与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920101 誕生日を忘れる人はいないが、曜日まではどうか──たとえば「十三 日の金曜日」は二十八年に四十八回あらわれるが、その方則は元日の曜 日に支配され、閏年と平年とでは三月以後がことなる。 [表1] エリザベス・アケリスは「毎月の日数が不規則で、日付と曜日の組み あわせが変るのは不合理だ」と考えた最後の人である。 彼女は、一枚あれば永久に使えるというカレンダー《世界暦》をもっ て国連に出かけ、一九三九年(もしくは一九五〇年一月一日、いずれも 日曜)を期して各国いっせいに採用すれば、世界は平和になると主張し た。 その暦法は、日付も曜日もない「無曜日」を六月末に設け、閏年は年 末にも追加する。こうすれば、常に新年は日曜にはじまり誕生日も日と おなじ曜日をくりかえす。 「無曜日」の概念は、古代暦の余日・没日付加日の流れをくむもので、 閏日の原型でもある。おおむね不吉な日とされたのは、税金が取れない ためで、取られる方はその日を祝ったにちがいない。類似のアイデアと して、フランスの哲学者オーギュスト・コントが、十三カ月五十二週の 《実証暦》を、日本でも工藤茂三郎が《北斗中正暦》に家屋敷まで投じ たが、採用されなかった。 一九七三年、九十二才の高令でアケリス女史が亡くなると、すべての 改暦案も忘れられた。ジェラール・クレメンスは「暦を規則的にしよう としてもその試みはすべて失敗する」と断じている。 [注1] たしかに暦法のちがう民族・国家間では戦争がたえない。しかし暦の 統一は、固有の文化を放棄することでもある。 敗北を知らないアメリカの、幻想の理想主義者として、彼女は「わた したちと同じようにすれば同じように幸福になれるわよ」と叫んでいた ようにみえる。 カレンダーの語源は、新月が見えたときの「叫び声」に由来し、いま も観測の儀式をイスラム暦が継承しているが、世界中の人々が同時に月 の出・日の出を見ることはできない。 二月三十一日が存在する《イラン暦》は《イスラム暦》《グレゴリオ 暦》と併用され、それぞれが行政・宗教・外交を緊密にささえている。 かつて動乱の一九七六年には《ペルシア帝国暦》まで復活したという。 イスラム暦の母型で、最古の太陰太陽暦として、終末思想を伝える 《ユダヤ暦》は土地を追われ神殿も政府も失って、世界に流浪する民族 を連帯していた唯一のささえだった。 いつの日か、彼らは放棄するのだろうか。 旧約聖書《創世記》によれば、天地創造から六日目にアダムが誕生す る。この日をユダヤ紀元元年第一月第六日とすれば、翌日は安息日(土 曜)でなければならない。 はげしい論争ののち、ユリウス暦を逆算して、紀元前三七六一年十月 六日(日曜)が暦元と推定された。日没からはじまるため、現行のグレ ゴリオ天文暦に換算すると九月六日(日曜)日没から七日(月曜)の月 の出までにあたる。 [注2] イスラエル再建後、一九五九年十月二日(金曜)日没を創世紀元五七 二〇年元日と算定したが、外国在住の教徒には、時差や本国のサマータ イム採用に不満がある。 神に似せて創られたアダムは、生れた時すでに青年だった。誕生日を 祝日としないのは、禁断の実を食べた罪人だからか。肋骨から分身され たエバの誕生日は示されず、妻であるとともに双生妹でもある。 その子孫のうち、大洪水でノア一族だけが神に選ばれて生存し、その 直系がユダヤ民族、すなわち神の選民である。 つぎの終末を待つうち「神の子」と称する者があらわれた。選ばれな い民にまで神の国を説くなど、救世主であるはずがない。 かくてユダヤ教徒に告発されたキリストはローマ総督に処刑されたが、 その誕生日を祝日(クリスマス)として、さらに八日後の「割礼記念日」 を新年に一致させたのは中世ローマのカトリック教会である。 神に認知される割礼は出生より重要で、その日をキリスト紀元(西暦) 元年一月一日というが、さて何曜日か。 [表2] われわれが「西暦」と考えている暦にはすくなくとも三種類ある。 現行のグレゴリオ暦を逆算した《天文暦》からは、季節が推定できる。 年代学では、一五八二年十月四日以前に《ユリウス逆算暦》を適用す るが、実在の暦法は四種類に区分できる。 [表3] カエサルの断行した《ユリウス暦�機佞榔芝�に「二月二十三日をくり かえす」ため平年とおなじ二十九日でおわる。 四年ごとの閏年を、三年ごとに早まったため、アウグストゥスは「省 閏令」による《ユリウス暦�供佞魑�元前六年から後七年に施行した。 翌年の《ユリウス暦�掘佞任漏瞳遒瞭�数が変更され、閏二月二十九日の 《ユリウス暦�検佞飽楾圓靴診�代は不明で、ローマ史の文献も、これら の日付差を論じない。 もうひとつの「西暦」は、内務省地理局編纂の《三正綜覧》にある。 明治改暦直後の初版から百十余年、いまなお利用者が絶えないが、誤植 も多い。 あまり指摘されないが「西洋太陽暦」の前文「其紀元前三百年至二百 有一年。新暦先於旧暦二日」は、「前三百一年三月一日から前二百一年 二月二十八日まで。旧ユリウス逆算暦は、新グレゴリオ天文暦に四日先 んじる」としなければならない。 [注3] くわしい考察は稿をあらためるとして、この誤謬を精算するため、 「ローマ乱年」から《ユリウス暦�記供佞虜�乱期に乗じて、実在しない 《羅馬暦》が登場し、紆余曲折ののち紀元四年三月一日《ユリウス暦�掘� に接続している。要するに《ユリウス暦�供佞慮菊�だけが一致するので ある。 したがってキリスト紀元元年の第一日は、架空の《羅馬暦》と当時の 《ローマ暦》が日曜日、《ユリウス逆算暦�検佞賄斃貌�、《グレゴリオ 天文暦》は月曜日にあたる。 (19910923) ──────────────────────────────── ── 《歴史研究 19920101 新人物往来社》P058-059 《世界暦》は、古代伝承の《無曜モーセ暦》にもっとも近似している。 (アケリスは「十三日の金曜」を配慮しているか?) 紀元四年三月一日《ユリウス暦�検佞蓮↓靴�正しい。 閏二月二十九日《ユリウス暦�検佞悗琉楾圓�15840229G とみられる。 二月二十四日以後三月以前のカレンデが廃止されるのは15830224G 以後。 ここでは[表1]〜[注3]を略。
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