与太郎文庫
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2004年02月26日(木)  遠来の人々

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040226
 
 プロローグ
 
 この物語は、わずか三日間の出来事だが、例によって30数年の話と
交叉するために、叙述の手腕を試されるような気がする。
 《チボー家の人々》や《ユリシーズ》のように、何年もかけて大作に
仕上げることも夢みたいが、いますぐ登場人物や関係者が読んでくれる
ことにもWeb日記の面目があるので、いそいで(数日のうちに)書き
とばすことにする。
(誤植や勘違いを恐れないことを、あらかじめ断わっておく)
 
 距離的にも時間的にも、はるかなる知人が《与太郎文庫》を知って、
ようやく発信したメールを、与太郎は一週間も見逃していたのである。
 彼が到着する前日に発見したため、めでたく30数年ぶりに再会する
ことができたが、あと三日遅れていたら、与太郎は「不実な人」として
彼の記憶に再入力されたかもしれないのだ。
 
 はてなQ&A
 
 このたびの大切なメールを、一週間も見逃したことを反省して、つぎ
のような質問を公開したところ、たちまち十数通の回答が寄せられた。
なかには質問をとりちがえた例もあるが、メール・ユーザーにとって、
かならずしも絶対確実な方法があるわけではないことが判明した。
(それぞれの回答は、ここでは略す。20040226 14:07-0228 )
>>
 数十年ぶりの友人から来たメールを、あやうく見逃すところでした。
 大量の配信メールの中から、見なれない差出人だけを発見する方法は
ありませんか。「着信拒否」より「受信諾否」のようなチェック機能で、
複数の受信トレイに振分できれば、と思うのですが。
http://www.hatena.ne.jp/1077772020
<<
 
 遠来のメール
 
 Mail'20040218 (水) 20:24 from Mr.Monji,Takeshi
 与太郎さん宛てにメールが届きました。
 件名:阿波さん 覚えてますか
>>
 前略 阿波 雅敏 さん、お元気ですか?
 久しぶりに先日 梅田で 出谷 啓 氏と一杯飲みながら(略)ホーム・
ページを教えてもらい、早速メールを。
 小生も 4年前にジュージヤを定年退職し その後ご縁があり、今は
「長岡京室内アンサンブル」というクラシック弦楽合奏団のマネージャ
ーを務めて、早や4年。
 今月の27日(金)午後7時から倉敷芸文館にて「くらしきコンサート
第69回」に出演いたします。(略)都合が付く様なら 連絡ください。
 
 Mail'20040225 05:08 to Mr.Monji,Takeshi
 メール拝見
 
 ミスター・大文字くんへ!
 たったいま、メールを発見したので、いそいで返信を。
 ぜひ会いたいですね。
 当日の演奏は(君が弾くわけではないのだから)聴かなくともよいが、
ゆっくり話したいので、(前日か当日の夕食を)ご馳走しましょう。
 (ぼくは十数年前に断酒しましたが、お相手できます)
 きみの都合を優先したいので、もういちどメールをください。
 小文字くんは元気ですか?
 チェロの白石 将 氏も、松永クヮルテットで健在らしいですね。
                 与太郎こと 阿波 雅敏
 
 Mail'20040226 (木) 00:13 from Mr.Monji,Takeshi
 Re: メール拝見
 電話ありがとうございます。お元気のご様子何よりです。
(略)お会いできるのを 楽しみにしています。では又。
                       文字 武
<<
 
 彼の苗字がめずらしいだけでなく、クラリネット奏者の弟が存在する
ので、同僚や友人たちは兄弟を区別するため“大文字・小文字”と呼び
ならわしていた。
 夏の京都に「大文字焼き」という行事があり dai-Moji とも発音する
が、彼らの英文名刺や、このたびのメールでは dai-Monji & ko-Monji
と読むのが正しいらしい。
「覚えてますか?」という相手に「覚えているとも!」というかわりに
「大文字くん、小文字くん」と答えたのは、はじめに兄弟いずれだった
か戸惑って、古い名刺台帳で確認したためである。
(弟の清君についても、いずれ書きとめたいエピソードがある)
 
 ともあれ、からくも30数年ぶりの再会が実現することになった。
 まずは一席設けなければならない。前日のうちに予約をすませたが、
このことついては、いささか不本意な不手際があったので、あらためて
詳述することにする。
(不手際を叱るのが目的ではない。「内田 百�痢�山口 瞳」の項を参照)
→ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040203
 
 いまさら凡庸だが、「京の着だおれ、大阪の食いだおれ」というのは、
与太郎にとって重要な命題である。いまでも外出する夢を見るときなど、
洋服ダンスを開くシーンから始まるほどである。
 人によっては「身なりに気をつかうのは男らしくない」とか「うわべ
を取りつくろうのは不正直だからだ」という非難もあるが「服装ごとき
配慮できないような相手は信頼できない」との反論もある。
 つい昨日も「はてな問答」で、与太郎はつぎのような美学論を述べた
ばかりである。(2004/02/24 07:58)
 
