与太郎文庫
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1978年02月01日(水)  PRAD《印刷入門》 序説:紙を汚した技術史

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780201
 
 序説:紙を汚した技術史
 
 印刷の技術を、歴史的に大別しますと、次の三つの時代に分けられま
す。それぞれ過去・現在・未来というふうにオーバーラップしています。
 
1.物理的印刷の時代:
  グーテンベルクの活字印刷が15世紀にドイツで完成ー→活版。
2.化学的印刷の時代:
  19世紀の中期フランスの画家ダゲールが写真術を発明ー→オフセット。
3.光学的・磁気的印刷の時代:
  19世紀末、エジソンが蓄音機を発明。1920年アメリカでラジオ公開
  放送はじまるー→電波。
 
 レコードやラジオが、印刷の延長線上のものではないか、という考え
方はそもそも印刷が、紙と切っても切れぬ関係になる以前から、存在し
ていた、という事実にもとづきます。
 印刷そのものの目的は、意志の伝達である、文字あるいは言語の伝達
記録として石や木の皮、羊皮などを経て、ようやく紙の発明による、大
量印刷と大量伝達の時代を迎えたわけです。
「水と空気以外のものなら、何にでも刷ってみせる」と豪語する印刷会
社もあります。電波や磁気テープに、印刷媒体としての延長をみること
は当然のなりゆき、といえましょう。
 
 文字の原点
 
 活字印刷の創始者グーテンベルクが一ページ2段、一段42行のバイブ
ルを完成したのは15世紀、キリストの生誕から実に1500年ものちの事で
す。
“はじめに、ことばありき”とヨハネ伝福音書は書きはじめられていま
すがことばが活字になるまでに、これほどの年数を要したわけで、それ
以上に、ことばが文字になるまでの、永すぎた年月が思いやられます。
 もっとも古典的な文字のスタイルで現代なお用いられているものの一
つにオールド・ローマン書体があります。
 
 
 O   A    R
 serif −↑  ↑ ↑
 ↑や↓の部分は、セリフと呼ばれて現在なお健在です。単なるデザイ
ン上のカッコよさだけで評価されている点もあるでしょうが、古代ロー
マの時代では、作字上のやむを得ない理由で、つけ加えられた部分でも
あります。
 もともとローマ字は、幾何学的発想で作られたもので、原型は下図の
ように素っ気ないものでした。
 
 
 O   A    R
 |-|-|-|-||-|-|-|-||-|-|
 
 コンパスと定規さえあれば、小学生でも描けるのがローマ字です。し
かし彼らには、意志的な表情を織りこむことは無理でしょう。オールド
ローマンが荘重で、優美な印象を与えるのは、なぜでしょう。
 古代ローマでは、もっとも重要な文字は、紙でも羊皮紙でもなく、岩
石に刻まれていたのです。
 したがってセリフは、ノミのような刃物で打ちつけた後に、石のくず
れ落ちるのを止めるための工夫でもあったのです。
 石や木に、文字を刻んだ時代から、大量のローコストの紙が登場しま
すと、文字が書かれる時代を迎えます。しかし、まだ大量印刷には至り
ません。
 
 忘れられたセリフ
 
 紙を発明した中国には、毛筆があり今日の日本でもフォーマルな文書
にはしばしば見うけられます。西欧では、羽根ペンや葦ペンが主役であ
り、平筆のようなものはあっても、ブラシと称する無造作なスタイルに
用いられます。
 毛筆が、楷書・行書・草書の順に、流れるような文字に変化していっ
たのに対して、ペンはスクリプトと称する華麗な曲線を生みました。不
器用な、アメリカ人がタイプライターで手紙を打ったあと、かならず自
筆で署名するのが、スクリプトです。
 近代になると、鉛筆やボールペンのような、いわば硬筆が普及します
が、これらは筆圧の変化がないために、非個性的名スタイルになること
を避けられません。
 しかし、幾何学的だったローマ字が、のちに優美なスタイルへの変遷
を遂げたように、ボールペンやサインペンの将来が、かならずしも金釘
流におわるとは断定できないでしょう。
 さて、紙の登場によって、忘れられていたセリフが復活するのは、活
字の出現以後のことです。スクリプトでは文字単位としての活字になり
ません。のちの技術では、ごく間単につなげるデザインが生れています
が、初期の段階では不可能であり、不適当な書体でした。日本語の場合
でも、漢字はともかくとして、平仮名を活字化するにはかなりの無理が
感じられます。
 
