与太郎文庫
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1970年01月19日(月)  テープ・ヒステリー

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700119
 
 1998年に、オープン・リール4トラックの再生機について各メーカー
に問い合わせたところ、ことごとく在庫なし。また再生サービスも行な
っていない、ということだった。全盛期から三十年すぎたとはいえ、何
の保全もされないのは、不合理である。他に、機器レンタルや録音スタ
ジオにも当たってみたが、同じ結果しか得られなかった。
 
 � …垢い發里牢�くべし
 
 長いものには巻かれろ、などというが、録音テープの長いことといっ
たら、しばしば絶望的な事態をもたらす。
 ラジオからの録音は、法律的にどうなってるのか知らないが、聴きた
い番組があっても出かけなければならない時には、人だのみよりもタイ
ム・スイッチが重宝である。1600円位から各種メーカーのものが市販さ
れていていかにも台所むきのデザインであるのはやむを得ない。なかに
日付と曜日のついたものもあるが調整が複雑で翌月には思い出せない。
むしろ、時間区分をこまかくするとか、多重セットも可能な工夫をして
もらいたいものだ。
“不在録音”に於ては、より充分な長さのテープを用意すること、前後
にムダができるが、 要はアタマ部分のムダを、いかに少なくするかが
問題である。ほとんどの音楽番組は一定時間の前置きとかテスト電波が
あるので、あらかじめ、その長さのリーダー・テープからはじまるよう
にする。管球チューナーなど、テープがまわりはじめても、音はすぐに
出ないから、その種の時間を、わずかな目盛りでセットするよりも、テ
ープの長さで当った方が正確である。一般の番組では、いきなり本題に
入ることも多いので、時報あるいはチャイムから録音すべきである。
 ピンチ・ローラーのゴムは、よく油っ気をとっておかないと、トラブ
ルの原因となる。テープ・レコーダーは、こうした不在録音の場合には、
机や棚の、いちばん手前のところに、かならず立てて置くべきである。
そして、ゴム・キャップも忘れてはいけない。
 さて、これだけの注意をしたあとも、予想外のところから不運はやっ
てくる。
 たとえば、リールの一端に何かちょっとしたものが触れて、そのまま
動かなくなることもあり得る。これが送りリールの場合だとあきらめる
他はないのだが、巻き上げリールだけなら、停止しても録音は続けられ
るし、帰ってみて、目をおおうべき状態となっていても、最後には救え
るものなのだ。つまり、この種のケースでは、テープはまず切れること
がないからである(かりに、ズタズタにちぎれていようとも、根気よく
貼りあわせればよいではないか。貼りあわせについては、次回カセット
およびカートリッジにおけるヒステリー寸前状況とともにふれる予定で
ある)。
 ただし、無数のタテジワは覚悟しなければならない。まず、おもむろ
に、ゆるんだ部分から丹念にほどきはじめ、入りくんだ箇処は、ドライ
バーで軸をぬきとるなどしながら、ともかく全長数百メートルのものを、
器械からはずしてしまう。ちりちりとして、山のようになったテープの
かたまりを、こんどは魚網のように、ほぐしながら部屋いっぱいにうち
ひろげる。
 いよいよ、もとのリールに巻きつけるわけであるが決してあせっては
いけない。レバーを巻戻しや早送りの状態にすることはもちろん、一時
停止にしてもいけない。最低の速度で、ヘッドその他を、きちんと通過
させながら送りリールの軸にもかけて、ゆるゆると巻いていく。もつれ
を直しながら、危ういとみればすぐ電源を切る体勢が必要である。
 巻きとっただけでは、まだ不充分で、たいへんゆるく巻けていて、タ
テジワもひどいままなので、低速でもう一往復すべきである。そして、
ほんとうは、ズボンの寝押しのように数日シワを伸ばしておくのが理想
的であるが、たいてい、ここまでで数時間を要するし、くたびれていや
になってしまうのも困る。
 もし、そのテープが、のちのちまで何度もくり返し聴くためのものな
ら、はやい時点でもう一台、テープ・レコーダーをつないで、新しいテ
ープに転写することである。これも法律的にどうなってるのか知らない
が、きくところによれば、ひとりで勝手に聴くぶんには、なんら支障は
ないらしい。重要なことはひとたび前科を負ったテープは、決して新規
録音に用いるべきではない。    
 
