与太郎文庫
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2004年09月02日(木)  第二志望の人々 〜 リコール忠臣蔵 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040902
 
 与太郎は、知人の三菱関係者を十数人あげることができる。
 それぞれは人柄穏健、なかには世話になった人もいるので、ここぞと
悪口を云うつもりはないが、こんどの事件ばかりは弁護できない。
 
 彼らに共通しているのは、どうやら第一志望で入社した気配がない。
 たとえば同級生Aは、同窓会の席上で「やっぱり、トヨタに入るべき
だった」と広言した(もう引退したはずだから書いてもいいだろう)。
 
 後輩Bは、父が勤める私立高校の系列中学と大学を経て、三菱自動車
に就職し、60歳で役員にたどりついた。
 本人はともかく、東大出身の父からみれば不肖の息子だったのだ。
 
 かたや小学校の同級生Cは、トヨタ宣伝部に就職した。役員には及ば
なかったが、いま同窓会があれば一番の出世頭だろう。むしろ出身校の
京都工芸繊維大学意匠図案科が、第二志望だったかもしれないが。
 
 ◆ 音の出る灰皿 〜 コロナ vs コルト 〜
 
 むかし与太郎は、トヨペット・コロナを三代つづけて乗っていた。
 いまでも夢に登場するほど、それぞれに愛着がある。
 Colona Delux 1962, Colona Delux 1964, Colona Hardtop Delux 1966
 
 最初は、純国産デザイン最後のモデルで、軽快な操縦感覚にあふれて
いた。楕円形のテール・ランプが特徴で、初のメタリック塗装だった。
 ただし当時のシルバー・グレイは一年たつと艶が失せてしまった。
 
 つぎに、国産初の白色塗装で、内外装ともにライバルの日産ブルー・
バード、プリンス・スカイライン、三菱コルトを引きはなした。
 前座席が倒れるセパレーツ・シートが、たちまち若者の心を奪った。
 
(持たざる者にとって、許しがたい空想をかきたてられる仕様だった)
 ↓ 《チック・タック余談 〜 与太郎のデート 〜》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030402
 
 つぎに登場したハード・トップは、究極の“ドラ息子ご用達”だった。
 スポーツ・カーに似せて、前座席はそのままにして後座席をせばめ、
ドア2枚を取っぱらった。操縦感覚・居住感覚を犠牲にしたのだ。
 
 さすがにこのときは、若き日のバカ息子も逡巡していたのである。
 近所の目もあるし、商人らしい質実なクルマに乗るべきではないか。
 迷いはじめた与太郎のもとに、新米のセールスマンが登場する。
 
 結婚式を目前に、身辺を引きしめる必要があった。そのため、新車に
買いかえるというドラ息子ならではの発想だが、本人は大真面目である。
 三菱自動車のセールスマンは、質実剛健・謹厳実直そのものに見えた。
 
 当時の乗用車は、派手なトヨタ・プリンスに、地味なニッサン・三菱
が対立していた。三菱コルトは回転半径が小さくて、日野コンテッサは
エンジンを後部収納しているのが特徴だった。
 
 初対面のセールスマンは、とても謙虚だった。話をするうちに、この
ように真面目な青年が報われるべきだ、という気になった。
 数日後には、彼の乗ってきた Colt Delux 1967 に試乗している。
 
 ハンドルを握ってみて、つぎの三点が気になった。まず、ワイパーの
振りかたがぎごちない。つぎに、ヒーターのダイアルが旧式で、不恰好
なゴム製のままである。最後に灰皿を引きだすと、キコキコ音がする。
 
 ここで与太郎は、ふたたび考えこんだ。ワイパーやヒーターや灰皿に、
過剰な贅沢感を求めるより、乗用車本来の機能を追求すべきではないか。
 あまり快適な生活観は、いつか社会的に非難されるのではないか……。
 
 奇妙な反省にとりつかれたためか、思いきって契約書にサインした。
 結婚披露宴が終ると、会場の玄関に新車が届いている、というような
演出まで打ちあわせ、セールスマンは深々とお辞儀して帰っていった。
 
 すると翌日には、古顔のトヨタのセールスマンが現われた。
 「ダメです、そんなもの買っては」「もう、契約してしまった」
 彼は、にっこり笑って《解約手続書》を取りだした。
 
 「昨日の今日では、断りにくいよ」「なに、わたしが断ってきます」
 かくして《委任状》や《購入契約書》が、つぎつぎにカバンの中から
出てきたのである。さいごに彼は、鼻歌を歌いながら帰っていった。
 
 このエピソードは(他の事例は知らないが)与太郎の記憶において、
重要な位置を占めている。当時は与太郎自身もセールスマンだったから、
こんなに自信たっぷりに売りつけられたことに、おどろいた。
 
 結婚披露宴が終ると(会場の玄関に)コロナ・ハードトップが横付け
されたのは、かくなる事情である。そのあと与太郎は、一年ももたずに、
(毎月平均7万円の出費に耐えきれず)この愛車を手ばなした。
 
 いま思うに、このとき三菱の販売会社の上司は、新米社員の報告を、
だまって聞いたのだろうか。所長以下、なにがなんでも与太郎の家まで
押しかけて、解約撤回を要求すべきではなかったか。
 
 三菱の上司は「そんなら他で取りかえせ」とでも叱ったのだろうか。
 受付に《解約届》をもってきた男に、だれも声をかけなかったのか。
 そんな企業体質が、のちの自動車業界を色分けしたのではないか。
 
 逆の想像もできる。トヨタの受付に、三菱のセールスマンが意気揚々
とあらわれて《解約届》を差しだしたら、トヨタの連中は黙ってしまう
のだろうか。血相かえて顧客のところへ馳せつけるような気がする。
 
 その後、三菱自動車からは誰ひとり連絡がなかった。かわったことと
いえば、最初にセールスマンを紹介してよこした近所の整備屋が、それ
きり道で会っても挨拶しなくなった(紹介報酬は当時一万円だった)。
 
 ◆ はるかなる灯
 
 後年、地方在住者となってから三菱の軽乗用車に乗ったことがあるが、
ひどいポンコツだったので、これで品質や性能を論じることはしない。
 いま身辺に三菱自動車はないが、二年前に買った電化製品はある。
 
 近年のエアコンは、あまりに静かなため、電源が入っているかどうか、
ときどき確認しなければならない。あまりにも暑すぎて利かなかったり、
冷えすぎるときには、いったん電源を切ることが必要なのだ。
 
 三菱のビーバー・エアコンでは、電源ランプが点灯しているかどうか、
判別しがたい。その理由は、レンズの位置がどっちつかずだからである。
 座ったままで見にくいからといって、立ちあがってみても、見にくい。
 
 こういう欠陥を、なぜ設計者や製造工場が気づかないのか、不思議で
ならない。一年以上使ってみてから、ようやく思いあたるので、店頭や
カタログ上の情報からは発見できないのだ。  (Day'20040810-0902)
 
 ↓ エアコン(続々)
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20021225
 ↓ 
 創業記念日の初公判 〜 大企業の老化 〜 三菱自動車134年史
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040901
 ↓ 
 リ・タイヤ 〜 ブランド脱落 〜
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040325


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