 大量伝達の文字
 
 セリフの復活は、ラインを統一してhやnを明確に区別したり、全体
的な字づらを揃えるという実用面での効果が再評価されたためのようで
す。日本の明朝活字も、その影響を受けているように思われます。
 一方では、活字印刷のための書体として、サンセリフ(セリフなしの
書体)が脚光を浴びることになります。
 英米で呼ばれるゴシック体は、これとちがったドイツ風のもので、ど
ちらかといえば葦ペンのスタイルに近いものです。
 
 
 オールド・ローマン      ABcDE
 
 モダン・ローマン       abcDE
 
 スクリプト          Abcde
 
 ゴシック           ABcde
 
 サンセリフ(日本ではゴシック)AbCDE
 
 イタリック(斜体)      ABcDE
 
 
 以上が基本的な英字スタイルですが大量印刷・大量伝達が可能になる
とともに。多くの活字デザイナーが工夫をこらして、無数の書体を開発
します。
 合理性を重んじて、可読性の限界に挑戦するもの、装飾性を加えて絵
画的な表現を織りこんだものなど、最近ではコンピューターに読ませる
文字なども登場しています。
 こうした人工的な文字は、もはや書いたり刻んだりする時代の面影は
なくなり。いわば作られた、描かれるべき文字と呼ぶべきでしょう。し
たがって、文字の歴史を大別すると、次の三種があげられます。
1.CUT(刻む時代)
2.WRITE(書く時代)
3.DRAW(描く・作字の時代)
 これまでの内容をまとめてみますと下の表ができあがります。印刷技
術のもっとも重要な使命が、文字の伝達であり微妙にオーバーラップし
ながら両者が歩みつづけていることも明らかです。
 


   印刷方式 印刷の名称 主な機能  文字表現  用具と媒体
────────────────────────────────
    物理的 活版・凸版 記録・伝達 CUT   超硬筆(刃物など)で
 過去     組版/孔版             石・木を刻む
    化学的 オフセット 大量伝達  WRITE 軟筆(毛筆ペン)で
                          紙にスクリプト
 現在 光学的 平版・凹版 平面的再現 DRAW  製図用具で描く
    磁気的 ゼロックス (写真伝達)視聴覚素材 音声・映像を電波送信・再生
 未来    電波・テープ 同時伝達 コンピュータ 硬筆(ボールペンなど)

 
 
 
 私説:昭和の三筆
 
 わが国における文字についての関心がどれほど高いものであったかと
いうと、平安初期の三筆として嵯峨天皇、空海、橘逸勢にはじまる各時
代、世尊寺流とか寛永の三筆、黄檗、幕末に至るまで名筆家というもの
が、きわめて高い評価のもとに伝えられているほどです。
 欧米では名文家はあっても、名筆家という呼称はないようです。むし
ろ、職業的な活字デザイナーとして署名のない人たちの業績に注目すべ
きものがあります。
 中国や日本では、毛筆を自在にあやつって格調の高い文書をしたため
ることが教養人としての必要条件であり、悪筆を恥じる習慣があります。
 欧米のインテリたちは、サインだけは後世に残るものとして熱心な練
習の成果を見せてくれますが、日常のメモについてはほとんどブロック
スタイルという一種の金釘流で満足しています。
 私たちが、現代日本の、昭和の三筆を選ぶとすれば、どんな人たちが
ふさわしいでしょうか。
 いわゆる達筆という点では、数年前自決した作家に故三島由紀夫があ
り、稚気あふれるカボチャ絵を全国の料亭に飾らせた故武者小路実篤も
有力な候補者と思われます。最近亡くなった花森安治氏もユニークなワ
ンマン雑誌《暮しの手帳》による新鮮な文字感覚が忘れられません。
 しかも幕末までの日本と、人類史上最先端の文明に囲まれている現代
日本とでは、文字の機能・文字の需要に、大きな変化が認められ、文字
そのものの専門家は、戦後になってようやく姿をあらわします。
 
 証言1:邦字の研究
 
── 文字について語ることは 際限のない世界なんです ところが専
門家とか専門書という点では きわめて少数です 私の経験を申します
と美術学生の頃佐藤敬之格という先生の講義を聞いて初めて“これだ”
と恩いました それ以前には 文字に対する関心といってもいわば重箱
のスミをつっつくような問題で気になる点や知りたいことは いっぱい
あるのに 人にいったり議論するのはどうも気がひけていたんです 
 それが佐藤先生の授業で“これが明朝体の縦と横の線の太さをあらわ
す放物韓である”なんて大きな紙を展げられ 見ると複雑な方程式のよ
うな数式まで書いてある 美術学生なんて だいたい数学などできない
連中だからおどろきました 佐藤先生は東大数学のご出身で戦後なにか
の拍子で英文字に興味を抱かれて文字の研究家になられた“オレは字は
うまくはないんだ”などといっておられたが 講義はすばらしい内容で
した たとえば最近でも犯罪が発生して 手がかりになる紙切れに活字
が印刷されてる場合 それは昭和何年ごろの活字か なんて鑑定が必要
になる すると結局は佐藤先生が登場されるわけで 要するに国立大学
に活字や文字の研究室もないのが実状です 活字や文字に従事している
人は ずいぶん大勢いるのに 専門的な研究や意見を述べられる人は 
それほど少ないんです 一般の読者やライターはもとより文字に従事す
る人たちが いまいっそう注意ぶかく文字の細部に目をこらして 意見
を述べたり 関心や需要を高めれば すぐれた専門家がもっと誕生する
と思われます
 
