与太郎文庫
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2005年06月16日(木)  皇軍兵士たち 〜 右向け左! 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050616
 
 皇軍兵士 〜 ゆきゆきて神軍 〜
 


 奥崎 俊三郎 謙三の父 19...... 兵庫 19470528 ?
♀奥崎 和賀  謙三の母 19...... 兵庫 19480402 ?
 延原 一男  不動産業 19...... 兵庫 19560405 ? /殺害
♀奥崎 シズミ 謙三の妻 19...... 兵庫 19860918 ? /旧姓=石地/19470828結婚
 奥崎 謙三“皇軍兵士” 19200201 兵庫 20050616 85 /元ウエワク残留兵
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 原  一男  映画監督 19450608 山口       /ゆきゆきて神軍/全身小説家

 
── 《神軍平等兵・戦歴/奥崎謙三 主要年表》
http://www.loft-prj.co.jp/kamisama/nenpyo.html
 
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 訃報:奥崎謙三さん85歳=「ゆきゆきて、神軍」に出演
 ニューギニア戦線で生き残った元日本兵が上官らの戦争責任を追及し
たドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」(87年、原一男監督)
で知られる奥崎謙三(おくざき・けんぞう)さん(85)=神戸市兵庫
区=が16日、神戸市内の病院で亡くなっていたことが0625日、わ
かった。死因は多臓器不全。
 
 奥崎さんは兵庫県出身。第二次世界大戦中、陸軍の上等兵としてニュ
ーギニアに従軍し、戦後は神戸市内で自動車部品販売店を経営。69年
1月、皇居一般参賀中、昭和天皇に向かってパチンコ玉を発射し逮捕さ
れた。この事件について書いた「ヤマザキ、天皇を撃て!」などの著作
もある。映画「ゆきゆきて、神軍」の中では、元上官を訪ね責任を追及、
この元上官に暴行を加えるなど過激な行動が収められている。
 
 衆院選に立候補中の83年、上官だった元中隊長宅を訪問し、居合わ
せた長男に拳銃を発砲。兵庫県警に殺人未遂容疑で逮捕され懲役12年
の判決を受けた。
 
 出所後は1人暮らしで、近年は病気がちだったという。昨年8月に自
宅で倒れているところを発見され、入院生活を送っていた。死ぬ直前ま
で院内で「バカ野郎」と叫んでいたという。
 
 毎日新聞 20050626 03:00:00
 
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■2001/09/28 (金) 金木犀の季節
 
 朝からしとしとと雨。会社に答案を持ってかなきゃならないのに、い
やだなあと くすんだ空とにらめっこ。
小止みになったところで出かけて、自転車ですっ飛ばしていると、どこ
からか金木犀の香り。もうそういう季節になったのね。
 
 朦朧博士が、原一男のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』
(1987年)のビデオを見たって、掲示板に書いてたのだけど、私は
未見。邦画って、全然と言っていいほど見てないのだ。欧米コンプレッ
クスかにゃ、やっぱり。
 
 でまあ、主人公の奥崎謙三なる人物に関心を持ったので、その手記を
車内で読もうと図書館で借りて。
 神軍平等兵(?!)奥崎謙三『ゆきゆきて「神軍」の思想』(新泉社)。
 拘置所中から出された手紙、本人は「論文」と称してるけど、それを
集めたのだった。
 読み始めると、繰り返しの多さと、むやみと・(ナカグロ)でつない
で並列する文に悩まされて、たちまち眠く・・・。
 
 半分眠りながら五反田で降りて、会社に着いて出来上がった答案を返
して やれやれこれで休みじゃ、と思ったら、
 今度は学年の違う答案が私を待っていたのであった。ふにゃ。帰りの
車内、借りた本の続きを読む。
 
 えーと、奥崎謙三という人物なのだけど、略歴によると、1946年
ニューギニアの戦場から生還。
 1956年不動産屋を殺し10年服役。1969年皇居の新年祝賀会
で天皇にパチンコ玉発射、懲役1年6か月。
 1976年天皇のポルノ写真をデパート屋上からまく。1983年元
中隊長の長男に発砲。
 1987年殺人未遂により懲役12年の判決、現在控訴中。
 
 はぁ〜、という略歴でありますな。手記を読んでると、アタマがこそ
ばゆくなってきて、こちらまで変になりそう。
 パラノイアというか、誇大妄想というか。拘置所生活における読書が、
妄想体系の強化に役立っている例なのであった。
 
 「『ゆきゆきて、神軍』は、神様の脚本・演出によって完成したもの
であります。ですから如何なる映画よりも、生命は長く、
如何なる映画よりも価値が多くあります。主人公の私が、本当の救世主
・神様代行であることが、
 『ゆきゆきて、神軍』の生命を更に長くし、価値を更に多くするので
あります。つまり主人公の映像と実像の相乗作用によって、
 『ゆきゆきて、神軍』の生命は永遠となり、価値は無限に高くなるの
であります。」
 
・・・とても最後まで読み続けられそうににゃい。
 
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=70715&log=200109
── 《猫三昧・読書三昧・野次馬的映画三昧日記》
 