 �◆〜郎逎董璽廚里垢垢�
 
 箱入り娘ともいうべきカセットやカートリッジの登場は、テープのも
つあらゆる問題を解決するかにみえた。しかし、しょせんテープはテー
プ、長くても短かくても、太くても細くても、遅くも速くもその性根に
変りはない。
 かつて、某自動車メーカーが新車のキャッチ・フレーズに“エンジン
封印〇万キロ”などとうたっていたが、さる老練の修理工いわく“故障
したら、どうせ封は切らにゃなるまい”と笑ったものだ。わが箱入り娘
といえども、一朝ことあらば直ちに解体縫合の上、その後は出戻りよろ
しく丁重に扱うべきである。
 メーカーによっては、解体を許さず、要するに消耗品として考えてい
るものもあり、見解の相違に目くじらたてる前に、可能なかぎり不測の
トラブルを処理していく態度も必要である。喧伝されるすべての長所、
たとえば操作の簡便さや、早送りの速さなど、いずれもトラブルを生じ
た場合には、逆に命とりになりかねず、まずは絶望からたちあがり運根
かたむけて事にあたる他はない。そして不可能の字句を追放する勢いこ
そ、趣味手すさびにおける原動力としたいものだ。
 
 ■ 切れる
 
 ひとことでいえば、カセットであろうがオープン・リールであろうが
問題の生じたテープは、とりあえずひっぱりだしてしまえば、なんとか
なるはずである。もとどおり収めるのは実はたいへん厄介な作業である
が、ピンセットや針を使って、ある程度まで戻せば、不可能ではない。
カセットの場合は、モーターで巻きとれないから、鉛筆にビニール・テ
ープを不規則に巻きつけたものを軸に、根気よく手まわししてやらねば
ならない(図1)。
 
 
 
 
 
 
 切れる原因で、いちばん多いのはレバー操作のときのショックである。
カセットの場合には、装着のたびごとに、たるみがないかどうか確かめ
る用心も必要である。
 放送局で使われるような高級機では、一種のショック・アブソーバー
となる予備ローラーが左右にあって、かなり乱暴にガチャガチャやって
も危険はないが、ふつうのアマチュア用デッキでは、なによりも操作を
急ぐことが禁物である。つまり早送りとか巻きもどしを途中で急停止す
ると、左右の力が均衡を欠いて、ひっぱりすぎから送りすぎになり、次
の瞬間ふたたびひっぱりすぎて、あっという間に切れてしまう。
 これを防ぐには、停止の直前に、かるく手をそえてやる。もちろん送
り元のリールで、この呼吸はなかなかむずかしい。先の予備ローラーを
手で代用するわけで、習慣にしてしまえば、それほど馬鹿々々しい気も
しなくなる。
 切れやすい原因のもうひとつは、よくいわれるように保存状態による
ものである。しかし湿気のない冷暗所といわれても、実際にはそうもい
かないわけで、さしあたっての予防策は、テープの先端がほぐれないよ
うにすることである。住友のスコッチが採用しているリール止めは、こ
ったアイデアながら、あつかいはめんどうであり、今のところソニーの
別売品が簡便である。
 スコッチはもともと高価だし、別売を買うのもいやだ、という人には
次の方法もある。デパートのふとん売場でウレタン・フォームの切れは
しを求めてきて、小さなタクアン状に切ったものを、リールの間に押し
こむだけでよい。8ミリ・フィルムなどで活用された方法である。
 どうしても節約できないものが、適当な、充分な長さのリーダー・テ
ープである。銘柄によっては最初からついてないのもあるし、スコッチ
のように短かすぎて実用にならないものもある。それというのも、本来
はどのテープにも、同じ種類の同じ長さのものをつけるべきで、ソニー
など各色とりそろえて別売である。
 ただし大きな欠点はヘッドを通過する際に、パチパチ音がしたり、ど
ういうわけか音が転写されたりするのがいけない。相当に高価であるが、
接着テープとともにスコッチの別売タイミング・テープが最高品質であ
る。カールの状態が逆になっているのは、特に利害はない。
 
