与太郎文庫
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2001年03月08日(木)  シンフォニエッタ序章 〜 器楽部中興史 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010308
 
 クヮルテット 〜 弦楽同好会 〜
 
 昭和三十一年(1956)秋、同志社高校の掲示板に一枚のポスターが貼り
だされた。「弦楽同好会々員募集」とあって、学生服の弦楽四重奏団が
劇画ふうに描かれている。
 作者は、チェロを始めて三ヵ月目の二年生である。
 ポスターをみて現われたのは、一年生の須磨章彦君ひとりだった。
「ヴァイオリンは、いつから習うとるんや」
「えーと、半年くらい前からです」
「なに、半年? よろしい、来週から楽器を持って来たまえ」
 二人あわせて九ヵ月では、どうにもならないから、中学時代の名簿を
ひっぱり出し、ジュニア・シンフォニー出身者を総点検する。文芸部の
後輩に竹内 康 君がいたので、先輩づらをして誘ってみる。
「どうや、もういっぺんヴァイオリンを弾いてみないか」
「ボクは、他にやりたいことがあるので……」
「そうか、まぁ、その気になったら来てくれ」
 とはいったものの、他にメンバーのアテはない。かすかな情報をたど
って、三年生の福地公直君が、むかしむかしヴァイオリンを習っていた
ことを聞きつけ、さっそく口説いてみる。
「下級生に、ヴァイオリンを教えてくれませんか」
「むかし習うただけで、いまごろ弾けるかどうか、わからんけど」
 少々たよりないが、ともかく参加してくれることになった。
 なにしろ、弦楽同好会の結成届を学校に出すとき、生徒会には文化祭
のプログラム枠を予約したので、当日までには、せめて弦楽四重奏団の
員数だけでもそろえなければならない。
 こうなると先の竹内君だけが頼りだが、その後の彼は、何となく目を
あわせないようにするので、思いきって自宅に公衆電話をかけた。
(当時の電話普及率は、校内で約75%である)
 もはや先輩風を吹かせる段階ではないから、うんと下手にでる。
「だいたいメンバーがそろうたから、あとは君が第一ヴァイオリンを」
「ボクは、他にやりたいことがあるので……」
「君ぐらい弾けたら、ほんの数回リハーサル程度でもええから……」
 確約がとれないまま、電話が切れてしまった。どうも心配でならない。
 月曜日の朝、通学路でヴァイオリン・ケースを提げた彼の後姿を発見
したときは、千年の恋がみのったような気がした。
 やっとのことで頭数はそろったものの、用意した譜面のうち、満足に
弾ける曲がない。ハイドン《弦楽四重奏曲》のなかでは、四人の独奏が
あいついで展開する“皇帝変奏曲”こそデビューにふさわしいのだが、
とても手に負えないことがわかった。
 だんだんレベル・ダウンして、最後は“ひばり”第一楽章に落着く。
「ハイドンは、どうもねぇ」と気乗りしなかった竹内君も、本番の日が
近づくにつれて「シェラフ(寝袋)を持ちこんで泊りこもうか」と言う。
 彼は山岳部にも身をおいていたのである。
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── 《皇帝賛歌》の歌詞、一番は「外国を刺激する」、二番は「意味
がない」ので、三番だけが“ドイツ国歌”として歌われている。
── 《朝まで生テレビ 19990327 テレビ朝日》
── この曲は、たぶんハイドンの作になるオーストリア国歌の変奏曲
のために、彼の弦楽四重奏曲の代表作のように知られ親しまれているが、
ガイリンガーは、「驚くほど霊感にとぼしい四重奏曲で、彼の後期作品
の系列に位置づけることがほとんどできない」と極言している。
── 大宮 真琴《名曲解説全集 8 19591110 音楽之友社》P086
 古楽器による現代的演奏(NHK芸術劇場)を聴くと、初演時のサウ
ンドは、当時としては前衛的ではなかったか。
“カンちゃんの決断”(その三)初のジャズ演奏に大拍手。(杉山忠彦
書簡)(その二)卒業前に九万円を借金。《Day was Day》P074 参照。
 
