与太郎文庫
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1979年04月09日(月)  froufrou 陛下おきものでおくつろぎください

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19790409
 
 長野 士郎 岡山県知事
【ながの・しろう】大正6年岡山県に生る。六高から昭和
16年東大法学部卒業。自治省事務次官を経て47年知事就任。
 
── 最近のサラリ一マンは 帰宅後や休日のほとんどをトレーニング
・ウェアもしくはパジャマ姿で過ごすそうです
長野 パジャマなどは寝室だけのものでね(笑)もっとも女子高校生が
修学旅行に持っていってパジャマ姿で散歩するから困ったもんだ なん
て話を聞いたことがありますな
── 若い人たちにいわせるとパジャマなら良くて きもの姿で散歩す
るなんてカッコ悪いそうです
長野 そりゃ まちがいだな(笑)ちゃんと教えなきゃいかん
── サラリーマンの場合ですと帰ってから寝るまでの時間が少ないか
らでしょうか
長野 私は遅く帰っても かならず和服に着がえますよ 学生の頃から
の習慣で高等学校(旧制)までは久留米絣とか 夏はもっぱら白絣だっ
た 大学に入ると おふくろが大島紬を作ってくれましてね袴も揃って
いた 今でも着られるんですあれは非常に丈夫をものでね(笑)もっと
も私の家でも 毎日きもの着るのは 私ひとりになってしまった 家内
は 来客のある時とか 外出の時だけで 平生は着ない きものじゃ仕
事にならんらしい 私にとっては畳に坐って きものでくつろぐのが 
不可分の生活になっているんです
── 和服世代ですね
長野 かならずしもそうじゃないですね 若い人だって 和服の良さが
判れば着るんじゃないですか 年配の人でまったく着ない方もおられる
 以前いつだったか 岡崎嘉平太(元・全日空社長)先生にお祝いごと
があって 烏城紬をさしあげようか と相談していたら 誰かが“あの
方は着物お召しになりません”というんでね 他の品に変更したことが
ある
── 伝統的な民族衣裳だから というだけでは 若い世代に誠等力が
ないようですね むしろ洋服ばかりの生活の中で振袖などは 格別の獅
蜂な印象としてとらえられ迎えられているようです
長野 われわれの世代から見て、きものを着た女性は すでにそれなり
の雰囲気が感じられるが いまの若い人たちはどうですかね 先日も県
立女子短期大学の卒業式に出席したんですが まるで花園ですな こん
なに美しい衣裳を着ることのできる日本の女性は、しあわせだなぁとつ
くづく思いましたよ
── 休型にも適っておりますしね
長野 われわれの欲目もあるだろうが外国のドレスなんかより はるか
に良いですよ
── 《私の海外ノート》では この次はぜひ奥さまご同伴でブラジル
へ という約束をされてますね
長野 家内が人前へ出る時には きもの以外に考えられませんな(笑)
ただし あれほど人目につく衣裳もない 以前ロンドンに出張した時 
日本人の観光団体に出会ったことがあります 中年のきもの姿の女性が
 大勢でキョロキョロしながら歩いてる それはいいとして 長旅のせ
いで みんなヨレヨレに着くずれしとるんです 見る影もなくね(笑)
あれはいけません きものを持っていく以上は毎日着かえるなり 湯熨
(ゆのし)をするとかしなきゃいかんですね
── 毎日おなじもの着てはいけません
長野 一日着たら翌日は休むとかね(笑)美智子妃殿下のようなお方だ
と専門家が随行するんでしょうな 相当に手数かけないと 人前に出て
もはずかしくないというわけにいかんでしょう 私が思うにきもの関係
者に ぜひ考えてはしいのは両陛下のおきもの姿で民族衣裳をお召しに
ならんのは日本だけじゃないですか 
── ひところ“天皇陛下に着物を着ていただく市民連合──天着連”
なんて 永六輔さんが提唱してましたね
長野 なんでもいいから着ていただくというわけにはいかんでしょうが
 今からでも遅くない とくに皇后きまのローブとかポルテなど 本来
 おかしいですよ われわれのイメージにある両陛下は むかしなら軍
服か大礼服 いまはモーニングでしょう 十二単衣と衣冠束帯から一足
とびなんです だいたい明治維新の長州・薩摩のむくつけき侍どもに 
そういうセンスが判るわけがない
── 鹿鳴館の残した過失ですか(笑)
長野 それ自体は 過失というほどではないが 当時の仮装舞踊会で 
静御前があらわれたり(笑)欧化主義を鼓吹したなんていうが あれは
伊藤博文の個人的な好みだったんだね
── 陛下は おくつろぎの時たとえばお寝みまえには 何をお召しに
なってるのでしょう
長野 お供の万がそばに屠られるし 几帳面なお方ですから やはり背
広をお召しになっておられるのではないですか 丹前のようにくつろい
だ着物は ご存知ないのではないでしょうか 丹前とまではいかなくと
も せめて羽織をお召しになったらと思いますね かりにお足もとがふ
っきれていけないなら 上品な雪袴のように絞ってきしあげるとか む
かし茶人が愛用した茶羽織をあらたに工夫する そういうお姿が いか
にもお似合いになると思いますよ 生地も 各地から紬など とくに選
んで着ていただくべきでしょうね
── 山形県の米沢市議会では 市長はじめ米沢紬の正装で、ことしの
話題になりました
長野 そういう試みも必要ですね 男にもっと着せるべきです むかし
読んだ岩波文庫でゴンチャロフの《日本渡航海記》にロシア提督が長崎
で川路聖護奉行と会見するくだりがあって 東洋の果てに自分たちとは
宗教も文化も文明もちかう国があって その武士は 地味ながら 色あ
いといい 布地の美しきといい まことにすぐれた絹の衣を着ていた 
と書いています 他の予備知識があまりないのに ひとめ見てそれカ高
度な文化的洗練を経たものだと理解して 敬意を表しているんです そ
して あのきものを居間の壁にかけたり ソファに貼ればどんなにすぼ
らしいだろう(笑)なんて想像するわけです われわれが外国の民族衣
裳を見て楽しむように 彼らにとっても日本の民族衣裳は楽しいものに
ちかいない いわゆる民族衣裳というよりもうすこし高級な印象を与え
るのか きものですね
── ヨーロッパの民族衣裳も 今ではふだん着でなくなったようです