 
 
 
 
 
(図2)
 
 ■ 貼る・接ぐ
 
 ソニーだけのおまけで、イージースレッダーという小紙片がまことに
便利である。別売品もあるが、粘着テープを買ってきて、自分でこしら
えるもよい(図2)が、セロテープを使うのは感心しない。のりの性質
が合わないからである。
 応急処置として、セロテープを使ったために、のちのち後悔する結果
は、経験者には身に泌みているはずである。原則的にセロテープは紙に
貼るためのもので、それ以外のものに対しては危険である。ちゃんとく
っつくじゃないか、というがセロファンの収縮によって、のりがそれ以
外のところにはみ出すからである。紙ならば、その粘性を吸収するか、
あるいは、同じように伸縮するので、こうした問題はない。
 たった一ヶ処の応急手当てが実は数ヶ所におよぶことに注意しなけれ
ばならない。はみ出したのりは、やがて別の部分にくっつき、それがま
た他のところへと、無制限に転写される。そして、走行中に何度となく
スリップしたり、しゃくれたりして手のつけようがなくなる。
 もし他人が、まちがってセロテープとか、ビニール・テープを使った
場合には、アルコールで丹念にぬぐいとった上で、専用の接着テープに
貼りかえなくてはならない。
 さて、切ったのではなく、切れてしまったテープを貼りあわせること
は、かなりの熟練を要する。壁紙などで柄と柄を、目だたぬよう重ねず
に切り貼りすることを“ツキ合わせ”というが、切れたテープの端とい
うものは、たいがい妙なシワが寄っていたり、やや伸びて薄くなってい
たり、ましてやまっすぐには切れていないから厄介である。しかし、こ
の頼りない両端を、正確にツキ合わせる技術と根気がテープそのものへ
の愛着の起点になるともいえる。
 
 ■ 見る・聞く
 
 音楽を録音したテープでは、特殊な場合を除いては、切るわけにはい
かないが、先のリーダー・テープやタイミング・テープ、そしてスレッ
ダーをつなぐ機会は無数にあるので、後述の編集や創作に欠かせない技
術として、正しい切り方を心得ておきたい(図3−AあるいはB)。
 あとは押えて、爪でこするだけ、と各種の説明書では、いとも簡単に
なっている(図4−A)が、正確に切ったものを、より正確に接ぐには
光沢面よりも塗布面を見ながら、近視眼的にやった方がよい(図4−B
の左手もとのテープは、すでに接着テープに貼っておく)。
 いったい、どの程度まで正確にできるのかというと、これが実にいい
かげんなわけで、よくよくテープは切るべきではないことに思い至る。
 目は口ほどになんとか、であるが目よりも耳で聞く方が、この場合は
明らかである。その前に、真新しいテープでさえもが、はたしていつも
正しくヘッドを通過しているか、ごく単純なテストを試みよう。
 なるべく低速で、なんでもいいから録音する。ごく短かい時間でよい。
これを裏がえして、スピーカーのヴォリュームをあげてみると、なにや
ら聞えてくる場合がある。新しいテープだから、通常のヒス以外には音
の出るはずがないのだが、これが実はワカメ状テープの特徴であり、早
送りや巻きもどしを何度もやっているとだんだんひどくなる。
 録音の際には、同時に消去ヘッドが働らく機種がほとんどであるのも、
もし消去していなければ、どうなるか、つまり消去するのはトラックと
トラックの間の空白状態を確保するためにも必要なのである。
 
