与太郎文庫
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| 1986年03月26日(水) |
日本工房の人々 〜 すれちがった人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19860326 ── 名取洋之助が電柱に貼りつけた求人広告に吸いよせられた三人は、 亀倉雄策・原弘・土門拳だった。 エッセイ《看板教授》で暗示したのは亀倉と原であり、夜道で出会っ た画伯は山口長男、それぞれ武蔵野美校の看板だったのだ。 土門拳にいたっては、奉公先の写真館から夜逃げをして、参加したと いう。そして壮年期(第一人者となってからも)、トライX(百フィー ト 14400枚、約四千円)を買うたびに「今月こそは、これ一巻で済むよ うに」と祈ったという。なにしろ毎月の水道料金が、近所の銭湯なみで、 まさに湯水のごとく使ったのである(写真集《風貌》あとがき)。 のちに俗人どもが賞賛してやまない豪華写真集《ヒロシマ》は、つぎ の廉価版《筑豊のこどもたち》とともに、亀倉のレイアウト、原の装禎 である。かくして彼らのボス・名取洋之助も、写真雑誌《NIPPON》 を出すたびに借家が一軒づつ消えたという。 ナンダ、そういうことだったのか(数冊の本で、くわしい経済的実態 を僕が知ったのは、商売をしくじった後である)。(Let'1997051.未完) (19970511 亀倉 雄策、没! 19970515 ちょうど「音楽自伝」入力中)
伊奈 信男 写真評論 18980331 松山 東京 19781007 80 /〜《世界写真全集 1956-1959 平凡社》 木村 伊兵衛 写真 19011212 東京 19740531 72 /〜《秋田シリーズ》“ライカの神様” 岡田 桑三 映画制作 19030615 横浜 静岡 19830901 80 /俳優=山内 光, Souzou 原 弘 デザイン 19030622 長野 東京 19860326 82 /武蔵野美大教授/装禎 小柳 次一 戦争写真 1907‥‥ 福岡 宮崎 19940803 87 /特攻遺族宅で客死 土門 拳 写真 19091025 山形 東京 19900915 80 /1979脳血栓 名取 洋之助 編集 19100903 東京 19621123 52 /日本工房・主宰 亀倉 雄策 デザイン 19150406 新潟 東京 19970511 82 /武蔵野美大教授 ♀高峰 秀子 女優 19240327 函館 東京 20101228 86 /歌手/エッセイ/籍=松山/旧姓=平山“デコちゃん” ──────────────────────────────── 山口 長男 抽象画 19021123 京城 東京 19830427 80 /“最後の抽象画家” ──────────────────────────────── 土井 勇 (写真) 19391223 京都 20090522 69 /土井公認会計士事務所
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19900915 風貌の人々 〜 土門 拳とその時代 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜 ── 入学案内に載っていた著名なる教授陣のなかで、ただひとりが、 入学式であいさつした他は、上級生の話によれば、年に一度か二度、顔 を見られるのがせいぜいで、とても手をとって教えていただく、など望 むべくもないらしい。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701220 ── 《看板教授 〜 私との対話 〜 19701220 中日新聞》 武蔵野美術学校・沿革 1929-2005 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19950222 MAU“ムサビ ◇ 反蒋 〜 謀略宣伝要領 〜 「戦場カメラマン小柳 次一 〜 日中・太平洋戦争従軍5千キロの記録 〜 」 ── 《ETV特集 2008/10/05 22:00〜23:00 NHK教育》 中国の部落で、騎兵隊の一人が強姦したらしい。戻ってこないので、 隊長が探しにいくと、死体が井戸に投げこまれていた。それで部落ごと 焼き払った(戦友の回想)。 小柳は、徐州作戦から漢口作戦、フィリピンまで従軍した。 航空機の機内からも、爆撃の様子を撮影した。 月給八円八十銭の兵士の何から何まで撮っておきたかった(日記)。 戦後は、軍の没収命令に反して、複製原版を手元に残した。 身元が分りしだい遺族に写真を送りとどけた。 各地で、手づくりの展覧会を開いた。 ── 軍国主義の時代の真っ只中に「戦場の現実」と「兵士たちの素顔」 を撮り続けた、知られざるカメラマン・小柳次一。その波乱に満ちた人 生を、残された写真とともにたどる。 日中戦争から太平洋戦争にかけて5000キロにわたって従軍し、「戦争 の現実」と「兵士の素顔」を記録した日本人カメラマンがいた。 小柳次一 (1907-1994年)。戦意高揚の写真しか許されない時代に、 なぜこのような場面を撮影するようになったのか。戦後、自らの戦場で の体験をどう伝えようとしていたのか。カメラマンの石川文洋さんが、 小柳と交際のあった兵士の遺族などを取材し、波乱に満ちた小柳の足跡 をたどる。出演=石川 文洋/森本 健成 http://tv.yahoo.co.jp/program/5782/?date=20081005&stime=2200&ch=de08 ◇ 永遠の一瞬! 〜 写真家・木村伊兵衛の奇妙な五差路 〜 「本郷森川町」は1953年4月7日に街角を撮影したモノクロ写真。五差 路に警察官や職人風の男性、赤ん坊を背負ったかっぽう着姿の女性ら12 人が写っている。スナップショットの達人ともいわれ、呼吸をするよう に写真を撮り続けた伊兵衛。彼が切り取ったこの日常をとらえた1枚の 写真には、希代の写真家の神髄が隠されている。(語り:小林 薫) ── 《美の巨人たち 20051001(土)22:00〜22:30 テレビせとうち》 12人の登場人物が、誰一人視線をあわせていない。しかるに、一人 の子供だけがカメラを見ていた。すなわち、そこに13人目の男が存在 していたはずなのだ。 木村伊兵衛はライカA型に“エルマーの3半”こと Elmaer F3.5。 中学三年生の与太郎も、同じレンズを常用していた。ただし本体は、 ライカ�沓討任呂覆�、ニコンの前身ニッカだった。 木村 伊兵衛の戦後の作品数は、13万コマ。 与太郎は約5万枚。→《麿たちのライカ》参照。 (この項、未完) ── 《世界写真全集〈第1巻〉フランス・イタリア 19560101 平凡社》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JB3C8M (20081005)(20200513)
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