 証言2:石井明朝
 
──数年前《明朝活字の歴史》という本が出版されて 私がうっかりし
てるうちに著者や出版社を書いたメモを失くしてしまったんです 書名
だけだと調べたり探したりするのは困難です もしこれが 私家版のよ
うなかたちでごく少部数しか出てないとすると後世に残る可能性は限ら
れてきます そんなわけで専門書が少ない 手に入りにくい“明朝”と
いうから 中国の明の時代にできた活字かと思うと 宋朝に完成された
書体で 日本に渡来したのが明の時代だという 宋朝はいつの書体かと
なると よくわからんのです 
 今われわれが知っている邦文活字は明治になって大量印刷が始まった
のであわてて作られたのか基本の形です ですから出典についても ス
タイルにしても とくに漢字と仮名のバランスなどは実に問題が多いは
ずなんです 大正末期に石井茂吉(1887〜1963)と森沢信夫の両氏が
“活字を使わない印刷機”という発想にとりつかれて以来今日の写真植
字機を完成するのですが原理はタイプライターとカメラをくっつけるだ
けのもので文字はどうするかそんなものは従来の活字にちょっと手を加
えて使えばいいと最初は簡単に考えられた しかし レンズを通す制約
もあり 大小さまざまに変形させたりすると読みづらくってしょうがな
い やっぱり活字じゃだめだ というわけで 石井さんは自分で書きは
じめたんです 英字とちがって日本語の場合はアイウエオからはじまっ
て 標準的な漢字は3000〜6000字に達する 明朝体なら細明朝・中明朝
・太明朝・特太明朝というふうに必要だから合計2万数千字書くわけで 
さらにゴシックとか楷書体・宋朝体など 気の遠くなるような数字に 
たったひとりで挑戦された もともと東大出身のエンジニアだった人が 
まるで専門外の作業に取りくんで 文字どおり後半生をかけて描きあげ
た文字大群です その成果は昭和35年の菊池寛賞“石井細明朝”に象徴
されます 気品と格調にあふれるデザインは 従来の活字のもっていた
多くの欠点を改良した上 漢字や仮名のルーツに対しても 厳しくチェ
ックされています 今日われわれが目にするすべての印刷物(新聞・雑
誌・TVもふくめて)のほとんどが 石井書体であろうと想像されます
 石井さんの業蹟は 脱活字時代をもたらした写真植字機の普及と 晩
年には諸橋轍次著《大漢和辞典》13巻の原字制作50万字という二つの頂
点で邦字デザイナーとして おそらく空前絶後の巨峰です。
 
 証言3:ファッションとしての文字
 
── 石井翁が亡くなってから昭和45年“石井賞”が設けられ文字デザ
インのコンクールが開催されています 47年“石井賞”が設けられ文字
デザインなどユニークな企画が好評です“石井賞”では 中村征宏氏が
第1回第1位の栄冠を手にしました 中村さんの描いたラウンド風書体
なので“ナール”と名付けられ 50年ふたたび中村さんの角ゴシック風
の新書体だから “ゴナ”と呼ばれる文字群が商品として世に出ること
になりました ゴナもナールも たとえばアンノン雑誌のようなカラー
ページの多い印刷物 端物と呼ばれるパンフレットやポスター さらに
週刊誌を主な市場として まさに一世を風靡しました こうして毎年フ
レッシュな書体が開発されています
その傾向をみると 本文用から見出し的な効果をねらったものに変化し
ております もし石井翁が存命であれば これらの文字についてどんな
感想を抱かれるでしようか
 