 ■ 走る
 
 まっすぐに走らせることは、機器の性能と、まっすぐなテープが必要
であり、特に後者は望めない。それをさらに切り貼りしたりすることは
より不安定な結果が待っている、と断言してよい(図5)。おまけに、
だれが思いついたのか、ウラオモテ走行ともいうべき、往復トラックの
発明は、あきらかに録音機能をおろそかにした、再生優位の上にたって
いる。唯一の利点として、もし最後まで聴きおわった場合には、巻きも
どしの必要がない、というだけのことで、いまさらどうにもならないか
もしれないが、カセットなどは2トラック片道走行でもよかったのでは
ないか。
 カセットの進出が、さまざまの危惧をよそに、ごく短期間で成功した
のは、主として録音優位が認められたからで、ステレオとモノラルの連
帯・併走は、ごく当然であった。
 
 4トラック往復で、オート・リバースなる機構が考案されたのは補助
的なもので、一種の試行錯誤としか、思われない。
 最近出た、秒速38センチという豪華版にしても、なぜマスター・テー
プや、放送音楽に用いられるような2トラック片道ステレオにしなかっ
たか、おそらく、諸種のメーカー側の事情にあわせたものにちがいある
まい。
 
 ■ 編集する
 
 編集には、二通りの方法がある。裏面に(つまり反対方向に)、何も
録音されていなければ、どんどん切って接げばよいし、雑音とか記録的
な内容では、かなり思いきって捨てるほうが、結果的にはまとまるはず
である。音楽では切れないじゃないかという人は、たぶんレコードとか
放送の盗録(?)しかやったことのないためで、テープの機能の活用と
してはきわめて偏よった、初歩的な段階にとどまっている。
 ストコフスキーの例を引くまでもなく、プロフェショナルな録音技術
 
(図5)
 
では早くからこの問題にとりくみ、演奏家が途中でミスをしたり、気に
入らない部分があっても、その部分だけ入れかえたり、いわば時間の切
り貼りが自由自在である。有名な例では、カルーソーのオーケストラ伴
奏を、まるごと入れかえるという、いかにもアメリカ的な思いつきにも
成功している。
 アマチュア用の機器では、とても無理だという前に、どこまで可能か
工夫してみたいものだ。それには、前述の“切る・貼る・接ぐ”の技術
に熟達するとともに、重要なことは各種の失敗が多くのヒントになり得
る、という不敵な自信である。
 ここでは、ごく基本的なケースを紹介するために、音楽そのものには
ふれず、主として音楽を“活かす”ための二三の顕例をあげておく。
 放送からの録音は、しばしば解説の声に閉口することがある。“では
どうぞ”などといわれると、くり返して聴くにはいかにも耳ざわりで、
いっそ消してしまいたい。ただし、左右チャンネルのヘッドは、録音し
た時と、同じように消去できるとはかぎらず、いずれかのチャンネルが
いくぶん尾をひくことがある。それと、消去を終る時に何らかの雑音が
入るので、よけい気になっていけない。思いきって、曲の冒頭ぎりぎり
まで切断するのがよい。
 レコードとの比較で、よくいわれるように、途中の楽章のアタマが、
簡単に把えられないから、目印として接着テープを貼っておくとよい。
一方を斜めに切っておけばウラオモテの区別もできる。これだとレコー
ドのように、いつ始まるかおどおどする必要もなく、レバーを一時停止
からスタートさせ、たちどころに音の世界を開くことができる。
 この時もレバー・ショックの負担をなくすために、手をそえないまで
も、たるみのない状態にしておく。実況録音などでは、聴衆のざわめき
とか、指揮者の歩いてくる足音など意外にリアルな効果もあって、これ
はこれで残してもよい。延々と続く拍手を、実際より短かくするのも、
簡単にできる。このときの接合は、なるべく斜めに、15度くらいの角度
に切り貼ると自然に聞える。
 しかし、もしこの拍手を、さらに長く延々と続けたい(?)場合には
もう一台、同じ性能のデッキが必要である。実をいうと、高度の編集に
は、デッキは二台一組というふうに備えたいものである。
 
