与太郎文庫
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2001年03月20日(火)  空の夢 〜 気球とボート 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010320
 
 おととい(ゆうべ)見た夢。空とぶ夢は、性的欲求不満らしいが……。
 貸しボートならぬ、貸し気球というものがあって、前にも夢で乗った
記憶がある。記憶といっても、夢の世界における記憶にすぎないが。
 
 気分がよかったので、今度は女房を連れて、もういちど乗ることにする。
 ビルのエレベーターに乗ると、最上階に着いて、切符を買う。
 このとき免許証を見せる(運転免許があれば、飛行船も操縦できる)。
 
 ふと考えた。途中で気分が悪くなって、倒れたりすると女房があぶない。
 そこで、運航中に女房にも操縦方法を伝授しなくてはなるまい。
 ときにパイロットが気を失ったりして、素人の乗客が管制塔の指示だけ
で着陸に成功した実例もある。
 
 発進にあたって、ローソクのようなものに点火する。
 これがうまくいかないので困っていると、目が覚めた。
 ガソリンは2リットルあればいいという。
 
 着地も意外に簡単だ。手頃な空地(学校のグラウンド)が適している。
 ハンドルを動かすと、風の向きにしたがって、ゆっくりと方向転換も
できる。このたびの夢には、つぎの三つの特徴があった。
 
1.空とぶ夢は、性的欲求不満だと、フロイトが云ったらしい(*)。
2.夢のなかに、前の夢の記憶が存在するらしい。
3.目覚めてすぐに、別のエピソードを思いだしたこと。
  
 ◆
 
 夢の記憶と、現実のエピソードは、まるで関連がないように思える。
 別のエピソードとは、小学校五、六年のころの実話である。
(その日の写真も、アルバムに貼ってある)
 
 父と母に連れられて、京都洛西の鳴滝に遊んだ。
 広沢の池(周辺)に、貸しボートを見つけて、二階の座敷に上がった。
 父は昼酒を呑み、ひとり息子が貸しボートを操るのを眺めていた。
 
 親子三人の、しあわせなひとときだった。
 帰りがけに「もういちど来て、もう一度ボートに乗りたい」と云うと、
数ヶ月のちに実現したのである。
 
 おなじように父が昼酒を呑み、母が酌をしながら、ひとり息子が操る
ボートを見守った。小一時間ボートを楽しんだ息子が、座敷にもどると、
母が云った。
 
「ここの人に聞いてみたけど、なんならボートを買取って(契約して)
いつでも乗り放題にできるらしい」少年は、とても幸せな気分になった。
 裕福な両親に恵まれて、こんなに楽しい時間が過ごせるのだ。
 
 存分に満足して帰ることになった。帰り途で、母が父に云った。
「ちょっと鳴滝の別荘に寄ってみよか」「そやな、このあたりやったな」
 別の道に進んで行くと、巨大な岩石を積みあげた広壮な屋敷があった。
 
 母が懐かしそうに「ここや、わたしらが新婚時代に住んでいた家や」
と指さした。父も岩石を見あげてうなづいた。
 息子は、あまりに大きな家を見て、あっけにとられてしまった。
 
 まさに生まれてはじめての大きな家だった。以前アルバムに貼られた
写真で見たような気もするが、まさかこれほど大きいとは思わなかった。
 まるで勝ち誇ったように、通りすがりの外来者を見くだしていた。
 
 どうして両親は、こんな大きな家に住んでいたのか。どうやら自分は
この家の中で産まれたのではなく、胎中にあったにすぎないらしい。
 母の腹が大きくなったので、いまの借家に引越したとは聞いていたが。
 
 かねがね母は「まだ壁が濡れていた」と自慢していたが、しょせんは
借家だったのだ。みるみる息子の心は、しぼんでいった。
 さきほどまでの幸せな昂揚感は、みるかげもなく消えうせてしまった。
 
「なんや、なんでや?」十才の少年には、それが理不尽な感情であると
分っていたが、あらたな不条理が湧きあがってきた。
 しかし、許しがたい気分を、父や母に抗議する根拠も見あたらない。
 
 ついさっきまで裕福に思えた両親の姿は、この広大な屋敷の前では、
貧しい通行人にすぎなかったのだ。傷ついた少年は、わが家に戻っても
両親とも口を利かないまま、自分の部屋に閉じこもった。
 
── 外国の賓客を泊めるほどの大丸の下村別邸は別格としても、京都
の鳴滝別荘地には豪商の屋敷が並んでいた。のちに立石電機がオムロン
と改称したのは、その一角である御室の地名に由来する。六兄弟姉妹は、
ここで育った。かくいう与太郎も、この地で母の胎中にあった。ただし
ツバメヤの番頭だった父が新婚当時、管理人をかねていたにすぎないが。
── 《虚々日々 〜 フクちゃんの家 〜 20001224 阿波文庫》P063
(20010320-20060316)
 
>>
 
 積年のフシギ 夢 なぜ見るのだろう?/空飛ぶ意味は?(*)
 ◇「あの世」の創造に一役
 
 朝、起きるのがつらい季節がやってきた。あと5分、ぬくぬくとした
布団の中で夢を見ていたい……。ところで、人はなぜ夢を見るのだろう。
そして、ゆうべ見た夢には何か意味があるのだろうか。【太田阿利佐】
 