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 皇軍兵士 〜 生存か生還か 〜
 
「驚いた。他に57人が生存との情報もあり、戦友もいるのではないか」
「私らは、好きで戦地に行ったんじゃない。国の命令で行ったんだから、
国は責任をもって救出せにゃいけません」
 ミンダナオ島より生還した元陸軍航空隊員・近藤 敏郎(83)の談話。
── 《ザ・ワイド 20050530 14:00-15:55 日本テレビ》
 

 横井 庄一  陸軍軍曹  19150331 愛知  19970922 82 /19720124グアム島
 山川 吉雄  陸軍中尉  1918‥‥ 大阪 /第三十師団捜索第三十連隊第三中隊長
 中内 続喜  陸軍上等兵 1922‥‥ 高知 /第三十師団捜索第三十連隊
 伊丹 秀夫  残留日本兵 1922‥‥    20050220 83 /インドネシアで没
 近藤 敏郎  陸軍航空隊 1922‥‥ 埼玉        /ミンダナオ島より生還
 小野田 寛郎 陸軍少尉  19220319 和歌山       /19740310ルバング島
 小塚 金七  陸軍一等兵 192.・・・・     19721019 4. /ルバング島で“戦死”
 中村 輝夫(李 光輝=) 192.・・・・ 台湾  197906‥ 5. /19750108モロタイ島
 田中 清明  製鉄会社員 192.・・・・    /199001‥マレーシアより帰国
 橋本 恵之  製鉄会社員 192.・・・・    /199001‥マレーシアより帰国
 松嶋 春義  陸軍工兵  192.・・・・    /199107‥ベトナムより一時帰国
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 田中 幸年  残留日本兵 1908‥‥    /独立戦争戦死者を調査。
 志田 安雄  残留日本兵 1921‥‥    /1964年から取材
 鈴木 紀男  冒険・探険 194904・・ 千葉  19870928 38 /ヒマラヤ遭難 Let'1113

 
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 「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に
さらに数人の情報も 保護、帰国を熱望【マニラ=鈴木裕一、大地山隆】
 
 フィリピン・ミンダナオ島で、旧日本兵とみられる男性二人が現地当
局に保護され、帰国を希望していることが二十六日、分かった。二人は、
山岳地帯で終戦を迎えたため引き揚げに間に合わず、そのまま現地で生
活していたとみられ、ほかに数人が保護を希望しているという。日本大
使館員が二十七日に二人と会い、身元が確認されれば帰国のための手続
きを行う。旧日本兵の帰国は、実現すれば小野田寛郎さん以来三十一年
ぶりで、戦後六十年目の生還となる。
 保護された二人は、旧陸軍第三十師団捜索第三十連隊第三中隊の元中
隊長、山川吉雄中尉(87)=大阪市西区出身=と中内続喜上等兵(8
3)=高知県明治村(現越知町)出身=とみられる。さらに数人の旧日
本兵が生存し、保護を求めているという情報があり、日本大使館などで
身元確認を急ぐ方針。
 二人はモロ・イスラム解放戦線(MILF)などの反政府ゲリラが支
配する同島などの山岳地帯で約六十年間にわたり生活していたが、今月
下旬になり南部サウスコタバト州ゼネラルサントス市郊外のスルタン
(イスラム教国の君主)支配地域に移って国家捜査局(NBI)に保護
され、帰国を熱望しているという。
 同連隊の関係者によると、第三十師団は昭和十九年七月、同島のダバ
オ市に上陸。同年九月に米海軍艦載機による空襲を受け、翌二十年四月
に同島中央部の渓谷地帯マライバライで「自給自戦」を命じられていっ
たん分隊となり、同島北部のワロエで再集合することになっていた。
 彼らは小人数で山岳部を転進中に終戦を迎えたため師団の引き揚げに
合流できず、残留を余儀なくされた。以後、山川元中尉らは同島南部の
ブルアム湖近辺などを拠点に生活していたが、昨年九月に同島東部と中
部で木材の切り出しなどを行っている長崎県在住の日本人の関係者(5
4)が山中で旧日本兵と遭遇。その後、いずれも高齢のため帰国を強く
望んでいるが、戦線から離脱したことで日本での軍法会議にかけられる
ことを強く恐れていることが分かった。
 別の関係者によると、彼らのほかにも同島山岳地帯などには四十人以
上の旧日本兵が生活しているもようで、いずれも帰国を望んでいるとい
う。
 フィリピンでは、北部ルバング島で一九七四(昭和四十九)年、ジャ
ングルに潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が救出された例がある。ま
た、七二(同四十七)年には米グアム島で、元日本兵、横井庄一さん=
平成九年死去=が見つかっている。
     ◇
 《第30師団》昭和18年6月、朝鮮・平壌で編成された陸軍最後の
現役師団。対ソ戦の訓練を受けていたが、19年4月、ミンダナオ島先
制防衛のため対米戦備を整え出陣。師団は16個の部隊などで構成され、
「機動兵力として随時重点方面に使用」との方針から、島を東奔西走し、
終戦までの1年で500キロにおよぶ行軍を強いられた。戦死者は1万
2000人を超える。
(産経新聞) - 5月27日4時51分更新
 
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