長野 毎日着る といった実用性はないでしょうね 日本のきものは 
夜会服に相当するものと見られます 日本の女性すべてが そういう機
会をもつとは思えないが 成人式や卒業式がそれに近いといえますね 
私が訪問したヨーロッパのある家庭では きものをカーテンみたいに飾
ってましてね みると何だか変なんです 実は汚れたから洗ったんだと
いう そりゃだめだ(笑)きものは湯熨といって 湯気でしめしてシワ
を伸ばす それも縫目をばらして 汚れも部分的に取るものでジャブジ
ャブ洗ったんでは台なしだ(笑)どうすればいいか というから 京都
へでも送って専門家に泣きつく他はないだろう(笑)といっておきまし
たがね
── きものの美しきはひとめて理解されても その技術を伝えるのは
たいへん困難なことですね
長野 私は 泥大島を作ってるところを見たことがありますが あれは
たいへんな作業ですね ああいうことを 自分でやってみようという若
い人たちも 少しは居るでしょうが いま以上に多くなるとは思えませ

── 行政的な保護も必要でしょうし 経営的にも 需給のバランスが
むずかしい
長野 中国で ある種の伝統的な技術を近代的な工場に移した例もある
か その出来ばえは かつての水準を超えるには至らない ほとんどは
稀少価値として求められることになるでしょうね 特殊な例としては 
龍村織物(二代目・平蔵)が試みたように 正倉院の古裂や名物裂の複
製 という形で伝えることもたいせつだと思いますよ
 
(54・4・9/岡山県庁知事室にて)
(Interviewer:Yoshihuji, Ken'ichiroh)
 