 ■ 写す
 
 二台のデッキを使って、テープからテープへ転写するには、出力ジャ
ックと入力ジャックを直接つなぐだけでよい。他のアンプを通すとそれ
だけ音質が低下する。もちろん転写するだけでも、いくぶんかは覚悟し
なければならず、高忠実度派にはいささか不向きかもしれない。しかし
写真や映画に、ネガティブ原版があるように、それによって得られる効
果は大きい。
 音質とともに音量の低下もあって、その誤差は機種によっても異なる
ので、あらかじめ充分に算出し、耳でも確認しておきたい。
 先の、拍手を延長するには、延長するといっても、そのままくりかえ
すと妙なことになるから、いちばん波が高く、持続した部分を選んで、
転写したものを割りこませる。実際にはとてもこんな馬鹿らしいことは、
おすすめできないが、応用によってはさまざまの情景を演出できる基本
的な例である(単純に一部分だけを割りこませるだけでなく、左右チャ
ンネルにずらして入れると、さらに自然になる)。
 転写の技術が、もっとも多用されるのは、種類や速度の異なるテープ
を本命機器で再生する場合である。たとえば、秒速 4.5センチのテープ
があって、機器の最低速が 9.5センチの場合は、デッキAに元テープを
9.5センチ、デッキBに生テープを19センチで転写したものを、 9.5セ 
ンチで再生すればよい。
 モノラル2トラックのテープから、4トラックに転写する場合には、
右チャンネルは無音となる。左右に入れたければ、別のアンプを通すか、
あるいは専用のジャック・コードを結線しておくとよい。同様に、モノ
ラル機しか持っていない人に転写を頼まれたら、左チャンネルだけ入れ
るか、モノラル機に専用コードで結ぶか、あるいは別のアンプでモノラ
ルにして写すわけである。
 こうしたケースでは、いいかげんに、スピーカーにマイクロフォンを
突きつけたりする人が多いけれども、緊張のわりにできあがったものは
不良である。
 マイクロフォン・ミキサーという商品がソニーにあるが、現在の水準
からみて実用に耐えるものではなく、いずれはミキシング・アンプの手
頃なものが発売されるべきであろう。
 
 ■ 創る
 
 レコーデッド・テープの優秀な音に聞きなれると、もっぱら受動的に
しか物事が感じられなくなるように、かつての伝説的な8ミリ・マニア
のような在りかたは望むべくもない。しかし、本来マニアというものは、
たいがい人のやっていないことに注目し、ひそかに独創的な領域に挑ん
でいるのではないだろうか。
 はなやかな話題のほとんどは再生の面に集中し、録音の対象としては
英会話にはじまって、とりとめもないホーム・サウンズとか、高級機を
求めてもレコードや放送からの盗録(!)がせいいっぱい。機能の活用
に関しては、まことに効率の低いのが惜しまれる。
 テープ・ミュージックのひとつの典型をあげるならば、一柳慧の作品
だったか《水の音楽》がふさわしい。流れる音、落ちる音だけを素材に、
大胆な距離感覚によって創りだされた音の世界は、印象派風であるとと
もに、きわめて抽象的である。アイデアの結晶というには、あまりに美
しすぎた。
 もうひとつ、音ではないが《ポケットのゴミ》による顕微鏡写真を観
たことがある。山海の珍石によらず、みずからのポケットに取材したも
ので、信じられないほど、美しい世界がそこに在った。こうした美しさ
はあらゆる評価を超えてしまう。
 創作テープのすすめ、具体的な手法はあげるべくもないが、こうした
野心があればこそ、この厄介なしろものに取りくむ値うちが認められる
べきではないか。                    (A)
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《ポケットのゴミ 195・ アサヒカメラ》撮影者、不詳。
《水の音楽》は、一柳 慧ではなく、武満 徹の作品。
 
(20061119)


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