与太郎文庫
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2004年06月08日(火)  戯歌問答 〜 手ぐすね三傑 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040608
 
>>
 
 前略 久しぶりに(全く!)会い語らうことが出来て本当によかった。
すっかりご造作をかけましたが、お許しを。楽しく美味しい数刻でした。
ふと浮んだ貴兄の名前詠み込みの戯れ歌を裏面の空白に。ありがとう。
 怱怱 
 
 あっという間に 別れの刻が またそのうちにと 
   さりげなく 友を見送る 白い髪 
 
── Let'20040608-0611 from Mr.Nakabayashi,Hayao
<<
 
(返歌)
 
 なつかしや 
 かみはしろくなろうとも
 はなせばもとの
 やさおとこ
 しばしのえがお
 はやおもかけ   (与太郎より まいくさん江)
 
 戯れ歌は こんな調子で いいのかな?
 あのときの 年譜のコピー 送られたし
 いささか調べてみたいので
 


 清水 紘治        俳優 19440211 京都 /1994大谷 直子と離婚
♀島倉 千代子       歌手 19380330 東京 /〜からたち日記/人生いろいろ
 中林 速雄 NHKアナウンサー 19360331 大阪
 コロンビア・トップ   漫才 19220506 東京 20040607 82 /元参議院議員
 森繁 久弥        俳優 19130504 大阪 /〜夫婦善哉/知床旅情
 九十九 黄人 東洋民俗博物館長 1893.... 奈良 19980215 103
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(つくも・こうじん)籍=九十九 豊勝(産経データベース)
《たけし・さんまの“偉人伝説” 19970402 》TV出演

 
(奇談)
 
 以下の余談は、すこし込みいっているが、面白い人には面白いはずだ。
 結婚披露宴が終ってから、与太郎がロビーであいさつなどしていると、
中林氏に、ひとりの老人を紹介された。偶然ホテルに居合わせたという。
 
「こちらは写真ライブラリーを構想中のカメラマン。この方は中国文化
のコレクターで、あやめが池で東洋民俗博物館のオーナー」と紹介され
たので、つつしんで名刺を交換する。(19670120)
 
 多忙な新郎は、すぐに他の人に話しかけられて、老人のことは忘れて
しまった。そのあと老人は、与太郎の女友達(歌手・清水まり)に着目
して、まことに手ぎわよく話しかけたらしい。
 
 彼女は大映映画の脚本家の娘であり、俳優・清水紘治の姉にあたる。
同志社女子高校を出たお嬢さん育ちだが、クラブで歌っていたところ、
与太郎の席に呼ばれたのがきっかけで、すっかり意気投合したのである。
 
 そういう間柄だったが、目鼻立ちの派手な彼女が、与太郎の披露宴で
《ラ・ビアン・ローズ(ばら色の人生)愛の讃歌》など表情たっぷりに
謳いあげたものだから、田舎から出てきた老人たちは驚いてしまった。
 
 すでにして与太郎の遊蕩ぶりは、知る人ぞ知るほどだったので、無粋
な親戚に「あの女は何者か」と後日誰何されたりしている。とはいえ、
いかなる愚か者でも、わけありの女に歌わせるはずもないのだが……。
 
 同伴者なしに招待された独身女性が、ホテルのロビーが混雑する中で、
すぐには帰る気にならなかったのだろう。いまなら予想できなくもない
が、友人の誰かがエスコートしてくれるべきだった。
 
 どことなくポツンとしている風情に、絶妙のタイミングで老人が接近
したらしい。彼女は、NHKきっての優男が与太郎に紹介したのを傍観
していたので、話しかけられると愛想よく応対したにちがいない。
 
「あなたも、新郎のお知り合いかな?」(与太郎の想像による会話)
「はい、そうですけど」「なかなか、盛大だったようですな」「ええ」
「新郎は、なかなか好青年ですな」「そうですね」
 
 この程度の会話で、わかい女性が心を開いたとしてもやむを得ない。
「わたしは、もと教職の身でしてな。いまは中国文化の収集家として、
ささやかな民俗博物館を開いています」「まぁ、どちらで?」
 
「近鉄沿線のあやめが池公園の中ですよ」「あら、こどもの頃に何度も
行ったのを覚えてますわ」「そうでしょうとも、ぜひもう一度ごらんに
なりませんか、よろこんでご招待いたしますよ」「それはどうも」
 
 ふつうは、ここまでの社交辞令で終るはずである。ところが意外にも、
まんまと(数日後だかに)彼女は出かけて行ったのである。そのあとで
与太郎は彼女から、耳を疑うような事実を聞かされた。
 
「あの先生がね、わたしの背中に触ってきたのよ」「なんだって?!」
 与太郎は彼女を問いただすよりも、素性の知れない老人の口車に乗せ
られて、ノコノコ出かけたことが心外だった(なにがセンセイか!)
 
 遊蕩や放蕩を非難される者なら、おのずから卑しい世界に通じている。
卑しい行為が恥ずべきことも知っている。誇りたかい女性なら、許され
ざる者を一蹴することを、切望してやまないのである。
 
 たぶん彼女は、決然として博物館を出たにちがいない。老人も無礼を
詫びたにちがいない。それ以上の事態は考えられないものの、与太郎は
その日を最後に、彼女と絶交してしまった(なにが好青年か!)
 
 いま思うに、与太郎は彼女を妹のように、淑女として遇していたのだ。
いかなる事情にせよ、たとえ老人であろうとも、わかい女性がひとりで
訪問するなど許せなかったのだ。どうして一言、相談しなかったのか。
 
 与太郎は、あやめが池の博物館など知らないが、どうやら“その道”
の逸品・珍品が並んでいるそうだ。資産家の息子だった九十九老人が、
戦前から中国大陸にわたって集めたコレクションの数々だという。
 
 与太郎の後日談を、はじめて聞いた中林さんは、付けくわえた。
「九十九さんは、すぐに触るらしいんだよ。気が小さいから、断わられ
るとすぐ引っこめるんだそうだ」(37年前に聞いておくべきだった)
 
 すきあらば だめでもともと 四十八手(あのてこのて)
 化人か偉人か 九十九黄人
 へのこもねむる 百三っ(草木も眠る丑三つ時)
 
「そりゃ“モリシゲ”だ」 与太郎は思わず叫んでしまった。
「そう! ダメモトだが、お金持ちだからね、断わらなかった相手には、
いっぱいプレゼントするらしい」森繁久弥の手くせは、有名だ。
 
 ふたりで散々“不良老年”を茶化したあとで、しみじみ語りあう。
「しかし、われわれだってエラそうなことは云えないよ。イザとなれば、
あるいは“スキあらば”その道に通じるかもな」「そうともさ」
 
 きのう、コロンビア・トップの葬儀では、島倉千代子がワイドショー
のマイクに向って(目頭を抑えながら)こう証言していた。
「おっちゃんは、すぐに触るのよ。あたしも随分さわられたの」
 
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(現況)
 この博物館とあやめ池遊園地は、まもなく閉鎖されるという。
 往年の情景は、つぎのサイトで活写されている。
 
http://www.kanshin.com/index.php3?mode=keyword&id=444102
── 東洋民族博物館《関心空間》
 
 つづく(Day'20040611)Day'20040603<20040605


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