与太郎文庫
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1958年01月12日(日)  色盲矯正法 〜 門をたたくツエ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580112
 
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 色盲に矯正の喜び 新居浜市の中学の先生 苦心の治療研究
 
【新居浜発】一生治らないものと思いこまれ、医学界でも全く見捨てて
いる色盲、色弱の治療方法を、中学校の図画担当の若い先生が研究して
成功、近くアメリカの眼科学界専門雑誌に発表される。新居浜市泉川中
学校の牛尾邦香教諭(27)=同市坂井=である。同教諭が考案した色覚
矯正器は、すでに百人に近い色神異常者の色覚をよび戻し、早いものは
三週間、難症でも三カ月で治し、大学入試や自衛隊、警官、船員の採用
試験にパスして喜ぶ若人や肉親の手紙が舞込んでいる。眼科医(別子住
友病院川井健二医博)の追試の結果もこれを裏付けており、今月からこ
の矯正器で本格的な基礎実験と追試にのり出す岡山大学医学部眼科教室
の赤木五郎主任教授もその理論を激賞、同教諭の「先天性色神異常の矯
正に関する研究」という論文と追試結果の詳細を国外に紹介発表するこ
とになったもの。
 一昨年の夏、美術の授業中、補色対比を説明するため、色紙で残像実
験をした。真白い画用紙の上に赤色の紙を置き、二十秒ほど見つめさせ
た後、その赤い紙をサッと取り除くと、色覚の正しいものは画用紙の上
に赤の補色(陰性残像)である青緑か緑色が必ず浮ぶ。ところが、ある
クラスで「全然見えない」という生徒が四人いた。色盲検査表で調べる
と、四人とも完全な色盲か色弱の生徒だ。美しい七色のニジを一本の黒
線に描く生徒ばかりだった。そこで牛尾教諭は「色神異常者は残像が現
れにくい」ことを知り、この残像実験を繰返すことによって視細胞を刺
激すれば、眠っている色に対する能力がよみがえるのでなかろうかと推
理し、全校の色神異常者を集めて推理を行動に移した。
 
  根気のよい残像実験を続けているうち、少しずつ残像の現われてく
 る生徒が出て来た。医学的な裏付けは別として推理は的中したわけ。
 そこで昨年のはじめ、授業の合間をみては箱型の光学設計の矯正器を
 手製でつくりあげ、色盲の生徒三十余人を対象に毎日反復、経過や結
 果をコツコツ記録、カルテを新居浜市住友病院の眼科医川井健二医博
 (三五)の元へ持込んで、着想が医学的に成立つかどうかを質した。
 「理論は立派に成立つ」という答に勇気づけられ、矯正した生徒十余
 人を連れて、日曜ごとにこの道の権威である岡山大学の赤木教授に精
 密検査をしてもらうため通い続け「正常」と診断される生徒がふえて
 ゆくに(略 〜 欠落 〜)
 