── アードラー,サミュエル (米)作曲家、指揮者 19280304生。
 ボストン大学でガイリンガーに,ハーバード大学でピストンとヒンデ
ミットに学ぶ。タングルウッドでの夏季音楽講習でコープランドとクー
セヴィツキーの助手を務めた。50年米陸軍に入りドイツ駐在。第7軍交
響楽団組織,ドイツ,オーストリアを演奏旅行、成功を修めた。53年ダ
ラスのエマニュエル大聖堂の音楽監督。交響詩「kinnereth」,VLAと弦
楽オケのための「2つの詩曲」等。
── http://lion.zero.ad.jp/hanao/composer/comp03.html
 カール・ガイリンガーはアメリカ・ブラームス協会会長(生没未詳)。
著書《バッハ−その生涯と音楽 1967》など。ボストン大学教授?
 
 
 
 クィンテット 〜 移調と変調 〜
 
 つぎに、ヴィオラをどうするか。なにしろ楽器そのものがない。中学
の本宮先生にたのみこんで借りるのは簡単だが、そうなるとメンバーの
顔ぶれまでバレてしまう。すると先生は、言うかもしれない。
「そのメンバーでは、三年かかってもムリやないかナ」
 これでは在学中に間にあわない。先生に甘えすぎて、中学生の助っ人
まで借りるようでは、高校の文化祭にそぐわない。
 そこで、ヴィオラはあきらめ、ヴァイオリンを改造することにした。
 最高弦(E)を外して一本づつ繰りあげ、最低弦(C)にはチェロの
弦を引きちぎって換えてみる。妙にカスれた音色だが、やむを得ない。
(四本ともヴィオラ用の弦に換えてみても、バランスが悪くて響かない。
アマチュアの場合こうまでしなくとも、ヴァイオリンのままで弾けない
部分だけ一オクターブ上げるなどして、充分たのしめるのだが)
 いちばん温厚そうな福地君に、改造ヴィオラを手わたすと、
「あれ、テノール記号や。どこが“ド”やろ?」と楽譜をのぞきこむ。
 彼が慣れるまで待てないので、あたかもヴァイオリンと同じつもりで
弾けるよう、譜面そのものを移調することにした。しばしば金管楽器に
用いられる手法であって、表紙に“Viola in F”と銘記しておく。
 こうしていよいよ、器楽部の理事・宮本寿之君をソリストに迎えて、
モーツァルト《クラリネット五重奏曲・イ長調》第三楽章“メヌエット”
の練習にとりかかった。“ブラバン”との友好関係をアピールし、のち
の管弦楽団への改編をほのめかすねらいである。
 もともと吹奏楽のクラリネットは“B管”で、原曲は“A管”だから、
ここでも弦楽器の譜面を、すべて半音高く移調してしまう。さいわい、
“イ長調”を“変ロ長調”に書きかえるだけで、技術的に問題はない。
(あくまで「原曲に忠実」であることを尊重する人たちもいるが、古今
の名曲に、移調そのものに趣向をもとめた例は少なからず存在する)
 
 当時の文化祭は「校外発表会」と称して京都新聞ホールで行われた。
 翌年には岩倉にチャペルが完成するが、交通の便から新築の祗園会館
に移った(選ばれた演目だけ、同志社“EVE”音楽祭にも出演する)。
 実績のない弦楽同好会は、当日のステージを確保したものの、控室や
リハーサルの時間は与えられていなかった。楽器を抱えてウロウロして
いるところへ通りかかった高橋 勘 教頭に、すがりつく。
“カンちゃん”は名刺を取りだすや、さらさらと要件を書きこみ、さら
に別のポケットから印鑑を取りだして捺印された。
「受付の誰かに、これを見せて許可をもらいたまえ」
 かくも頼もしい、あざやかな手並みは(いまも名刺を大切にしている
ほど)心に刻まれている。よって“カンちゃんの決断”(その一)。
 おかげで、練習時間だけはたっぷり手にいれたが、演奏のできばえに
ついて語ることはむずかしい。わざわざ聴きにきてもらった本宮先生も、
「ちゃんと聴いたよ」と苦笑しながら帰ってしまわれた。
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 桶端、桂 先輩、其の他 岩倉出身の方へ御願い致
します(昨夜は失礼しました)阿波君を紹介します、
器楽保管につき御高配下さいます様、願います(印)
   同志社高等学校
   教頭 高 橋  勘
   京都市左京区岩倉 電話吉田О貉案鷦掘刃纂携六
 
