与太郎文庫
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2003年11月12日(水)  物価の記憶

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031112
 
 江戸学の杉浦日向子によると、ほとんどの江戸市民は、生涯を通じて
一両小判を見ることがなかったらしい。
 なにしろ、当時の通貨は米だったといわれ、時代劇に出てくる一両や
百両は、実は矛盾に満ちているので、作家もくわしく触れないという。
 また、260年間にわたる江戸時代の相場変動を、一律単純に現在の円に
換算できない。
 しかし、今日のように経済学や金融論が論じられるなかで、われわれ
の歴史資料として、通貨や物価の相対的価値を、そろそろ近代的な手法
で情報公開できないものか。さもなくば、ドルやポンドの経済史学だけ
で日本経済史を推しはかっては、いかに鎖国経済といえども、研究成果
に期待できない。 
 
 日本初の国民車は軽のスバル 360、普通車ではパブリカ 800である。
 パブリカの当初の構想は“千弗カー(360,000円)”だったが、発売
にあたっては“年収カー”とも呼ばれた。
(1961年の平均月収30,000円に対し、高卒の初任給は7,500円だった)
 
 1958・・ 富士重工・スバル 360       \ 425,000
 196106・ トヨタ・パブリカ 800       \ 389,000
 1966・・ トヨタ・コロナ・ハードトップ DX \ 700,000
 1966・・ トヨタ・クラウン DX       \1,400,000
 
 このころの重要な物価指数として、カラーテレビの普及がある。
「1インチ1万円」といわれ、13インチ13万円の製品が主流だった。
 モノクロで見なれていた番組も、あらためてカラーで見るうちに、
ついつい最後の《君が代》まで見てしまったものだ。
 すべての人気番組がカラーではなく《てなもんや三度笠》などは、
モノクロのままだった。しばしば番組の途中でアナウンサーの常套句
「カラーでないのが残念です」が嫌味たっぷりに聞こえた。
 
 1967年ごろの概算として、一歳あたり千円を目安にしたことがある。
 高卒なら18歳だから初任給18,000円、大卒初任給は22,000円とする。
 結納金の相場は、50,000円、100,000円、200,000円の三段階だった。
(のちに月収の三ヶ月分とか云われるが、あまり実態に即していない)
 
 19601227 池田勇人首相“所得倍増計画”発表。
 1968年の平均月収は60,000円弱となり、高卒初任給は15,000円以上。
 たしかに8年後には倍増したが、これでは預金金利と変わらない。
 
 普通預金よりも郵便貯金のほうが、長期安定金利とされていて、概算
では8年で2倍になる。のちの住宅ローンは、この公式をもとにして、
土地だけが値上がりするであろうという“神話”に支えられていた。
 
 19710816“ニクソン・ショック”米大統領がドルの金兌換停止!
 19731017“オイル・ショック”原油価格が1972年末の約5倍に!
 19950419 1弗=79円75銭の“円高”史上最高値
 
(この項、未完)


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