与太郎文庫
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1970年03月07日(土)  編集帖

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700307
 
 編集帖
 
 今月からページ数が倍増した、といっても前号の例があるので、先の
ことはわからない。前号が、《10・11月合併号》となったのは、実は二
三の事情が重なって、遅れることしばし、ついには10月号を10月末に出
してどこがいけないかという有力意見も、それでは11月以降の出る幕が
危うくなるだけ、という正論を経て、結局は妙なことになってしまった。
奇特にして毎号お読みいただいている方々には、まことに礼を失した次
第である。
 
 去る9月12日、休刊あるいは延刊もしくは併合の報告をかねて、快晴
の瀬戸内海は舞子海岸にある小石忠男氏宅を訪れた。かの《文芸春秋》
創刊時の編集長であった菊池寛大人は、依頼原稿を受けとる日には、卒
然と下駄をはいて各執筆者の自宅におもむいたという。日頃、編集者た
るものかくあらん、と人にも伝え、みずからにもいいきかせるうち、半
年が無為にうち過ぎてしまっていては、単なる不意の訪問にすぎず、さ
すが下駄はあきらめての参上。“表紙を色刷りにするとか、もう少しな
んとかならんですかなあ”と氏はおっしゃるが、目下のところ確答はで
きない。常はもっと欲張って、付録にソノ・シートなどイカすのではな
いか、などと夢想こそすれ、まったく先のことはわからない。長居の間、
バーンスティンの《運命》解説レコードなどあれこれ聴かせていただく
うち、対岸の四国も暮れて、手みやげに持参した千枚漬、その夜氏夫妻
の食卓を飾るやいなや、数うれば氏の玉稿はあわせて50枚に満たぬ、な
どとつまらぬことを考えながら帰途につく。
 
 小石節につづくは出谷節、佳境たけなわの自作自演シリーズも予定で
は来年3月まで。次なる連載のタイトルを協議中である。“愚作愚演と
か偽作偽演はどうだろうか”との愚案に、彼出谷啓氏はあきらかなる侮
蔑のまなざしにそえて、こんな実話を話してくれた。
 さるレコード店に、《月光ソナタ》を求めるひとりの客があった。そ
こに居合わせたD氏にたずねていわく“ベートーヴェンの演奏したレコ
ードはないんでしょうか?”依頼絶句した彼は、いまだに賢答の見当さ
えつかぬ、という。
 
 “一聴一席”が、一朝一夕あるいは一石二鳥に由来する一種の洒落で
あることを英語で説明することが可能かどうか、などと通訳の門脇邦夫
氏と最初の打合せをしたのは6月のはじめだった。ききてと速記者とカ
メラマンと録音技師そして編集者、さらにレイアウトマンを一身に負う
者として、かねて用意するたとえを披露するならば、この記事の制作は
一種のひとり麻雀に似て、もち帰ったテープを反復すること十数回、ひ
とつひとつのことばを、パイの如くにいったんかき混ぜはするが、それ
以外のことばをほとんど用いないのが主義といえばいえよう。日本語を
日本語でかきまわすのはまだしも、外国語となると、まるで勝手がちが
うのは当然ながら、今回のハモールスキー館長の場合は、あたかもトラ
ンプで花札をやるようなものだった。
 話題が“Cross Cultural Communication”に終始したこともあり、
言語学者でもある館長としては伝達ないし翻訳にきわめて厳格にのぞま
れるところで、日本語の原稿はもとより、さらにその英訳を要求される
に及んで門脇氏、こんどは花札でポーカーをやる破目とはなった。二度
が三度、三度が四度に、通訳とききてはテープレコーダー、タイプライ
ター、辞書それに、やかんいっぱいのコーヒーを動員してのディスカッ
ションを重ね、何のことはない受験前夜の心境のうち、ふと思い出した
のは最近のハウ・ツーもの《カタコトでもいーです》とは何事ぞ。
 
(1969・12・3/シェリング独奏/シューマン《ヴァイオリン協奏曲》を
聴きながら) 
 
