与太郎文庫
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2004年07月17日(土)  現代人の背中 〜 四宝から三宝へ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040717
 
 そもそも文房四宝とは「筆・墨・硯・紙」だったが、万年筆の出現で
「筆・墨・硯」が一体となってしまった。そこで、かつての文学青年は
風呂敷を加えて“三種の神器”などと称したことがある。
 
 風呂敷ではなく、柳行李(やなぎ・ごおり)いっぱいの原稿ともいう。
 それくらいの書きだめがないと(新人賞を取って)いざ売りだすにも
あとが続かないから、出版社も乗り気にならないそうだ。
 
 武家の長男は、そのまま家督を継ぐが、次男以下は、馬一頭もしくは
鎧具足一式を持参金がわりにして、養子に出される。縁組が決まるまで
“部屋住み”と称して、居候あつかいだった。
 
 文学青年たるもの、どうせ一族の厄介者だから、いつか家を出る覚悟
がなければならず、たとえポーズだけでも必要なので、鎧具足の代りに
柳行李いっぱいの古原稿を見せびらかしたのであろう。
 
 与太郎の縁戚に一人(妻の親戚にも一人)実在したので、実際のナマ
原稿を読んだことがある。あるいは故郷を捨て、都会に放浪する中年の
文学青年とも知りあった(彼はシェーファーの万年筆を持っていた)。
 
 同世代の文学青年は(初対面だったのに)ナマ原稿を見せてくれた。
その場で批評を求められ「すぐには理解できない」と答えると、長髪の
美青年は、たちまち不機嫌な表情で立ち去ってしまった。
 
 伝説の、若き日の水上勉は、赤子を背負って出版社をまわったという。
 編集者があらわれると、着流しの懐中から風呂敷につつんだ生原稿を
取りだして長い髪をかきあげる。ここまでやられると断りにくいそうだ。
 
 たぶん最後の文学青年は、松本清張ではなかったか。
 彼は(通勤の途中も)手帳にシャープペンシルで書きこんでいたが、
あるとき大切なシャープペンシルを(線路の上で落して)失なった。
 
 馬一頭や鎧具足一式は、家一軒に相当する財産だった。これがのちに
柳行李に置きかえられ、風呂敷につつまれた原稿用紙と万年筆になった。
(いまだ書きかけの原稿用紙が一束、というあたりが切ない)
 
 現代の文学青年は、ケータイ(携帯電話)でウェブ日記を書いている
にちがいない。さすがの与太郎も、まだ会ったことはないが、あるいは
与太郎自身が文学青年かもしれない。なにしろ、タダ同然なのだ。
 
 小学生が、同級生を読者とするホームページを公開して、殺人事件に
発展してしまった。すぐにパソコンやテレビを規制すべきだ、と言った
のは、ネットワーク圏外の人たちだろう。
 
 初対面の人と名刺交換するのは、日本人特有のいやしい習俗ではない。
 一枚のカードから、相手がどんな階級集団に属して、いかなる文化的
センスを許容しているか、握手するよりも分りやすいからだ。
 
 さらに現代人は、相手の個人的見解が、いかなる思想的背景のもとに
あるか興味を示すことができる。「私のホームページを読んで下さい」
「あなたのページを読みたい」という英会話の例文が普及するだろう。
 
 ただし、いいことばかりではなさそうだ。とびっきりの美人に会って、
「ケータイ番号はダメだけど、HPアドレスならOKよ」と教わって、
読んでみたら、ウンザリするほど退屈だった、という場合もあるはずだ。
 
(未完)

→ 1967年01月20日(金)  退屈論
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19670120


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