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── 長野 士郎氏(ながの・しろう=元岡山県知事、元全国知事会長)
5日午前9時30分、すい臓がんのため岡山市の病院で死去、89歳。
岡山県出身。自宅は岡山県吉備中央町吉川友国尻4479の16。葬儀
は親族のみで密葬を行う予定。喪主は長男乾太郎(けんたろう)氏。
 東京大卒業後、1942(昭和17)年に旧内務省入省。戦後、旧自
治省の事務次官などを務め、地方自治法の策定などを手掛け「地方自治
の神様」とも呼ばれた。72年から96年まで6期、知事を務め、
95−96年に全国知事会会長を務めた。
── 《訃報 20061205 共同通信》
 


♀静 御前 白拍子/源 義経の側女 11‥‥‥ 京都 12‥‥‥ ? /鎌倉前期
 川路 聖護 勘定奉行/海防掛 18010425 大分 18680407 68 /享和 1.0408〜慶応 4.0315
/ピストル自殺=江戸城開城の翌日
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 Putjatin,Vasil'jevich     18031118-1119 Russia 18861028 82 /
                 18041107-1108 Julius 18831016 79 /
/海軍提督/対日条約調印《日本渡航記18530822》/文部大臣[18610626 ? 18611225]
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 Goncharov,Ivan Aleksandrovich 作家 18120618 Russia 18910927 79 /
《Obromov,1859》《日本渡航記18530822》18120606 Julius 18910915 79 /
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 伊藤 博文  首相 1 18411016 山口 Harbin 19091026 68 /安 重根に射殺/天保12.0902
/[1-5-7-10代総理大臣]China 清宣統 1091369
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♀下田 歌子 実践女学校創立 18540929 岐阜 19361008 83 /嘉永 7.0808/猛雄の未亡人
/旧姓=平尾 鉐(セキ)
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 岡崎 嘉平太 全日空社長 18970416 岡山 19890922 92 /日中協会顧問
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 龍村 平蔵 1 染織工芸  18761114 大阪 19620411 85 /古代裂復元
 龍村 平蔵 2 染織工芸  19050428 ‥‥ /龍村織物2代目 /籍=龍村 謙
 龍村 光峯 織物美術  1946‥‥ 兵庫 /平蔵 2の三男
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 昭和 天皇124      19010429 東京 19890107 87 /06:33AM崩御
/0108皇太子=明仁親王践祚=平成改元/ [19261225-19890107]
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♀香淳 皇后 昭和天皇妃  19030306 東京 20000616 97 /旧姓=久邇宮 良子/邦彦王の長女
 1917婚約内定1920“宮中某重大事件”19240126結婚19261225皇后19890108皇太后
/20000710追号0725斂葬の儀〜桃苑画集,1967
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 長野 第三 士郎の兄 1915....岡山 総社 19961027 81 /長野病院名誉院長
 長野 士郎 元岡山県知事 19171002 岡山 20061205 89 /自治省事務次官
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 永  六輔 放送作家   19330410 東京       /“天着連”提唱
作詞/シナリオ/早稲田大学中退〜《上を向いて歩こう/こんにちは赤ちゃん/大往生》

 
── 「いつでもちゃんと話題をもっていて、いつ講演会があっても一
時間でも二時間でもお話が出来る人」と紹介。「今度、天着連というの
を始めました。『天皇に公の場できものを着用してもらおう連盟』で、
天着連。」「永さんが活動したから、鯨尺が生き残ったんだ。」と永さ
んの話題。
「天着連」に関して、明治時代の通達で天皇陛下は、公の場所で着物は
着てはいけない、洋服を着ることと決まっているらしい。また、天皇陛
下が来賓の方々と食事を取るときは、フランス料理。来賓が日本食を食
べたいという場合は、天皇陛下の代理人が来賓をお迎えして日本料理を
ごちそうするということに決まっている、と米朝師匠が説明していまし
た。(radiolife ABCラジオ)
── 桂 米朝《永 六輔、小沢 昭一は昔からおしゃべり 2005-05-07》
http://radiolife.exblog.jp/1712153/
 
(Photo:Awa, Masatoshi)
 