石井細明朝 愛 あ ア
 
ナ ー ル 愛 あ ア
 
ゴ ナ U 愛 あ ア
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 座談金:製・整・刷版
 
── 文字ができますと 印刷に必要な手順は 次の三段階です。
1.製版(活版印刷では、鉛の活字を鋳造して並べる。オフセット印刷
  では清刷とか写真植字を台紙に貼る一一広義の版下作業に当る)。
2.整版(活版印刷では、刷面をととのえもっぱら物理的な調整。オフ
  セットの場合は写真撮影して最終版となるアルミ版に腐食焼付する)。
3.刷版(それぞれの最終版を機械にかけ、紙を送りこむ)。
 実際には さまざまの方式があり それぞれ複雑な工程と技術を要し
ます。こうして最初の一枚がインクで汚されるわけで ここまでの費用
は たとえ一枚であろうが 一万枚であろうが。まったく変りません 
経済的ロットという考えがありまして設備の規模に応じて 担益分岐点
を枚数であらわしたりします 5000、3000、1000枚といえば その工場
でそれ以下の枚数を註文しても 値段はあまり変らないようです スク
リーン印刷では 経済ロットは何枚でしょう
土井 千枚以下ですね ふつうの印刷ですと枚数が多くなるほど 単価
が安くなるんですが 私のところでは そうならないんです 半自動の
輪転機を使ってますが ほとんど手作業で 一枚づつ抜きさしするわけ
です 特殊な印刷ですから 一般的な印刷の概念から外れたものですね
── すべての印刷がマスプロをめざしているかというと 反面 たと
えば学校の試験問題などのように限られた小部数の需要もあります ゼ
ロックスなどは もっとも進んだ印刷機械でしょうね 手を汚さない 
ある時期まではこうしたミニ印刷は“ガリ版”が一手に引き受けていま
したけれども
岡 あれは書き手によって ずいぶん異ったものになりますね いまで
も学生運動なんかに活用されてます
── アジビラや機関誌など 内容によっては印刷屋さんに出せない
(笑)ものもありますから
岡 経済ロットはいちばん低いでしょうけれど 耐久ロットはどうです

── まず線の部分から破れてくるんです 輪転機を使うと少しは永も
ちするのですが インクと紙ぽこりの目づまりも早いから 不鮮明な仕
上りになります 私自身の経験では スクリーンを使わずに原紙そのも
のにローラーを当てますと 忠実な再現が可能ですインクの量を最低に
して 力いっぱい刷りこむわけです 200枚も刷ると原紙が破れる前に
まず息が切れてしまいます(芙)ですから原紙が破れると その版はお
しまいですね
土井 スクリーン印刷も スクリーンを使わずに済むなら それこそ理
想的なんです しかしガリ版とちがって支持体がなくなると バラバラ
になりますからね(笑)
岡  絹以外のスクリーンも使うんですか
土井 テトロン・ナイロン・ステンなど ステンの場合は織らずに組ん
だものを使います
岡  フイルム状の物は使いませんか
土井 スクリーンとしてじゃなく スクリーンの上で使うわけです イ
ンクを通さないための障害物として考えられたものです たとえば 塩
化ビニールの溶液に感光剤を混ぜたものをスクリーンに塗布します 日
光写真の原理で光を当てて インクの通る部分を薬品で洗い流します 
最近はICやプリント配線など 精密な物を要求されますので ますま
すスクリーンが邪魔になってきたのです 網目の部分にインクがつまっ
て100枚目あたりからそれが乾き始めます すると その部分の電気抵
抗が微妙に増減する結果を招くわけで その予防に苦労させられます
── たとえば 不織布の上のようなものが出現しましたね 和紙みた
いに不規則な織り方をしたものにボールペンで筆圧を加えて その部分
にインクをしみこませる デュプロなどもこの原理ですね
岡  マイ・プリンターなんて商品もありますね ヤスリの要らないガ
リ版で便利だけどもやっぱり鮮明ではない
土井 新製品は 完全なものでなくても参考になるものがありますね 
最近の“プリントごっこ”などなかなかよくできてます
河部 私のところも早速買ってきました(笑)ゴムのような樹脂を印刷
に応用したものもあるそうですね 顔写真のスタンプとか 似顔絵の名
刺とか 
週刊誌の広告でサイドビジネスに最適なんてのを読んだ事があります
土井 いまは ハンコ屋さんにしても昔みたいに刃物で彫るなんて時代
ではなくなって樹脂に感光剤を混ぜて 光を当ててから薬品で洗い流す
 この場合の凸凹は オフセットの版のようにして おまけにゴムそっ
くりの色に仕あげてあるんです
岡  写真の原理を応用した例が多いようですね
── ダゲールの創始した写真術は腐食という化学定着の発見だったと
いえます 河部さんのところで使っておられるのは簡単オフセット(軽
オフ)ですが これは磁気を応用したものですね
河部 専門家でないから 詳しいことは判りませんが 鉄粉を磁気で集
めて定著しますと 版ができるしかけですあとは輪転機ですから 原理
としては簡単なのでしょう
吉藤 写真も印刷できるんでしょう
河部 できます だけど鮮明な結果を望むとすれば あらかじめ専門業
者に製版を依頼しなければなりません
── つぎに印刷工程の一覧表をみてみましょう


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