与太郎文庫
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1996年06月05日(水)  早くセネカ!

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960605
 
 久闊を叙して、延々語るのは(聞くほうも)たいへんだ。
 七人の旧知にあてて手紙を書きあげたが、画竜点睛を欠くような気が
する、誰かが漏れているらしい。
 たとえば生涯最後の書簡を投じるとき、最高傑作の小噺でしめくくり
たいものだ。しかし、世人はこれを待たず「なんでもいいから」と催促
する。とりあえず喋ってみると、君の結婚披露宴での(僕の)スピーチ
が証明したように、面白いわけがない。
 手紙の途中で、佐々木敏男に電話したところ、ちょっと愉快な話を聞
いたので、今回これで間に合わせよう。
 インドで彼は、ミスターGMと商談していた。腹が空いたので、久し
ぶりにスキヤキを食べることにした。ひそかに牛肉・ネギを調達したが
醤油がない。そこで彼は日本領事館に電話をかける。「そんなものはゴ
ザイマセン」と参事官が答えても、彼はあきらめない。「ミスターGM
ほかVIPが重要会議をしているのだ。今すぐロールスロイス(?)で
押しかけるから、かならず手配せよ」しぶしぶ、参事官が醤油をもって
あらわれた。後日電話で礼をいう「世話になった。キミが帰国した折は
食事に招待しよう」参事官が答えていわく「それより、ナニトゾ醤油を
お返しください」
 このハナシは(素材として)どことなく滑稽だ。いつか、ヒンドゥ・
イスラム文化圏のオリジナル小噺集《イランの馬鹿》をまとめたいが、
あんまり面白いと暗殺されるかもしれん。
 二十五年ぶりに君の声を聞いて、さまざまの感慨があるが、脈絡なく
書き連ねてみよう(ただし重要なテーマは何ひとつない)。
 学者が多いわけではない、大学教授が増えたのだ。しかしなぜ彼らは
TVコマーシャルに出たがり、なぜ馬鹿のふりをするのだろう。そんな
必要はないのだ(顔をみれば誰にもわかる)。
 君の《北条政子はB型だった》を観たころ、僕は《中学生諸君!》の
タイトルで一種の教材ポスターをデザインしていた。身過世過の作品で
はあるが、教科書を点検して総重量におどろく。現代日本の義務教育は
人類史上空前の水準にあるにちがいない。
 しかし検索してみると、骨子となる情報量はさほどでもない。英単語
は約千語、数学も方程式とグラフを統合すれば十数種である。理科など
元素周期表だけで十分ではないか。国語も、英文法と歴史年表に分離・
対照してみると、すべてが新聞紙一頁大におさまった。
 進学校の期末試験を視察すると、生徒たちの表情は“考える顔”では
なく“思いだす顔つき”だった。ナンダこいつら?
 人は、考えこむときにすぐれて見える。ゴリラも、なぜか集団で虫の
動きを(考えぶかげに)見入ることがある。TV将棋では、米長邦雄の
表情が傑出している。難局に入るや米長はみるみる老化しはじめ、数分
で十歳も老けこむかにみえる。終局つまり勝敗が決した瞬間、たちまち
米長はもとの年齢にもどる。ついさっきまでの彼は、霊長類の系統発生
をたどっていたにちがいない。最盛期の仇名はオランウータンである。
 ためしに僕も将棋を学んでみたが、十年かけて初段にとどかない希少
例を立証したにすぎない。たとえば、言語学では失語症患者を観察する
という。しからば色彩学では色盲を、音楽は難聴を分析すべきだろう。
教育学では、中学時代の優等生が高校時代に落第したケース・スタディ
など、もっと尊重すべきではないか。
 本人の推測では、数学は《零の発見》以後、科学はルネサンス以後が
高校段階らしい。逆に数世紀前の英語も、語学の法則は古代以前にある
のではないか。中学時代、系統発生を無視してバラバラに教わったため
ではないか。さらに僕は推理する、かりに妥当な順序でも、歴史的空白
までは配慮されていない。ローマ文明には中世の“長い休息”があった
にもかかわらず、われわれには三月から四月までの寸暇しかなかった。
 それですぐルネサンスとは非道いじゃないか。
 とくにメンデレーエフ《元素周期律表》との遭遇は、中学時代の記憶
がなく、失意と感動のうちに《中学生諸君!》を完成した。
 しかしまだ“仙人”には達しない、俗世間もゆるさない。
 僕は最期の“国民学校一年生”である。たしかな考証ではないが当時
の席順はイロハ順だった。戦後二、三年生で生年月日順となり、同志社
