与太郎文庫
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1993年08月05日(木)  無人警察(2)

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19930805
 
 社団法人日本てんかん協会会長 高橋 哲郎 殿
 
 1994年度より小社発行の高等学校国語科の教科書「国語I」に収載の
「無人警察」(筒井康隆作)について、1993年7月8日付、小社代表取締
役角川春樹宛、社団法人日本てんかん協会より「てんかんへの差別を助
長する表現がある」との抗議を文書で受け、同七月十日付関係各位宛の
声明文が出されました(抗議文・声明文ともに七月十二日に受理)。小
社では、この問題について、社内の人権問題委員会を中心に、筒井康隆
氏、編集委員会とも協議し、その結果、次のような結論に達しましたの
で、その旨回答いたします。なお、「無人警察」におけるてんかんに関
して記述した部分は次のとおりです。論議すべき点を明確にするため、
あらためて引用しておきます。少々長く引用いたしますが、それはあく
までこの作品を文脈にそくして正しく読み取る必要性があるからです。
(傍線は角川書店)[ここでは傍線部は 青色で示す]

 四つ辻まで来て、わたしはふと、街角の街路樹にもたれるようにして
立っている交通巡査に目をとめた。もちろん、ロボットである。小型の
電子頭脳のほかに、速度検査機、アルコール摂取量探知機、脳波測定機
なども内蔵している。歩行者がほとんどないから、この巡査ロボットは、
車の交通違反を発見する機能だけを備えている。速度検査機は速度違反、
アルコール摂取量探知機は飲酒運転を取り締まるための装置だ。また、
A てんかんをおこすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波
測定器で運転者の脳波を検査する。異常波を出している者は、発作をお
こす前に病院へ収容されるのである。わたしがそのロボット巡査に目を
とめた理由は、いつも街頭で見るそれと、少し違っていたからだった。
普通鋼鉄製のボディーがむき出しなのに、このロボットは服を着ていた。
そのえボディーも大きく、頭上にはアンテナが8本も付いていた。「新
しいタイプのロボットだろうか?」そう思っててよく見直し、わたしは
すぐに昨夜見たマイクロ・テレニュースを思い出した。今日は、新型の
巡査ロボットが、試験的に、都市の2、3の街頭にお目見えする日だった
のである。こいつは、それに違いなかった。「妙な格好だな。」
じろじろと見つめていると、ロボットのほうでも、金属的なきしんだ音
を立てて、ぐるりとわたしのはうへ、その頭を向け直した。たとえロボ
ットでも、巡査ににらみ返されるというのは、あんまりいい気持ちでは
ない。「そうだ。この新型は、歩行者の取り締まりもできるのだっけ。」
 わたしはまた思い出した。でも、B わたしはてんかんでないはずだし、
もちろん酒も飲んでいない。何も悪いことをした覚えもないのだ。この
ロボットは何か悪いことをした人間が、自分の罪を気にしていると、そ
の思考波が乱れるから、それをいちはやくキャッチして、そいつを警察
へ連れてゆくという話だった。連れてゆくといっても、手錠を掛けるわ
けでもなければ、腕ずくで引っ張ってゆくわけでもない。ただ、どこま
でもついてくるのだ。(以下略)