 なぜ夢を見るのか。この問いには二つの要素がある。どうやって夢を
見るのかというメカニズムの問題と、何のために見るのかという問題だ。
 
 夢に関する疑問は、人類始まって以来のものだろう。近代的な研究は
「夢判断」(1900年)で有名な心理学者フロイトから。彼は「夢は
深層心理や満たされない欲望の表れ」と考えた。53年に「レム睡眠」
が発見されると、生理学的な研究が活発化する。レム睡眠は、脳波は起
きている時と同形だが筋肉は緩み、眼球が盛んに動く。人はこのレム睡
眠時に夢を見ることが多い。ネコなどほ乳類も夢を見ているらしい。
 
 夢の研究が次の段階に進んだのは90年代後半以降、つい最近のこと
だ。fMRI(機能的磁気共鳴画像化装置)やポジトロンCT(PET、
陽電子放射断層撮影法)の登場で、睡眠中の脳の活動を画像として解析
できるようになった。
 
 脳の活動について、滋賀医科大学の大川匡子(おおかわまさこ)教授
(精神医学)は「眠りをつかさどる中脳や橋などは脳の深い部分にあり、
起きている時は脳の表面にある大脳皮質が活性化して外部の信号をキャッ
チしたり考えたりする。眠りに入ると中脳や橋などが活性化し、逆に大
脳皮質は活動が落ちる。これが睡眠の初めに生じるノンレム睡眠の状態
です。次いでレム睡眠になると、睡眠中枢が活性化しているのに、辺縁
系と呼ばれる記憶や情動(感情の動き)に関係する部分、1次視覚野と
呼ばれる見る機能に関係する皮質が活性化する。この時、私たちは夢の
中で見たり聞いたりしているのです」と説明する。
 
 一方、米ハーバード大学のアラン・ホブソン教授は、夢を見ている時
は作動記憶、自覚、論理性などを担当する前頭前野背外側部の活動が低
下していることを確認し、その著書「夢の科学」(講談社)の中で「夢
の中で適切な状況判断ができず、『これはおかしいぞ』というチェック
が働かないのは、こうした機能を支える脳の領域の活動が低下している
から」としている。
 
 では、夢は脳の活動で生まれる単なるノイズなのか。
 
 夢のはっきりした役割はまだ分かっていないが、こんな実験結果があ
る。単語を20個覚え、翌朝いくつ覚えているかを測る。その結果、4
時間寝たグループの正答率は8時間寝たグループの半分から3分の2だっ
た。「スキーやピアノなど運動に関する記憶も同じ傾向で、レム睡眠を
取らないと記憶力が弱まる。つまり、脳は夢を見ながら記憶したり、記
憶を選別する作業を行っている。嫌なことを一晩寝て忘れてしまう人は
元気に目覚めるが、こだわって眠れない人はうつうつとした気持ちが続
く。逃げる夢も多いが、逃げることは本能としての防衛機能で大切なこ
と。脳が万が一に備え、祖先の記憶を忘れないように夢を見せていると
も考えられる」と大川教授は話す。
 
 「夢分析」(岩波新書)などの著書がある京都大学大学院人間・環境
学研究科の新宮一成(しんぐうかずしげ)教授によると、夢には「四つ
の働き」がある。
 
 一つは眠りの継続。早起きして会社に行かなければならないが、脳は
眠り続けたい。こんな時に人は「既に仕事をしている夢」を見る。二つ
目は起きてから人を安心させる働きだ。「試験で苦しむ夢」から覚める
と、私たちはああ良かったと胸をなでおろし、現状を肯定できる。
 
 三つ目は、自分自身の存在が肯定されていた子供時代に戻ること。こ
れは「自分の生存は意味がないことではない」と自分に納得させる働き
がある、という。ただ、自分が成人として登場したり、記憶が子供の言
語に置き換えられて出現するため、とっぴな夢にもなる。そして四つ目
は、災害などの困難に直面した時、「これは現実ではない。夢だ」と思
うことで、脳にかかる生理学的な負担やストレスを軽減する働きだとい
う。
 
 「この世は夢に過ぎない、という考えは世界に広く見られる。この世
が夢なら、“現実”のあの世もあるはず。死ぬのは怖いが、あの世があ
るなら恐怖は薄れるでしょう」と新宮教授。
 
 また、夢の中では突拍子もないことが起きたり空を飛べたりもする。
そんな夢のストーリーや夢に出てくる物には意味はあるのだろうか。
 
 空を飛ぶ夢や火事の夢など、多くの人が見る夢をフロイトは「類型夢」
と呼んだ。新宮教授は「類型夢は、誰もが経験する幼いころの経験がベー
スになっている。現在の生活でその経験を参照する必要が生じると、夢
に出てくる」と説明する。
 
 例えば「空を飛ぶこと」は、精神分析では「初めて言語を獲得した時
の全能感」を象徴していると考えられている。進学や転職など、新しい
環境や課題に直面する時に飛ぶ夢は現れ、「かつて言葉を覚えたように、
今度もできるよ」とメッセージを送ってくれるのだ。それでも最後に落
ちる夢を見る人が多いのは「飛び続けていると、死者の仲間入りをする
ような不安が芽生えてくるからではないか」と新宮教授は言う。
 
 また、教授は「私たちは夢に予知能力を期待しがちだが、むしろその
時々の気掛かりとその解決が、夢でえん曲に表現されると考えた方がよ
い。夢は、夢を見る人の過去の記憶、現在の状態、そして『空を飛ぶこ
と』のようないくつかの象徴で構成されており、夢を見た人と、それを
聞く人の会話によって意味を見いだすことができる。夢を見た人が自ら
語ることで、その夢の意味を生み出すと言ってもいい」と付け加えた。
夢の不思議は、奥が深いようだ。
 
── 《毎日新聞 20041111 東京夕刊》<イラスト・平山義孝>
 
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作成日: 2006/03/16


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