ではABC順だった。美術学校では五十音なので「遅刻がおおいのは、
最初に呼ばれるからだ」と強弁した。すると二年目なぜか最終二十九番
目に変えられたが、すぐに中退している。
 フランスの電話帳は、名前順のほかに所在地順もあるという。実は、
十年前(今から廿年前)ささやかれていたのは、コンピューターならば
「瞬時にして五十音索引ができる」という噂である。ソートと呼ばれる
基本機能だが、当時は夢みるだけだった。
 従来の人名録を“誕生日順”に並べかえたら、どんな序列になるか、
やりたくてしょうがない。数千枚のカードを蓄積しながら、スポンサー
を捜したが、「そんなもの何になるのか」と不思議そうな顔をされる。
 つなぎに、地名順のデータブックを数種作るうち、ドサクサまぎれに
売り込んだ《誕生366》が誕生した。ついに数百万のワープロ導入、
パブリシティも成功して、十万部で三千通の手紙を受け取った。ただし
ノベルティから出版への壁は厚く、みずから苦節十年に終止符を打つ。
 初期パソコン・ワープロの欠陥に泣きながら(今でも不満があるが)
ともかく夢の実験を果したのだ。いまなお書店で見かけるニセモノ出没
は、むしろ冥利である。
 並べ換えて、珍らしがる時代はすぐに終わるだろう。当分は、新しい
革袋にむらがって、みんなが古い酒を酌み交わすだろう。新しい酒は、
たぶん僕の生存中は開発されないにちがいない。革袋に驚いている連中
が、あらたな流体を空想できるわけがないのだ。コロンブスもアメリカ
諸島をインド大陸だと信じて死んだ(この発想転換に数年かかった)。
 それ自身に価値あるものはなにか。残された生涯日数は一万日未満、
ひとり仙人宣言をして、アルコールを絶つ。(カッコよすぎるかな?)
 仙人は、何故カスミで生きられるか。教えると日本の経済システムが
崩壊するので、ヒントも示さない。友人諸君がことごとく引退し、年金
生活に入れば教えるが、そのころには、たぶん役に立たないだろう。
 ついでに、君の専門分野にも関する疑問がある(公式回答をもとめる
わけではない、僕の手紙はつねに返信無用なのだ)。
 つまり“知的所有権”は、ほんとうは存在しないのではないか。
 むかし調べ物があって、NHK名画劇場《哀愁》の放映ビデオが必要
になった。ムダを承知で、皆様の「サービス・センター」とやらに電話
したところ、手に入らない理由を諄々と諭してくれた、感謝すべきか。
できない事情を知れば、俗人は本当に納得するのか(この件は、NHK
出身の映画評論家・田山力哉氏に連絡して、やすやすと入手できた)。
 話がこんがらがるが、“九九”なども江戸時代までは指南料をとって
いたという。漱石の遺族も、没後五十年以上の権利を永続させるために
著者名を“商標登録”できぬか検討したという。“サザエさん”の先駆
である。いまごろは“編集著作権”などといいはじめ、寄せ集めの資料
に別人が、あらたな権利を付加する。
 僕自身は、自作のニセモノを見れば冥利だと思う(仙人だからか)。
剽窃・踏襲されないデザインなど、ロクなものがないはずだ。俗人が、
ヘア・ヌードなど論じる余地がないものを論じるのは何故か(仙人は、
論じないが疑問を述べ、叱らないが、ときどき文句をいう)。
 おしまいに、君に感謝したい。君が京都放送局のペーペー時代、僕に
写真の仕事を与えてくれたことだ。いいかげんなカメラマンだったが、
ほんとうに痛快な経験だった。あのころ君がベトナムへ行けといえば、
喜んで弾丸の中に飛び込んだにちがいない。
 だが、いまや京都放送局のトップになったからには、断じていうこと
を利かんぞ、なぜなら僕も、すでに仙人なのだ!
 他に会いたい友人のひとりは、文芸部の中西宏君だ。彼がスーパー・
マーケットごときに専従したのは、惜しまれてならない。人類史の損失
ではないか。ローマの哲人セネカは、しばしば友人に引退をすすめた。
みずからも隠棲を図ったが、おくれて切腹した(早くセネカ!)。
 いつの日か、老いたる秀才たちとなら、青春を談じたいものだ。
 
 老兵たちは死なず“ We shall return !”     Let'19960605
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→《虚々日々》ポール先生、さようなら 〜 Retire 〜
→《与太郎文庫》2001年09月20日(木)  悪友四重奏
→《与太郎文庫》2003年07月14日(木)  悪友退場


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