 これに対する、7月10日付声明文は次のとおりです。

 青色部A を引用して、「てんかんをもつ人々の人権を無視した表現」
であり、「てんかんは取り締まりの対象としてのみ扱われ、医学や福祉
の対象として考えられていない。
 青色部B を引用して、「てんかんが悪いことの一つのように書かれて
いる」。
 アメリカ、イギリス、デンマーク、スウェーデン、ドイツ等の諸国で
のてんかんをもつ人々の自動車運転に触れ、「国によって異なるものの、
6カ月〜3年間発作が抑制されていれば、自動車の運転が認められる」
ようになっており、「こうした世界の趨勢に逆行し、(中略)てんかん
に対すると差別や偏見を助長する」ものである。
「てんかんと脳波の関係について医学的にも誤った説明」であるとし、
「てんかん発作の形態はきわめて多様であり、教科書が注記で述べてい
る『発作のとき、身体のけいれん、意識喪失などの症状が現れる病気』
というのは、てんかん発作の一都分にすぎない」としている。
「教科書として使用した場合、そこにいるてんかんをもつ高校生や、近
親者にてんかんをもつ人がいる高校生は、どのような思いで授業に臨ま
ねばならないことになるのか」考えてほしい。
 先ず、この声明文に回答する前に、「無人警察」の作品としての位置
づけを明確にしておく必要があります。と、申しますのは、この作品は
言うまでもなく、文学作品であり、小説としての主題をきちんと把握し
てはじめて批判が成立すると考えるからであります。「無人警察」は一
読してわかりますように、近未来を描いたSF小説です。交通違反の取り
締まりの手段として、速度検査機、アルコール摂取量探知機、脳波測定
機などで人間を類別し、支配統制しようとする社会を好意的に見ていた
主人公が、ある日突然反逆せざるをえない状況まで追い詰められてしま
う過程を描いた作品です。管理統制された未来を讃える作品ではありま
せん。人間がロボットに潜在意識まで探られてしまう結末から、文明と
は何か、人間のアイデンティティーとは何かを問い掛けている作品です。
このような読み取りに立脚して、初めててんかん云々の論議ができるの
です。
 さて、1 の「てんかんは取り締まりの対象としてのみ扱われ、医学や
福祉の対象としてはまったく考えられていない」と言うのは、交通違反
の取り締まりの対象としてはまさにその通りと言わざるをえません。
「てんかんをおこすおそれのある者が運転していると…」の前後を読め
ばわかるように、「四つ辻まで来て…」(本文29頁12行)〜 …発作を
おこす前に収容されるのである。」(本文30頁6行)までの段は、自動
車の交通違反の取り締まりの様子を描いた文章であり、その中にはスピ
ード違反、飲酒運転の取り締まりも含まれているのです。現代の日本に
おいて、その是非はともかく、てんかんは運転免許の欠格事由(道路交
通法第88条1項2号)となっています。そして、この近未来小説において
もその設定を使っています。輝かしい未来であれば、てんかんに限らず、
病気そのものを克服すべきはずですが、残念ながらこの小説で描かれて
いる未来社会は、取り締まりに重点を置く社会であります。
 また、この交通違反取り締まりの段に、医学や福祉の問題を書き込め
るものではありません。医学・福祉の側面から、てんかんについて啓蒙
し、発言していく必要は充分認めますが、ここはその場ではないと考え
ます。小説が壊れ、文学作品としての体をなしえないからです。
 2 の「てんかんが悪者扱いされている」との発言は、まったく読解の
不十分さから生じた誤読と言わざるをえません。教科書の原文は次のよ
うになっています。
 でも、わたしはてんかんではないはずだし、もちろん酒も飲んでいな
い。何も悪いことをした覚えもないのだ。(青色は角川書店)
 ところが、声明文の傍線の部分は、「何も悪いことはした覚えもない」
となっています。教科書の原文を読むかぎり、「てんかん」と「酒を飲
むこと」と「悪いことをすること」とは並列の関係にあり、「悪いこと
をすること」は「てんかん」「酒を飲むこと」を受けてはいません。す
なわち、「悪いこと」がてんかんを指していないことは明白です。にも
かかわらず、「てんかんが悪者扱いされている」と主張される姿勢は、
理解できません。
 3 については、たとえ日本てんかん協会の運動を理解したとしても、
ここはSF小説の読み取りの場であって、てんかんをもつ人の自動車運転
免許取得の是非を論議する場ではないと考え、コメントは控えます。
 4 について。脳波検査によっては、てんかんかどうかわからない、と
いう主張ですが、現在においても脳波検査はてんかんの診断の有力な手
段として用いられている以上、本文の記述は誤りとは言えないと考えま
す。また、本文脚注の説明が「てんかん発作の一部分にすぎない」との
指摘ですが、発作がてんかんの主要な症状であり、その発作の代表的な
例を取って注記しており、誤ではないと考えます。ただし、必要があれ
ば、脚注は限られたスペースですので、このほかの補足すべき情報につ
いては指導書で手当てし、現場の先生方の適切な指導に委ねたいと考え
ます。
 5 は、「無人警察」に限らず、どんな教材であっても、身体に関わる
記述というものはあります。その記述によって授業の妨げになってはな
らないとも考えております。しかし、日本てんかん協会の「無人警察」
の記述が「思春期にある高校生を傷つけるようなこと」であるとする主
張は、これには当てはまらないと考えます。何故ならば、これまでの小
未来社会を風刺している小説であるからです。つまり、てんかんの人が
脳波検査によって病院に収容されることが肯定的に描かれてはいないの
です。現場の先生方には、この点をしっかり押さえ、指導していただく
べく、編集委員会・角川書店では指導書等の周辺の資料を充分なものに
したいと考えております。4 の場合と同様、高校現場の先生方が、この
作品の主旨を充分にご理解された上で、授業を進めていただくことを横
極的にお願いしたいと考えております。
 以上述べた理由に基づき、「無人警察」を差し替えたり、訂正・削除
したりすることはできません。
 尚、小社では、新版「国語I」の教材について、「一番授業をしてみ
たい作品アンケート」を実施しました。それによると、「ムダこそ自分
を豊鏡にする」(開高健)「羅生門」(芥川竜之介)についで、「無人
警察」は二位を占めています。このようにこの作品は高等学校の先生方
より高い支持を得ていることをお知らせします。
 このたび貴会が小社と充分話し合うことなく、一方的に記者会見を間
いて声明文を発表し、それを新間各紙に公表したばかりでなく、各都道
府県の教育委員会ならびに各高等学校に対して不採用を求めたこと、さ
らに文部省に対しても、すでに検定済である教科書の検定取り消しを要
求するなど、今回、貴会がとられた一連の行動は、自己の立場を強調す
るあまり他者をかえりみない不当なものと思れます。小社といたしまし
ては、このような行為に対し、陳謝を求めるとともに、あわせて多大な
損等を受けていることを申添えます。
      1993年8月5日
   〒102 東京都千代田区富士見2-13-3  株式会社 角川書店
        常務取締役(人椎問題委員会事務局長)永持 道明
        取締役辞書教科書部長        組橋 俊郎

(社団法人日本てんかん協会機関誌「波」第17巻9号 1993年9月掲載、
原文は縦書き)Last Updated Sep.24.97
── http://www.synapse.ne.jp/jepnet/KOKUGO/kaitou1.html

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 てんかんと共に生きる

 ビデオテキスト監修:国立療養所宇多野病院(関西てんかんセンター)
副院長 河合逸雄 ビデオ:7,000円 冊子:412円(税込み)
 発行所:社団法人 日本てんかん協会

 大学教授としての多忙な生活を送っている、協会の高橋哲郎氏が、病
名告知、就職、結婚、日常生活について40年の自らの体験を語ります。
テキストは 1.生活、2.健康、3.結婚、4.就労の、4つのテーマからわか
りやすくまとめられています。
── http://www.google.co.jp/search?q=cache:D1HcQfvsfhgC:


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