>>
 アルコールの禁断症状に苦しむ元刑事の枕元には、頭の天辺から爪先
まで、選りぬきの逸品が収められた、大きな衣裳ケース……その翌日、
さっそうたるファッションで登場する伊達男(イヴ・モンタン)……こ
れぞ「ルイ・ヴィトン」の名を(男たちに)知らしめた名場面でした。
 映画《仁義 19701212 France》(略)
 私の(40年来の)ダンディズムは「一ヶ月の月収で身なりを整える」
ことが基本でした。それ以下ではみすぼらしく、それ以上だと分不相応
に見えるので、経済学であるよりも男の美学にかかわると考えたのです。
→ http://www.hatena.ne.jp/1077554197
<<

 遠来の客を迎えるには、まず身を清め、髪を梳き、お気に入りの服を
選ぶ。新しいシャツと、古くても愛着のあるスーツを、かならず前日に
点検しておく。いささか季節にそぐわない場合には「もはや人生の秋を
過ぎたのだから」と自分に言いきかせる。
 いまもって難しいのは、ベスト・コンディションにもっていくための
睡眠確保である。できることは、当日の時間割を作って、用意するもの
を書きだし、会ってからの質問と、予想される質問を、なるべく綿密に
リスト・アップしておく。さらに、すべて他の雑用をカットする。
 いまでこそ、こんなことを云えるのだが、若い頃には、あれもこれも
やりのこした雑用が山積していて、何事につけ万全を期すことは不可能
だったのだ。
 さいわい、前日はハイ・テンションながら、眠ることはできた。
 
 炭屋の客
 
 いよいよタクシーを呼んで倉敷駅前に向う。
 京都からの友人を30年ぶりに迎えて、夕食をともにすることを自慢
したが、おもしろいことには翌日も、おなじ運転手にあたった。30人
ちかい数のなかでの確率らしい。彼は話の内容をよくおぼえていたので、
ふしぎな偶然の符合(昨日からのつづき)を理解できたはずだ。
 
 駅前で降りて、三越うらの理髪店に入ると、モダン・ジャズが流れて
いる。マイルス・ディビスの映画《死刑台のエレベーター 19580926 仏》
だったかな。
 前に来たときには気づかなかったが、待合席の本棚には数十枚のLP
レコードとが関連書籍が並んでいた。
「マスターは、ジャズ・ファンですか?」
「ええ、クラシックも聴きますが」
「楽器をやるんですか」
「いや、オーディオが好きなんです」
「なるほど。ぼくはオーディオもジャズも不案内だが、クラシックには
うるさいんだ。なにしろ、これから会うのも30年ぶりの友人で、京都
の室内オーケストラを連れてくるマネージャーでね」
 数年前「悪友再会」の朝も、この店に立ち寄ったのを思いだし、今日
は京都時代の友人を30年ぶりに迎えることを自慢する。
 
「わたしも、若いころ京都へ行ったことがあります」「あぁ、そう」
「炭屋旅館の堀部さんという方の、当時日本一といわれたリスニング・
ルームを、たずねて行ったんです」
「えっ? 堀部さんに会ったんですか」
「ええ。当時《レコード芸術》の記事を読んで、そんな立派な設備なら、
ぜひいちど聴かせてほしいと手紙を出したら、それじゃいらっしゃいと
返事が来たんです」
「おやおや。その記事は、炭屋旅館のリスニング・ルームの工事経過を、
写真入りで紹介してたでしょ。その撮影者は、わたしの名前が印刷され
ていたはずだ」
「へえ、そうだったんですか」
「出谷 啓 という音楽評論家は、知ってますか」
「会ったことはありませんが、読んだことはあります」
「当時、評論家になりかけのデーやんが、指一本シャッターに触れない
のに、なんでアンタの名前が載っとるんや云うたが、実際のカメラマン
は上野 比紗緒氏で、ぼくは撮影ディレクターという役割だったからね」
 ここで理髪師と客は、おたがいの偶然について情報交換をする。
 完成後に投宿した村田 正雄氏の部屋に、若き日のデーやんと与太郎
が招かれ、主人の堀部 公允氏の前で酒盃を受けたのである。
 
「聴かせてあげる、というから汽車に乗って出かけたんです」
「それで、泊めてくれたんですか?」
「えぇ、まぁ」
 なんと、メシまで食ったにちがいない、たいした度胸だ。
「おどろいたなぁ、そもそも炭屋は、イチゲンを泊めないのに」
 炭屋、柊屋、俵屋を京都の「三大老舗旅館」と称するが、料金はとも
かくとして、敷居が高いので有名である。いまでこそ円高のおかげで味
をしめた日本人の旅行客が、札束をふところに世界中を旅行しているが、
30年前は、ナイフとフォーク、ましてや会席膳の作法におびえていた
はずである。
 あらためて与太郎は、たずねてみる。
「マスターも、この店の二代目ですか」
「いいや、初代ですよ」
「つまり30数年前のマスターは20代そこそこで、云っちゃぁ何だが、
見ず知らずの青年に、どうぞいらっしゃいと云った堀部さんも、さすが
お大尽だな」
「裏千家の幹部で、京都きっての文化人ですからね」
「その雑誌《レコード芸術》を、ぼくは失くしちゃったけどね」
「わたしは、いまでも大切に持っています。よかったらカラー・コピー
して送ってあげますよ」
「そりゃありがたい。せめて掲載年月日だけでも知りたかったのでね」
 
(つづく)
 


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