 
 
 コモンズ 〜 器楽部長列伝 〜
 
 文化祭がおわるころ、器楽部の部長となった森田昭典先生に、
「弦楽同好会も、器楽部といっしょに活動したらどうか」と打診された。
 二年生の代表者は、もともと器楽部員として、チューバも吹いている
ので(学校側にすれば)同じことに見えるのは当然である。
「そうですね、そんなら一緒にやりましょう」と、もったいぶって同意
したのは、当初からの作戦だった。
 最初から器楽部に弦楽器を導入すると、主導権はブラバンにあって、
いわば居候のような立場におかれる。しかし、いったん形式的にも独立
した団体であれば、いちおう対等合併となるのではないか。
 一方、同好会のままでは生徒会での発言権はなく、予算にもありつけ
ない。かたや器楽部の生徒会における存在感は、ふるい歴史とともに、
なにより夢の甲子園に欠かせないサポーターでもある。
 いかにも少年らしくない、政治的謀略のイメージが濃厚だが、とくに
誰かを追いおとすわけではない。ただし由緒ある吹奏楽団から吹奏楽器
を追放し、いつのまにか楽団そのものを衰退(?)させた歴史的責任を
問われるのはやむをえない。
 同志社吹奏楽の誕生は、ホザナ・コーラス創設メンバーによるという。
 もとは聖歌隊の伴奏楽団として、やがては野球の応援に駆りだされ、
ときには出征兵士の壮行式典で、軍歌を吹奏したかもしれない。歴史的
伝統とは、こうした現実をふまえて連続しているのではないか。
 
 美術担当の中堀愛作先生は、ホザナ・コーラス第一期生とかで、永く
“看板指揮者”だったから、ブラス・バンドには手がまわらない。
 おなじ芸大出身で美術と音楽担当の鎌尾武男先生が、文化祭の前後に
器楽部の部長を辞退されることになった。いくぶんご高齢で、これまで
も練習指導されることはなかったが、体育祭で一度だけブラス・バンド
を指揮されたのは、最後のあいさつだったか。
 かくて、ズブの素人である物理担当の森田昭典先生にオハチがまわり、
一念発起、自前の新品フルートを携えて登場した新部長を、部員たちは
敬意と親しみをこめて“ミイラ”と呼んだ。
 戦前から戦後にかけての吹奏楽部または器楽部の部長として、伝説の
名は、故・森本芳雄先生である。
 器楽部三年生の森本 潔 君(クラリネット、ホザナ・コーラス在籍)、
および二歳年長の森本 理 氏(トロンボーン、同響在籍のOB)の父で
あるという。誰もその風貌を知らないが、隣人である本宮先生によれば、
「塀の外に、森本先生の首だけが歩いて行く」ほどの長身だった。
 森本先生が、吹奏楽のための編曲を試みたとみられる、手書きの楽譜、
シューベルト《未完成交響曲》が(当時の器楽部室に)遺されていた。
いわば第一級史料であるが、“ブラバン”解体とともに失われてしまう。
 おそらく先生も、いつの日か、管弦楽への改編を夢みておられたので
はなかろうか。
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 森本先生や本宮先生のように、みずから楽器を演奏できる指導者は、
あくまで希少である。
 たとえば、全日本吹奏楽コンクールで連続優勝記録をもつ、大阪府立
淀川工業高校ブラスバンド顧問(丸谷明夫)は、音楽教育を受けていない。
高校野球の監督に学校用務員の資格で指導者を確保するケースもあり、
彼らに教員免許をというのは、むしろ用務員の地位を軽んじていないか。
 
 
 