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>>
 
 もう一つ私の気に入ったのは、こんなに絹の羽織や、袴や、裃が集ま
っていて、その中に一つもどぎつい鮮明な色がないことであった。赤も
黄も線も原色のままのは一つもなくて、すべてがその二色、三色の混和
色の和やかな軟い色調である。日本人を原色の羽色をしたオウムか何か
のように、描いている絵画は信用できないのである。ここでは下層民の
服装でも、私がシンガポールのある農園で見てきた老若男女の群とは違
っている。あちらでは、マライ人やインド人の派手な衣服の入り乱れて
いるのに庄倒されて、博物学研究室の鳥の標本のようだと思った。
 ここでは下層民の群衆を見て、第一に目につくのは、前にも云ったよ
うに裸体であって、その次に多いのは単色であるが、鮮明な色ではなく
て、多くは青である。他の上層階級の衣服には、あらゆる混和色が用い
られているが、その選択はすこぶる厳格かつ趣味的である。
 削りあげた頭や、とろんとした眼差や、出歯などを見ないで、服装だ
けを見ていると、自分がどこに居るかを忘れ、極東ではなくて、極西に
居るのではないかと思う。盛装の色調は、ヨーロッパ婦人のそれと同じ
である。私は、老人が花模様緞子の袴をはいているのを五人ばかり見た
が、これもくすんだ色であった。あとの者は、単色の灰色の袴や、ねず
み色の袴の者もあり、又くすんだ青色、アデライデ(好みの色)、ダー
ク・グリーン、りんご色の緑など、一口にいうと最新の流行色(couleurs
fantaisie:ほしいままの色)が全部そろっていた。
 奉行(大沢豊後守)は、黒の細縞の入った同じ紫色(pensee)の長着
と袴をつけていた。奉行の上衣(マンチラ)は他の者と仕立が違ってい
た。皆の者は背も袖も滑らかで、袖は手首のところも広く、全体がわが
国(帝政ロシア)の婦人マントに似ている。奉行のは脇の辺で袖が切り
落してあった。それから、小さな翼のような付け足しが出ている。あと
で知ったことだが、これはわが国の通常礼装に相当する略式礼服である。
だが、こんなに私が日本の流行論を一席やろうなどとは、自分でも考え
たこともなかったし、諸君も、おそらく想像もされなかったろう。
(125〜127p)
 
 十月七日(陰暦九月十六日)は、我々のクロンシタット出発以来満一
年である。(18531007)
 私は、ついに日本の婦人を見た。男子と同じ袴で、咽喉をつつむ上衣
を着て、頭だけが剃ってない。立派な身なりの婦人は、ピンで後から髪
をとめている。みんな色黒で、たいへん見苦しい! 日本の婦人は大胆
な仕草をするそうだが、私は知らない。見たこともない。また日本婦人
の評判を汚したくもない。近頃は、この日本婦人が、たくさん艦の周囲
を乗り回している。みんな不美人で歯が黒い。その多くが大胆にこちら
を見て、笑うのだ。しかし、いくらか美しくて、立派な着物を着た女達
は、扇子で顔をおおうのである。(149p)
── ゴンチャロフ・著/井上 満・訳《日本渡航記
〜 プレガート『パラルダ号』より 〜 1941‥‥ 岩波文庫(初版)》
 
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 嘉永六年(1853)アメリカとロシアが同時に各四集の艦隊で日本開港
を要求し、長崎談判が始まります。ロシア提督の秘書として同乗する作
家ゴンチャロフ(1812〜1891)は聡明な怠け者を描いた長篇小説の《オ
ブローモフ》で知られ、冷徹な観察眼と鋭敏な表現力で、当時の日本人
を分析し、記録しています(訳文を現代表記に改めました)。
 
 *十月七日=ロシア暦 18531007(Gregorio 1019)嘉永 6.0917
 18730303 皇后、率先してお歯黒・眉墨をやめる。
 
── きもの百科/きものの誌《きぬえにし 19790409 山陽きもの振興会》
 
(19790409-20060414)(20061205)
 


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