与太郎文庫
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2004年03月07日(日)  Diary 0307

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040307
 
 啄木の母
 
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 啄木の日記は、明治35年(1902)10月、17歳ではじめて東京に出るとこ
ろから、同45年4月13日、27歳をもって病気と貧困のうちに窮死する直
前の 2月20日まで、およそ10年間にわたっている。最後は「……金は
ドンドンなくなった。母の薬代や私の薬代が1日約40銭の割合でか─っ
た。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たった一晩家においた
だけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢った。
医者は薬価の月末払を承諾してくれなかった。母の容態は昨今少し可い
やうに見える。然し食欲は減じた」というところで終っている。それか
ら2週間後に母は死に、さらに1月後には啄木自身もその後を追う/。
── 桑原 武夫・編《石川啄木・ロ─マ字日記 19770916 岩波文庫》P242
 
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 最後の日付0220は誕生日、その二週間後・母カツの死は0303(?)、さら
に1月後0413には啄木自身の命日。日数をあらわすのに、週と月を混用
したため、計算が合わない。
── 《Day was Day 20001231 Awa Library》P114
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── 【石川啄木】(明治)四二年「東京朝日新聞」の校正係として就
職、下積みの日─が続いたが、大逆事件の情報にいち早く触れるなど、
社会主義思想に眼を開かれる契機を得た/没後に土岐善麿により、詩集
『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』を収める『啄木遺稿』(大二)
が刊行された。
── 《新潮日本人名辞典 19910305 新潮社》P127
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 ラヴェルとガーシュイン
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 1928年の初め,ラベルはアメリカヘの演奏旅行に出かけました。
 この頃から失語症や失書症が現れ始めました。しかしこの後も前記の
名作を次々に物にしました。
 53歳の誕生日を祝って,1928年3月8日(木),ニューヨークで誕生
パーティーが催されました。
 この席にガーシュインも招かれ、運命的出会いが実現しました。
 この二人の天才には,奇しくもこの邂逅(かいこう)から9年後の
1937年に共に脳外科手術を受けて死ぬという共通の運命が待っていまし
た。
 1937年ごろからひどい頭痛を訴えるようになりました。
 ヴァンサン教授は脳腫瘍や血腫の可能性を考え12月19日に開頭手術を
行いましたが、脳腫瘍は見つからず、12月28日で死亡しました。享年62
歳でした。
 彼は自分の名前も書けないないなど巣症状が著明であったにもかかわ
らず、楽想はほとんど侵されなかったというところが極めて特異です。
 病跡より彼の病気はMesulamの提唱した「全般的痴呆を伴わない緩徐
進行性失語症slowly progressive aphasia without global dementia」
と診断されるということです(岩田誠先生説)。
── 文献:岩田 誠 Brain Medical の連載 1996
http://homepage2.nifty.com/uoh/kyouyou/01ongakuka.htm#ラベル
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 ラヴェルは一九三二年に自動車事故にあった。そのために脳に障害を
起こし、ひいてはかれの死因となったという説がかなり広く信じられて
いるようだが、著者は本文中にもあるとおり、はっきりとこの説を否定
している。手術後の発表によれば、かれの脳障害は自動車事故とは無関
係であり、腫瘍の存在も認められなかったという。結局、脳実質の「萎
縮」であると発表されたが、その原因は明らかにされていない。あるい
は現在ならば、脊髄小脳変性症とでも診断されたかもしれない。
── Jourdan-Morhange,Helene《Ravel et Nous,》P308-309 〜 訳者あとがき 〜
安川 加寿子&嘉乃海 隆子・共訳《ラヴェルと私たち 19680820 音楽之友社》
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 嘉乃海女史の父は、京都市伏見区の救急病院長。


♀石川 カツ 啄木の母 1847・・ 岩手 東京 19120307 65 弘化 4.誤=19120303
 Ravel,J.Maurice  18750307 France  19371228 62 193510..事故〜《Bolero》
 Gershwin,George  18980926 America  19370711 38 《Rhapsody in Blue》
 岩田 誠 神経内科学 19421005 東京          /東京女子医大教授
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 Mayol,Jacques  19270401 France Italy 20011223 74 首吊自殺/海洋冒険家
 Moyer,Jack T.  19290307 America 東京 20040110 74 薬物自殺/海洋生態学


 二人のジャック
 
 マイヨールは上海生まれ。1976素潜りで水深100メートルを超える記
録を作り、リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」のモデル
にもなった。“伝説的ダイバー”
 
 モイヤーは約50年前に三宅島に移住した。住民と交流しながら自然
や海を学ぶ教室を開くなど、環境教育にも長く貢献。日本魚類学会理事、
都観光事業審議会委員なども務めた。02年、復興のため「三宅島救済
アカコッコ基金」を設立した。/ジャズ・ピアノ愛好
 
 故ジャック・モイヤー氏(海洋生態学者、1月10日に死去判明)を
しのぶ会 2004年3月7日午後2時から東京都新宿区百人町2-27-7、
ホテル海洋で。親交のあった19人が発起人になり、献花やジャズ演奏、
写真パネル展示などを行う。会費3000円。


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