与太郎文庫
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2003年07月23日(水)  なだしお事故

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030723
 
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 海上自衛隊所属の潜水艦「なだしお」はこの日、伊豆大島東方海上で
の展示訓練(公開訓練)を終え、横須賀港へ帰投の途中だった。総排水
量2550トンのこの巨大潜水艦は、日本初の対艦ミサイル搭載艦とし
て知られていた。
 操舵室から近藤がなだしおを視認したとき、まだ3000メートル以
上、離れていた。危険は感じなかった。距離は十分あるし、双眼鏡で見
ると、洋上から突き出たなだしおの艦橋には、白い制服を着た隊員の姿
も認められる。だが、黒い鉄の塊は、確実に近づいてきた。乗組員の1
人が「大丈夫ですか」と声を掛けると、近藤は「優先航路だから大丈夫」
と答えている。
 優先航路──海の交通ルールである海上衝突予防法では、2隻の船が
接近した場合、相手の船を右舷に見る船に回避義務、左舷に見る船に航
路保持(そのままの進路とスピードで航行を続ける)義務を定めている。
そしてこの場合、東京湾を横切って横須賀港へ向かうなだしおが、南下
してくる第一富士丸を右舷に見ていた。つまり、回避義務は潜水艦にあ
ったのだ。しかし、なだしおはみるみる接近してきた。
 近藤は、10ノットの速力(1ノットは1時間に1海里・1852メー
トル進む速さ)を7ノットに下げ、舵輪を左に回した。その時、近藤は
自分の目を疑った。なだしおも右転を始めていたのだ。万事休す。第一
富士丸となだしおは右舷同士で激突した。その瞬間、近藤は舵輪を握り
締め、「ばかやろう!」と叫んでいた。
── 祝 康成《真相はこれだ!不可思議8大事件の核心を撃つ 20011020 新潮社》P174
 
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 北村 光雄  第一富士丸一等機関士  1930 東京  19880723 58 註1
 大竹 善三郎 船橋化成        1930 東京  19880723 58
 山口 芳衛  伊藤忠非鉄金属     1936 埼玉  19880723 52
 中村 勝雄  第一富士丸コック    1936 三浦  19880723 52
 中島 利憲  伊藤忠マシナリー    1937 東京  19880723 51
 山内 隆幸  伊藤忠エレクトロニクス 1938 千葉  19880723 50
 地挽 和久  センチュリー・リサーチ 1939 川崎  19880723 49
 湯浅 善治  船橋化成社員      1939 千葉  19880723 49
 諸橋 光吉  伊藤忠倉庫       1940 埼玉  19880723 48
 中津 晶夫  伊藤忠非鉄金属     1942 東京  19880723 46
 天粕 雅央  伊藤忠倉庫社員     1943 東京  19880723 45
 落合 伸光  伊藤忠エレクトロニクス 1945 東京  19880723 43
 原  善樹  伊藤忠非鉄金属     1946 千葉  19880723 42
 土佐 雅弘  伊藤忠非鉄金属     1947 横浜  19880723 41
 北原 史郎  船橋化成        1947 千葉  19880723 41
 馬上 和彦  伊藤忠商事       1948 横浜  19880723 40
 信部 保隆  伊藤忠マシナリー    1950 埼玉  19880723 38
 須賀 茂   伊藤忠マシナリー    1950 埼玉  19880723 38
 中島 春敬  伊藤忠マシナリー    1950 東京  19880723 38
♀河原 真紀子 昭の妻         1950 埼玉  19880723 38
 帆保 真也  日石伊藤忠       1954 東京  19880723 34
 内山 功   伊藤忠マシナリー    1959 埼玉  19880723 29
 三河 慎一  伊藤忠マシナリー    1959 横浜  19880723 29
 松井 重樹  伊藤忠非鉄金属     1959 東京  19880723 29
 照井 真人  会社員         1960 神奈川 19880723 28
 中根 晃司  ナショナル証券     1962 横浜  19880723 26
 斎藤 英也  日石伊藤忠       1963 東京  19880723 25
♀湯原 真美  ナショナル証券     1964 東京  19880723 24
 諸橋 淳   伊藤忠倉庫       1971 埼玉  19880723 17
 天粕 泰秀  雅央の長男       1975 東京  19880723 13
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 近藤 万治  第一富士丸船長 195712・・/195802・・ 19920622禁固1.5年判決
 山下 啓介  なだしお艦長/二等海佐 1949 19920622-1210禁固2.5年猶予4年
 祝  康成(筆名=永瀬隼介)1960 鹿児島 〜《19歳の結末》
註1=19910715国と「富士商事」の損害賠償訴訟で和解成立


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