与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


1986年01月11日(土)  Tokyo '61〜61 〜 初版のあとがき 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19860111
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19860111
 Ex libris Web Library;
 
>>
 
 このたびの東京滞在に際しましては、さまざまの御配慮を賜りまこと
にありがとうございました。
 一人で学んだのも、酒を呑んだのも、給料をもらったのも東京が最初
でした。二十五年前に私は美術学校を中退し、自由工房という看板屋に
勤めて半年後、京橋本社の万年筆会社の半円形ウインドのデザインを担
当しました。丑年の正月用に《牛》を、モチーフにと指定されたので、
最古の絵画《アルタミラ洞窟の野牛図》を、石膏によるレリーフで模刻
する案が採用されました。
 私が一人で彫る、というので「大丈夫か」と心配されましたが、一週
間のちには、それらしい姿になって、余白の部分に《象形文字らしきも
の》を無数に散りばめる作業に入りました。同僚や先輩に「何でもいい
から、それらしい形を彫ってくれ」と彫刻刀を渡すと、てんでに大喜び
で手伝ってくれました。
 最古の絵に、最古の文字を配するというアイデアが実現して、よく見
ると誰が彫ったのか「タヌキの顔」とか「へのへのもへの」までありま
した──そしらぬ顔で調色し、野牛の横腹に《HAPPY’61》の真
鋳文字をピアノ線で突き立て、私の大作は除幕されました。
 美術学校での習作を別にすれば、東京における第一作、社会人として
の処女作であり当時の私の給料の二十倍に相当する請求書をスポンサー
に届けた日を忘れられません。
 つぎに、二十年前のことが思い出されます。
 京都に戻ってから数年、私や同じ年代の友人があいついで結婚し、互
いにしゃれたプレゼントに苦労したものです。私が選んだひとつ《新潮
世界文学・第一巻》には、刊行記念のおまけとして《シェークスピア・
バースディ・ブック》が付いていました。全集が売れたわりに、この付
録は評判にならず、私も一冊に記入しはじめたものの、引越の際に紛失
してしまいました。
(その後、欧米のバースディ・ブックを何種類か目にするうち、仏壇に
ある《過去帳》も、ほぼ同じ原点をもっていることに気づきました)。
 それ以上に話題になったのは、新潮社創業七十周年の新築社屋ロビー
壁面の《人類の文字》と題するレリーフでした。グーテンベルクの聖書
から夏目漱石の漢詩におよぶ二十六種の厳選された文字を彫刻したもの
で、二十一才の若者が一週間で手作りしたものとは比較になりません。
 とくに胸を打たれたのは、松尾芭蕉《奥の細道》の一節です。「古人
も多く旅に死せるあり」は、まさに昨年正月、四国一周した折の感慨に
通じます(モラエスや朝鮮女の墓が印象的でした)。
 《Birth Days 366》に掲載された人々も、毎日のように誰かが亡くな
っています。ある人は旅の途上で、ある人は失意の中に──。
 このたび私が、二十年ぶりにはじめて、壁面に向うことになったのは
昨年制作した私の《Birth Days 366》が直接のきっかけで、新潮社に隣
接する出版社に招かれて上京した私は、かくて二十五年前、二十年前を
想い出すことになりました。
 滞在中、多くの方々にお会いできたことに感謝し、ふたたびお目にか
かれる日を楽しみにしております。          (19860111)
 
── 《Who's Who Monthly No.1 19860701 IP Library》P57
 
<<
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/410660101X
── 福田 恆存・訳《シェイクスピア・バースディブック 196802‥ 新潮世界文学》付録
http://q.hatena.ne.jp/1271945570#a1010584
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加