牛尾教諭の話(略)の門をたたくツエともなれば幸いである。あとは専
 門の眼科医がバトンを受継いで追試してもらえばよい。論文は全国の
 医大や名のある眼科医に三百余送ってある。むしろ反論が出て、色覚
 理論闘争が展開されることを望んでいる。それが色覚異常者を一日も
 早く救う道だから…。
川井医博の話 二カ月にわたり四坂島の子供十人を対象にはじめての追
 試をしてみたが、アノマロスコープの精密検査の結果、一人は完全に
 治り、他の九人も色覚がうんと出てきた。トレーニングを続ければ治
 る見込みは十分だ。いままでの医学界の常識では、基礎実験から結果
 が生れるのが普通だが、こんどの場合は逆に結果が先に出たため、問
 題がむつかしくなった形。できるだけ多くの眼科医が追試して牛尾氏
 の研究を認め、さらに完全なものが生れることを期待したい。
赤木教授の話 牛尾君のアイデアは弱視治療の原理と同じで、その鋭い
 観察と推理の運び方は敬服すべきでぜひ外国の雑誌に発表するよう私
 からすすめた。理論的にも色盲矯正の可能性は十分成立つし、昨年、
 私の元へ連れてきた治療中の生徒をアノマロスコープで測定したが、
 効果は確かにあった。新しい矯正器も届いているし、十分追試し、私
 の方からのデータも別に外国の雑誌に発表したいと思っている。
西条市氷見町朝日、無職 山内時子さん(43)の話 遺伝のためか母子
 三人とも色盲で、一昨年長男裕明(19)が倉レ西条工場の入社試験を
 うけ最後になってはねられた時は望みを失ってしまいました。しかし
 昨年六月から1ヵ月間通って矯正したおかげで裕明は完全になおり九
 日によろこんで善通寺の自衛隊に入隊しました。いま機械を借りて来
 て次男貴明(17)=西条高校三年=と私が矯正していますが、全然ち
 がった色の世界にはいったようで母子で喜んでいます。(この項西条)
               ── 《毎日新聞 19580112 京都版》
 
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 阿波 雅敏 様
 
 前略
 
 色盲にてお困りの様子ですが、誠にお気の毒に存じます。
 牛尾氏の色盲治療法は原理は面白い着想ですが、未だ研究途上
のものであり、実際的な効果が必ずあるとは現在までの所では云い切れ
ません。今後更に研究しなければ判らない段階です。
 目下私共の教室でも、この研究を行いつヽありますので、この点が
明かになった上で治療を行われる様おすすめ致します。
 尚現在行っている方法は、一治療を終了するに約一ヶ月を要します。
念のため申し添えます。
        月  日
  ___________様
                 岡山大学 医学部 眼科教室
 
 右の通りですから、追試の結果が出るまでお待ち下さい。そして
その後にもう一度 お問合はせ下さい。
 
  岡山市岡 164 岡山大学医学部付属病院 岡山大学医学部
 
           (Let'595 19580219-0305 消印・孔版返書)
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── 【色盲】しき‐もう
2(比喩的に)物事の状態や道理などを識別する能力がないこと。
── Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition)
→ 《山陽新聞 19890528 》ほか・参照。
 


 Dalton,John “Daltonism”17660906 England 18440727 77“色盲論,1794”気象化学
 Helmholtz,Hermann Ludwig 18210831 Deutsch 18940908 73“三原色,1894”Ferdinand von
 Ladd-Franklin,Christine 18471201 England 19300305 82“色覚発育説” America

 
── ドールトン 2) /イギリスの化学者、物理学者。12歳で学校を開
いて村の子供たちを教えたが、15歳のときケンダルの町で兄とともに学
校を経営し、またこの頃から気象観測を始め、以来その死まで57年間こ
れを2万回続けた。それまでに行った研究発表は、極光の観察を含んだ
気象に関する主著《Mateorological observations and essays,1793》に
発表され、更に色盲についての詳細な記述を発表したが(1794)、彼自身
も色盲であって、これ以来色盲を“Daltonism”と呼んだ人々もある。
── 《西洋人名辞典 19840620 岩波書店》P935-6
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101
 
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/archive?word=%BB%E0%B7%BA
 ↓keyword“色盲・色弱・色覚”
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580112 色盲矯正法 〜 門をたたくツエ 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19590220 異験 〜 色盲検査表の原理 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641210 《点展・第一号》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960605 早くセネカ!
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19990603 色覚異常
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001231 《虚々日々》目次
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010517 麿は磨ちがい団ちがい 〜 團家の人々 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021122 ぬばたま
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030726 解剖学者の脳
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101 色盲検査 〜 教育委員会の迷妄 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060707 総目次 00000000〜200601106
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060906 九月六日生れの人々
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20071114 色盲色弱の謎 〜 終りなき誤解 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080926 明日に向って眠れ! 〜 古きよきアメリカの新顔 〜
 
(20080929)
 


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