 編集帖
 
 2月11日、北白川の浄守志郎氏宅を訪問。
 SP時代の演奏家気質にはじまって“今日の演奏家にしても、どちら
かといえばロマンチストであってもらいたいですなあ”どちらともなく
嘆息して“今日、ほんとうにわかる音楽といえば、せいぜいドビュッシ
ーあたりではないか、という人もいるが、案外そんなところでしょうね”
やがて“評論という立場は解説やら紹介と混同してはいけないし霊感が
なければ、本来人の心を打ちませんよ、すると小林秀雄などは偉い男で
すね”さらに、“われわれ戦前派は、召集におびえながら、レコードを
聴いていた時代が、たしかにあったし、モーツァルトなど時には恍惚状
態にひきこまれるんです”戦後派の筆者としては、“魔術的な時間とい
えるでしょうか”いささか自信なく、長居を辞したあとも、やや気がか
りとなった。さて戦中派・戦無派となるとどうなるのか。
 
 一年たつとどうなるのか。一年で10冊目の本誌は、企画にこと欠いた
わけでもないが、乱読のすすめ、創作テープのすすめ、いずれも一読お
すすめしたいもの。前者は、他にも推理小説とか、書簡集など拾えばい
くらでも集められるのではないか。後者は、前回に続いてテープとの厄
介な格斗をくどすぎるほど列挙し、それもこれも実は創作あるいは作曲
への足がかり、聴くこと演奏することの他にその可能性をテープ・ミュ
ージックに求めるもの。今日のフォーク・ブーム自作自演流行は、いう
ならばホット。クールな楽しみとして奥行きは深いはずである。
 
 一聴一席は後半、各国文化センター館長を巡訪。安部公房氏のいわく
“最近の若い世代にとっては、カフカがオーストラリア人であろうが、
エジプト人であろうが、そんなことは問題でなくなった”そうであるが、
だから日本人としての変身につながるか、どうか。たしかに感じたこと
は、日本語のもつ特殊性これを、いわゆる聞き書きにしてみると、かな
りニュアンスが移行する。かならずしも、音楽の話題ばかりでもなかっ
たが、その背景として、はじめにことばありき、ではある。
 
 さて、残された課題。日本の弦楽四重奏談シリーズは、N響弦楽四重
奏団の海野義雄氏はじめ機会あらばまとめたい。たとえば単に経歴を追
うにとどまらず、テクニカルな演奏論にたち入ることも重要であるが、
この方はいずれ専門家に依頼するなど、完璧を期したい。その前に、日
本の交響楽談シリーズを、ひ実現させたい。
 
 最後に、この一年の協力者群像。1〜4号までの表紙原画の亀田博之
氏、染色デザイナーでもあるが硬派の情念を秘めている。写真撮影では、
このところジナーに腰を落着けてしまった上野比佐諸氏、NHKで8年
もふりまわしている土村清治氏、印画仕上げには、最近独立した清水治
雄氏、それぞれ小冊子だに見せ場はかぎられたものの、原画で紹介した
い人ばかりである。              (1970・3・7/阿波) 
 
 ◆
 
 創刊号の《読み返した本》は、最初の編集後記にあたる。竹内康君が
“なんのことやらわからない”と評するので、中断していたが、終刊が
近づくころ、ふたたび復活している。
 本文は、わかりやすいものばかり掲載してあるので、編集後記は意味
不明のページでもいいのではないか(ファーブルも変則の章[10-P228]
を大きな?マークで結んでいる)。
 あらためて読み返すと、要するに“記号論”の領域に立ち入っている
らしい。
 いま文学作品を声にだして読む読者は存在しないが、音楽作品は、音
に出た結果だけが(演奏しない評論家と、楽譜をみない愛好家たちに)
論じられるのは、滑稽にみえる。
 楽譜は、それ自体が記号芸術なのである。
 この懐疑的な態度は、すこしづつ彼らの心から離れていく。もちろん
スポンサーとも。                (Day'19981215)


 亀田 博之 染色デザイン 1939‥‥ 京都 /表紙 No.1〜4/独立美術展〜ある少女
 上野 比佐緒 印刷・写真 194・‥‥ 京都 /サンヨー印刷紙工
 清水 治雄   写真印画 194・‥‥ 京都
 土村 清治   写真撮影 194・‥‥ 京都 /NHKカメラマン
 門脇 邦夫     通訳 19420223 京都 /北英会話教室主宰“一聴一席”

(2006/01/09)


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