与太郎文庫
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| 1970年10月23日(金) |
京都市交響楽団常任指揮者 渡辺暁雄氏に聴く |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701023 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Our Picture;渡辺 暁雄 19701023 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701023 出谷 啓《渡辺 暁雄氏に聴く 197012‥冬号 季刊アルペジオ》P08-11 ──まずズバリおうかがいしたいのですが、外山雄三氏がやめられてか ら、はたしてどなたが京響の次期常任にというのは、我々はじめ多くの フアンの興味の焦点だったわけですが、渡辺さんがお引き受けになった その動機をきかせていただきたいのですが。正直に申し上げて、我々に はちょっと意外な気もしたのですがね。 渡辺 私もこちらにきて、二、三そのようなことばを耳にしたのですが、 そんなことより京響がどんなに良いオーケストラかということを、今一 度御認識いただきたいと思います(笑)私はもう二、三年前になります が、一度京響に客演して、非常に純粋でしかも熱心な音楽性を持ってい るのに感心したことがあります。ところが日本の音楽文化はどうしても 東京中心で、京都にこんなに良いオーケストラがあるのに、また大阪に も大フィルという素晴らしいオーケストラもあるのに、全国的にほとん ど知られていないのですね。こうした状態は日本の音楽のあり方として は良くないと思うのです。そこで私のような者でも、東京をはなれたと ころで仕事をすることによって、少しでも地方のオーケストラの状況を 広く知らせることも不可能ではないと悪ったので、有りがたくお引き受 けすることにしたのです。勿論このような要素は、あとでつけ足したよ うなもので、第一には京響の楽員諸氏のひたむきに音楽する態度に大き な希望をかけたからだということは、いうまでもありません。 ──ではひとくちにいって、京響のオーケストラの特質といったものは、 どういうところにあるとお感じになりますか。 渡辺 さきにも申し上げましたように、まず音楽に対する純粋さでしょ うね。そして楽貝諸君にも、きれいな音を出そうという意志がふしぶし に感じられるのです。御承知のように京都というまちは、日本でももっ とも純粋に文化的で、美しいところですが、そこのオーケストラなのだ から、純粋で美しい音色を志向するというのは当然なのかも知れません が。私としては、このような特色はこれからも伸ばしていきたいと思い ます。 これは余談ですが、私がヨーロッパで、京響に行くというはなしをし ましたら、みんなから大変な祝福を受けましてね。ヨーロッパの知識人 で、京都を知らない人なんて一人もいませんで、日本でも最高の文化都 市というイメージをだれでも持っているのです。そこにあるオーケスト ラだから、いいにきまってる(笑)と思い込んでいるのですね。だから 何度もいうようですが、それだけに地元のみなさんに、もっと関心と自 信や誇りを持っていただきたいと思うわけですよ。 ──以前チェリウス氏が指揮者だった時期は、よく「モーツァルト・オ ーケストラ」などという、有難いのかそうでないのかわからないような 評判を受けたのですが、これはやはり内在的な京響の「純粋さ」とかか わリがあるのではないでしょうか。 渡辺 最近チェリウス先生にお会いしたときも、�爛�レは日本でモーツ ァルト指揮者にされちゃった�瓩箸い辰栃鯵瓦靴討�られましたがね(笑) だけどモーツァルトの音楽は大変純粋で、弾く方にとってはとてもコワ い音楽なのですよ。だから京響がはじめから、モーツァルトに向いてい たというよりも、モーツァルトを弾かされることによって、その特質が 自然に備わってきたと解するべきてはないでしょうか。 ──今度は逆に、京響に一番欠けているといいますか、渡辺さんとして こうした点を京響にのぞみたいといった点を腹臓なくきかせていただき たいと思いますが。 渡辺 そうですね。今いったことのうらがえしになるのかも知れません が、京響が非常に純粋なオーケストラであるという反面、そのマジメさ がもろに表面に出てしまうことです。お客様は何も楽員が真剣に音楽す る姿を見にこられるのではないのですね。音楽の持っている美しさとか 楽しさといったものを、やはり求められると思うのです。その点まだ京 響の諸君は、ステージでその真剣さが表面化されてしまうのでしょうね。 良くいえぱスレてないということなのでしょうが、もっと自分の感情を 音楽に投げ込んで、いわゆるのった演奏をするようになればなお良いと 思うのです。 ──ということは、プロとしての根性を持てということになりますか。 渡辺 そうですね、たとえていえば非常に優秀な学生さんのオーケスト ラといった面がなきにしもあらずですね。勿論ただリラックスしろとい うことではなく、音楽の持つ楽しさ美しさにのって演奏しても、そこに 自分を心の奥で監督するきびしさは必要ですが。でもそれを聴衆の皆さ んに、じかに感じさせるのはのぞましいとは思いませんね。もう少し表 現の巾が出てくれば、よりいっそう良いオーケストラになると思います ね。 それと、これは楽員諸君にいうことではなく、京都市に注文したいの ですが、これほどの立派な会場とオーケストラを持つにしては、編成が 少し小さすぎると思うのです。もっと弦をふやさなけれは少し大規模な レパートリーては充分な効果を期待できないのが現状です。京響の弟分 にあたる東京都響にしても、もう86人と私どもを上まわっていますし、 釆年度は92人の四管フル編成に拡大されるということです。この点は、 もう少し皆さんの御理解をいただいて、定期演奏会にお手伝いの必要な い人員だけは確保していただきたいとお願いする次第です。 さきのチェリウス先生の話ではないですが、モーツァルトばかり演奏 したというのも、せんじつめればモーツァルトにもっとも適した編成で あったということてはないてしょうか(笑)。 ──これは日本の病弊ともいえるのでしょぅが、楽壇もジャーナリズム もすべて東京中心主義なのですね。だか,地方で音楽活動がおこなわれ ていても、それが全国的に知られていないのです。だから地方の楽壇人 自身が、実体をよくわきまえもしないで、東京に比べて関西は劣ってい るのだろうと勝手に決め込んている傾向はありますね。それには中央が 余りに華やかで、地方の状態が全然報道されないという現状のウラがえ しともいえないこともないと思いますが。 渡辺 でも京都の人がそれではおかしいと思うのですよ。学問の分野て も京都学派というのは大変なものでしょう。美術の方面てもまたしかり ですね。そうした観点に立てば音楽の方でも、市民のみなさんにもっと 京響にほこりを持っていただきたいですね。 ──ところで渡辺さんの場合は、ながく東京で御活躍なさってきて、は じめて関西の楽壇とも直接、接触されているわけですが、東京と関西と の雰囲気的なちがいもずい分あるだろうと思うのです。今の、御気持ち の新鮮なうちに、そうした気風のちがいといったものを率直におうかが いしたいのですが。 渡辺 一般の聴衆にかぎっては、そう大したちがいはないように思いま すね。ただもっと音楽会が多くあるといいですが。東京ではいつも一日 に二、三は最低ひらかれているのですが、その点こちらは大分少いよう に思います。それとまあ、これは一般的なことでなしに、音楽の専門家 の方たちについてなのですが、何となくまとまりがないように感じまし たね。東京なんかですと、たとえばオーケストラの定期公演など、いろ んな人たちが聴きにきているわけですよ。休憩時間のロビーなど大変な にぎわいで、私なども出ていきますといろんな人たちとお話ができて、 ピアニストの人たち、ウァイオリニストの人たち、声楽家と、大変ヴァ ラエティにとんだ顔ぶれなのですが、こちらはそういうこともなさそう なのは、ちょっと意外てした。 ──それは、地元にいる我々にも痛切に感じられてきたことなのです。 例えばピアノのリサイタルには、ヴァイオリニストはこないし、オーケ ストラのコンサートには、ヴァイオリニストはほとんどききにこないで すよ。でもそれは、関西だけてなく束京でもおなじことだろうぐらいに 思っていたのですが、今のおはなしは我々にとっても意外でした(笑)。 そうしますと関西というところは、地方独特の小さなサークルが多くで きてしまって、そのサークルどおしの対抗意識が、結果的に全体の足を 引っぱっているといえるかも知れません。その点渡辺さんに、長い東京 での御経験を通じて、関西楽壇にぜひとも新風を送り込んていただきた いと思いますね。 渡辺 はい、私もできるだけそのように考えているのですが、何からど う手をつけていけばよいのか、なれるまであせらずゆっくりと改めるべ きは改めるよぅに、努力を怠ってはいけないと心に銘じている段階なの ですが。 ──話題が少しとびますが、日本フィルをおやめになってから、ヨーロ ッパで御活躍だったわけですが、いかがでしたでしょう。 渡辺 立場としては、まったくのフリーで、スイスに一応根城をかまえ まして、主として演奏旅行をおこなっていたのですが、これは私自身に とっても大きな勉強の時期にもなりましたし、京響にとっても大変プラ スになると思いますので、これからも続けてぃきたいと思います。今ま で振ったオーケストラでは、ベルリン・フィル、イスラエル・フィル、 フランス国立放送局管弦楽団などが印象深い経験として残っています。 またアメリカでは、ストコフスキー指揮のアメリカ交響楽団が期待でき そうですね。団員の年令も若く、多くの優秀な日本人が入って活躍して います。 ──最近はまた指揮者の方も、多くの若い人たちが活躍をはじめたよう ですが、おききになった人たちの中で御自身ではだれに期待できると思 われますか。 渡辺 私たちは、どうも自分のスケジュールに振りまわされて、なかな か他の人の指揮をきくチャンスにはめぐまれないのです。だから誰々と 名前をあげていうのはむづかしいのですが、それでもいちじ持てはやさ れた身ぶりのハデなスター・コングクターよりも、地味であっても実際 に音楽性を持った人たちが受け入れられるような状勢になってきたのは 喜ばしく思っています。 ──それではおしまいに、渡辺さん御自身の京響に対する指揮者・音楽 監督としての抱負のようなものをひとこと。 渡辺 まずどのようなレバートリーも消化てきる柔軟さをかちとること、 そして京響の存在を全国的にもっと知らしめることですね。これは今ま で余りやっておられなかったようですからね。これについて私はぴっく りしたことがあるのですが、日本のある新聞社のロンドン特派員のひと が、私が京響に着任したというニュースをみて、京都にオーケストラが あることをはじめて知ったというのですよ。ぼくはそれをきいてゾ一ッ としましたがね(笑)。 だから当分のあいだは、東京にものり込んて演奏会をひらくとか、P Rにつとめるつもりでおります。むしろこれからの京響には、そうした 広報活動のようなものを、もっとも必要とするのではないかと思います ね。私としては、チャンスさえあれば、京響を世界の人々にも知ってい ただきたいとさえ思っています。またその意味では、これからは邦人の 作品なども、万遍ないスタイルのものを積極的にとりあげていこうと意 気込んでいる次第です。(10月23日 京響事務所指揮者室にて) 渡邉 暁雄 指揮 19190605 東京 19900622 71 /19560622 日本フィル創立 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19900622 渡辺家の人々 〜 日本フィル創設44周年 〜 いま初めて(OCR化するため)読みかえして驚いた。 モーツァルトの名が6度も連発され、シベリウスが一度も出てこない。 京都の文化活動が「中央に劣っている云々」は、くどくて聞き苦しい。 (20091119)
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