 さらば、ブラバン 〜 OB列伝 〜
 
 上級生の卒業を待ちかねるように、十字屋の大橋(博)氏に来てもら
って、いらない楽器の山をみせる。
「これ全部、いくらで引きとってくれますか」
「一万円にしかなりませんねぇ」
 ガラクタの山は、きれいさっぱり姿を消して、部室こそ広くなったが、
オーケストラのために必要な楽器は、ほとんど何一つ揃っていない。
 器楽部が弦楽同好会を円満に受け入れたのは、なんといってもボスの
宮本寿之君とのクインテット協演が、きめてだった。
 オーケストラ改編にあたって、学校や器楽部長に、正式の届出をした
形跡もない。ブラバン最後の上級生も、とくに異をとなえる一言居士は
いなかった(内心ニヤニヤしていたかも知れないが)。
 この独裁者は、つぎの最上級生となる“ゴリ”こと吉田 肇 君の協力
あっての存在だったが、見かけによらず“ゴリ”には外交手腕があり、
OBを通じて楽器を借出し、エキストラの出演交渉をまとめた。未熟な
独裁者に不信感をいだくOB諸氏との調整も、重要な任務だった。
 
 同響在籍のOBにホルンの“トッパ”こと松井秀夫(高校ではトラン
ペット)君、トロンボーンの森本 理 (潔の兄、前々部長の長男)君。
 京響在籍のOBでは、出演こそなかったが、名手の誉れたかく、のち
佐伯和男君の師匠となるクラリネットの村瀬二郎氏。エキストラ出演に、
わざわざ学生服を着込んで「どや、高校生に見えるやろ」と胸をはった、
フルートの村野□□氏。ホルンの広野小四郎氏は、難曲ベートーヴェン
《エグモント序曲》を指揮、本番直前に緊張をほぐすための小噺「手術」
「チャルメラ音程」など、いま思い出してもおかしい。氏にもちかけた、
初のOB&現役合同演奏会《第九》第一楽章は、幻の企画におわる。
 同響や京響などのOBは、なんらかの交流がつづいたが、その他の諸
先輩は、後輩たちの活動に参加協力するたのしみを奪われた。
 いまも由来不明だが、白皙の美少年“フルチン”こと田中□□氏は、
“ブラバン最後のOB指揮者”である。当時の映画《フル・フル》から
連想して、三年生の森本 潔 君が一句ひねった。
「フルちんが、タクトを振って、フルフルや」
 他にも“ブラバン”解体とともに、失われたものがある。
 ブラバン解体に殉じたとは言えないが、それぞれの事情から退部して
去ったのは、トランペットの大橋康彦、大太鼓の福井象三(久雄の弟)、
小バスを吹いていた“ダルマ”こと田中義雄(のち十字屋楽器店 <現=
Jeugia> のボスとなり“ヒゲ”と呼ばれた)の三君である。
 草創期の独裁者と“ゴリ”にフルートの有賀誠一君を加えて三銃士、
ダルタニアンは一年下の馬場久雄君であろう。ニコニコして器楽部室に
あらわれた日から、ガラクタのような中古楽器を一丁づつ黙々と調教し、
初代インスペクターとして、下級生の信頼をあつめたパーソナリティは、
シンフォニエッタの歴史に不可欠の存在となった。   (20010308)
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 フルートの村野□□氏は、川瀬蛍公氏が正しい(20030415確認)。
大バス小バス(おおばす・こばす)、中バス(木下聖治)、吹奏楽特有
の楽器群ユーホニウムの俗称?アルト・ユーホニウム(馬場君のソロ)
別稿〜 エキストラ列伝 〜 山田 宏&明/革島 良子(NHKの誘い)
“トッパ”=NHKラジオ・コメディ〜内海突破「松井さん、松井さん」
アレクサンドル・デュマ《三銃士》
 それぞれの事情から退部=転校していった村井淳鶴君。

── FROU-FROU/1954年 フランス・イタリア
監督:オーギュスト・ジェニーナ
出演:ダニー・ロバン、ジーノ・チェルビ、フィリップ・ルメール、
イバン・デニ、ブリジット・バルドー、他
 D.ロバン主演の大河ドラマ。16歳から50歳までの一人の女性を演じた
ロバンであるが、その変わり様は本作の見所でもある。1912年から54年
までという40年強にわたって、ある一人のパリの花売り娘の物語。彼女
は四人の紳士の世話になりながら、それぞれと変転の生活を送りながら、
若い画家との悲恋を経験する...
── http://www3.justnet.ne.jp/~a_matsu/b-b.HTM
映画《フル・フル 1953-1956 》/フルフル=フランス語で絹音の擬音。
 


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