与太郎文庫
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2003年06月24日(火)  生没同日 〜 高木顕明の獄中自殺 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030624
 
 遠松忌 〜 高木顕明師の追悼法要 〜

 大逆事件に連座したとされ、無実の罪に問われて獄中で縊死した新宮
市大橋通、真宗大谷派(東本願寺)浄泉寺の第十二世住職、高木顕明
(たかぎ・けんみょう)師(一八六四年〜一九一四年)の追悼法要
「遠松忌(えんしょうき)」が八月一日(日)、新宮市の南谷墓地と
浄泉寺で営まれる。
「遠松(えんしょう)」とは、高木師の俳号で、これは浄泉寺の山号が
「遠松山(えんしょうざん)」であることに由来している。主催は遠松
忌実行委員会(実行委員は泉恵機大谷大学助教授、山口範之浄泉寺住職
など)。
 高木顕明師は愛知県生まれ。一八九九年(明治32年)に三十五歳で浄
泉寺の住職に就任。真宗の開祖・親鸞の教えを実践し、「南無阿弥陀仏
は(中略)真二御仏の救済の声である。闇夜の光明である。絶対的平等
の保護である」(高木顕明著『余が社会主義』から)として、被差別部
落の門徒と共に生き、今日の同和運動の先駆者として活動する。また、
大石誠之助や幸徳秋水などと親交を深め、宗教家としての立湯から非戦
論を唱えた。
「大逆事件」とは一九一〇年 (明治43年)、明治天皇の暗殺を謀った
して社会主義者や無政府主義者が一斉に逮捕される大逆事件が起こった。
幸徳秋水をはじめとする二十六人が逮捕され、このうち二十四人に翌年
の一九一一年一月十八日、死刑判決がおりた。幸徳秋水や大石誠之助な
ど十二人は間もなく死刑執行。高木顕明師など十二人は判決の翌日、無
期懲役に減刑された。しかし高木師は一九一四年六月二十四日、秋田刑
務所で自ら縊死した。五十歳だった。
 真宗大谷派は顕明師の逮捕後、師を住職「差免(さめん)」とし、死
刑判決がおりたのと同日付で、最も重い罰則である「擯斥(ひんせき)
<僧籍剥はく)奪/宗門追放>処分とした。しかし、平成八年、同派は師
の処分を取り消し、名誉回復することを決めた。
―― http://www.1.ocn.ne.jp/~jyosenji/kigihtm
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高木 顕明 (元治1/0521)18640624 愛知(和歌山)秋田 19140624/50 縊死
阿満 利麿 日本思想史 19391220 京都       明治学院大学教授


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