紙に
は、お多福や瓢箪が描かれている。やがて、にっこり笑ったS君の首が
あらわれ、私を菓子売りの屋台に案内すると、あやしくも甘いものをふ
るまってくれた。
 しかし、つぎの商談はなかなかまとまらず、二人の主役はすっかり腹
を空かした。ようやくのことに、お多福が売れたので、悪役どもは一片
のパンを分けあって食べた。
── 《私の昭和史 1988 草稿の一部》
 
── 《Day is Day 19500727-19511030 書簡目録》
── 《子猫物語 〜 猫小屋ができたわけ 〜 与太郎文庫》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20050430
 
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── 私は実は、灘高校といういわゆる進学名門校を卒業している。私
が卒業したころは、東大合格者数全国トップの学校だったのだが、日本
の受験生の勉強のしすぎが声高に批判されていた当時は、随分、風当た
りが強かった。詰め込み型の受験勉強ばかりしていると思考力が育たな
いだの、性格が悪くなるだのと受験勉強が悪者視され、その勝者である
灘高生や東大生も肩身が狭かった。
 
 現在の学力低下がこの手の価値観にも責任があることや、受験勉強が
性格形成や思考力に悪影響を与えるというバイアスが嘘だと書くべく、
3月に『受験勉強の技術』(講談社現代新書、735円)という本を出
した(タイトルは受験技術書のようだが本来書きたかったのはそういう
問題だ)のだが、その後、当時の灘高の教育が受験対応的なものではな
く、むしろ自由で創造的な旧制中学の香りのする学校だったというドキ
ュメントが出た。フジテレビ「報道2001」キャスターの黒岩祐治さ
んによる『恩師の条件』(リヨン社、1575円)という本だ。確かに
私の在校時も、旧制中学時代からの教師も多く残り、6年一貫教育とも
あいまって、そんな雰囲気は残っていた。
 
 実は、黒岩氏は私の灘高の5年先輩に当たる。そして彼が人生で最も
影響を受け、今でも交流を続けている橋本武先生(私が在校時に灘高の
教頭を務めておられた)にスポットを当て、恩師の条件を考察している。
故遠藤周作氏の恩師でもあるという伝説の教師だった人だ。
 
 灘校では、中学高校の6年間を同じ教師がずっと数学も英語も国語も
教えるので、私自身は、先生のお話を聞くことはあっても、先生の授業
を受けたことはないのだが、確かに、まさにユニークというしかない。
教科書を使わずに、岩波文庫の『銀の匙』という本を読ませ、見出しご
とのタイトルを生徒につけさせる。本の中に、今では見なくなった駄菓
子の話が出てくると、その駄菓子を用意して生徒みんなで食べさせる。
 
 私自身、国語嫌いでいまだに小説はろくに読まない朴念仁だが、教師
に恵まれていれば違っていたかもしれない。カリキュラムうんぬんより、
教師をどう育てるかのほうが、学力向上のために重要かもしれないこと
を教えてくれる本だ。
── 評者・和田 英樹(精神科医)20050614 毎日エコノミスト
 
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── 著者が通った著名な灘中、灘高で教わった国語教師、橋本武さん
の授業風景を回顧することで、現代の学校教育の問題点を照射し、教師
復権の処方箋(せん)を提示する。
 
 橋本さんは同校に五十年在職した名物教師。作家、故遠藤周作さんも
教え子の一人。授業では文部省検定の教科書を一度も使用せず、中勘助
の『銀の匙(さじ)』をテキストに自らガリ版で刷った教材を使って授
業を進めていった。小説の中の百人一首を覚え、章ごとに自分で考えた
題をつけ、ときには物語に登場する駄菓子を生徒とともに食べ、凧(た
こ)が出てくれば凧を作ってみる。こんなユニークな授業が行われた。
 
 東大合格者全国一、二を争う学校ゆえできた教育かもしれないが、
「恩師」と呼べる教師にめぐり会えた幸せを感じる。
(リヨン社・一五七五円)200050522 05:00)【書評】
 
── 黒岩 祐治《恩師の条件 〜 あなたは「恩師」と呼ばれる自信が
ありますか? 〜 20050424 リヨン社》
 
── 黒岩 祐治 1954年9月26日神戸市出身。フジテレビジョン報道局
解説委員・「報道2001」キャスター。国際医療福祉大学客員教授。早稲
田大学政経学部卒業後、1980年フジテレビジョン入社。営業部勤務、番
組ディレクター、報道部記者を経て1988年4月から『FNNスーパータイム』
のキャスターに。当時、救急医療に関するキャンペーンを展開し、国会
で救急救命士法が制定されるきっかけとなり、放送文化基金賞、民間放
送連盟賞を受賞。1992年より『報道2001』のキャスターを務める。その
後、ワシントンに2年間在住。帰国後、再び同番組に復帰。他に同局の
ドキュメンタリーシリーズ『感動の看護婦最前線』のプロデュースキャ
スターを務める
 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4576050516/250-5726959-4934661
http://island.opinet.jp/kuroiwa/
 
作成日: 20050625 15:31/2005/10/08
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(↓)恩師の条件 〜 テッちゃんの訃報 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050914
 


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