与太郎文庫
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1956年06月06日(水)  Never too late ! 〜 セミプロ・プロ・アマ 〜


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 Never too late ! 〜 セミプロ・プロ・アマ 〜
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 あまちゅあの椅子 〜 第一のチェロ 〜
 
 “アマチュアの椅子”ということばが浮かんだのは、いつ頃のことだ
ったろうか。たとえば、高価なコンサートに出かけて、空いている席が
あったので「ここ空いておりますか」とたずねる感じ、尋ねられた人は、
あるいは高名な音楽評論家かもしれない。ひょっとすると、今日のコン
サートの主役と、日頃ライバル意識を燃している人かもしれない。
 そしてあたりは御親族・知人・友人ばかり、そんな真只中でおずおず
指さして「ここ空いておりますか」などとたずねている自分の姿を、最
近非常に意識するようになった。
 ああそうか、アマチュアの椅子”とはアマチュアの“チェア(椅子)”
に通じるでたらめなゴロ合わせだったのか、とひとりでに気がついて、
苦笑したのはつい先刻であった。
 つまり、私はアマチュアの音楽愛好家である。私は、他に文学とか映
画とか、美術とか、およそ“芸術的”なことには絶えずあこがれと好奇
心をもつ、ひとりの市民である。それらをよりよく見たり聴いたりする
ためには、前に空席があれば移りたいと思う。そしていう、「ここ空い
ておりますか」
 
 重ねていう、わたしは高名な音楽評論家とも、名演奏家たちとも今日
までつき合いがなかったし、どこかのレコード店で、毎月大量に買物を
したり、雑誌に載るようなでかいステレオをもっている大型消費者でも
ない。
 さらにいえば、毎朝音楽を、それもバッハとかウェーベルンを味噌汁
と同じように日程に組んでいる程のマニアでもない。具体的にいえば、
数年来レコードを買ったこともなければ、コンサートに出かけたことも
ない。アマチュアにも格づけが必要で、たとえば出席率のようなものが
あるとすれば、まずアマチュアの座もおぼつかない、そんな奴が「ここ
空いておりますか」というのは生意気なことだろうか。
 だが私はそれでも、もっとよく聴きたいから、そこに坐りたい、今こ
そそこに坐って、本気になって聴いてみたいのだ。音楽には、私の青春
をあずけておいた筈だ。私の青春は音楽とともに在った。私の青春は過
ぎてしまったけれども、音楽はたぶん変っていない筈だ。
 念のためにつけ加えると、私は老人ではない。
 いわゆる中年でもない。髪を短く刈り上げた見かけ通りの青年である。
そして既に少年ではない。私のいう青春は少年から青年への過渡期に当
る、たった数年間、数十ヶ月のことだ。
 
 あれから、もう十年以上経ってしまった。十四年前に、私はチェロを
買ってもらった。おふくろをまるで脅迫したような勢いで、チェロを手
にした。楽器店から家まで(ケースがないので)裸のままかついで帰っ
た。家に帰ってなでたりさすったりした。はじくと胸にこたえる響きが
した。とても一度に調弦して弓でこすってみようなどとは思わなかった。

 ついに自分のものになった感激で腰をおろしてしまっていた。F字孔
からのぞいて、中の貼紙の文字を読んだ。腹ばいになって、狭い穴から
のぞけるだけのぞいた。すると、魂柱が倒れているのに気がついた。
 大変だ、と思った。これは少年の考えである。誰のせいでもない、自
分そのものが傷ついている、という気持だった。数十分というものどう
していいか判らなかった。
 結局ふたたび裸のチェロをかついで、楽器屋へ出かけることにした。
苦情をいうためではない。
 傷ついた自分そのものを癒してもらうためには、そこで相談する他は
なかった。駒柱の倒れたチェロは、いわば病人である。車でおごそかに
運ぶことがふさわしい、と決めた。
 タクシーに乗ることにした。病人であるし、荷物としてもかなり大き
い、近いところだけれども、タクシーを奮発した。楽器屋のすぐ近くま
できて、車を降りてから金を払うときに、ズボンのポケットに手を入れ
た。右手のポケットになくて、左手のチェロを何気なく、他にいいよう
がないが、馬鹿なことをした、と誰かに叱られるのは、いつだってそん
な具合になるのだ。
 金を受けとったタクシーは、チェロを少しの間立てかけた車は、何の
前ぶれもなく、前ぶれのあるはずはないのだが、走りだしたのだ。
 当然なのだ、客は降りたし、金も払ったのだから、走り出すのは当り
前なのだ。だが、そんなことはどっちでもよかった、自分の、ボクの、
チェロは、もともと傷ついているのに、哀れな病人なのに、私の差し出
した手から逃げるように、もんどりうってアスファルトの上を転がった、
たぶん、ガランガランと音がしたに違いない。誰かが立止ってこちらを
見ていた。
 どんな格好になってしまったのか、しばらくは見当がつかなかった。
 それが、演奏会のステージでは、奏者の脚の間から、すばらしい音の
うねりを聴かせる楽器であり、奏者のいない時は、椅子にヒョイと、い
かにも無造作に立てかけてあったり、楽器屋の店頭では壁にぶら下って
いたり、そんな格好は何度もながめていたから、いつでも想像できた。
 だが、駒柱の倒れた病人みたいな、それが、タクシーに突きはなされ
て、路上で転がっているさまは、初めてなのだ。ひどい事になってしま
った、と手を出すまで、実はよく判っていなかったらしい。その、首の
部分に手をやった時、そして4本の弦を巻いたままの首が、胴体から離
れて、クラッと持ち上った時、斧で断ち切ったように真白い木肌が見え
たのだった。ひざの上でヘシ折ったように、ワリ箸をポキンと折ったよ
うに、その部分は、あおざめていた。一本のチェロは、4本の弦と首と
銅と、駒と駒柱となって、バラバラになってしまっていた。とにかくそ
うなってしまっていた。
 私は、そのひとつひとつを抱えあげて、楽器店に入っていった。
 ほんとうに何が何だか判らないけれども、惨めな気分だった。
 いつだって、うまくいかない時はこんな具合なのだ。それにしても、
何か起るごとに惨めな気分は前よりもさらに烈しく、切ないものに姿を
代えてくるのだろう、と楽器屋の中を見渡しながら考えていた。
 女の店員がどうしたんですか、と寄ってきて。私はうまく説明したつ
もりだった。
 タクシーに少しの間立てかけるつもりだったのが、タクシーが、アッ
という間に走り出したので、という風に、逆に説明しているうちに、そ
の先を忘れてしまった。
 なぜタクシーに乗ったのか、なぜ家を出たのか、なぜここまで運ぶ必
要があったのか、……(未完初稿)。
 
 この修理代金6000円は、金谷先生に借りた。
「親には内緒にしてください」と念をおしたものの、先生は母に対し
「えらいもん買うてしまいましたなぁ」と嘆息されたそうである。
 
 *=駒柱→魂柱が正しい。本稿(帰京ノート90-95)は「十四年前」
とあり、1956年から起算すると1970年の草稿と見えるが、未確認。
 タイトル「第一のチェロ」などは、2000年以後の補筆。
(1966ca-20070813)
 
 Ex libris Awa Library;やまなみ 11号(欠本)
 旧題;山脈・第十一号
 以下は、どれも日付未詳だったので、六月六日にまとめた。
 
── 《山脈・第11号 195606‥ 同志社高校文芸部》
 ホザナ・プログラム(紛失)と同じ(有賀文庫・参照)(20090507)
19560616(土)ホザナ・コーラス発表会11“DHS”表紙デザイン(大島 芳孝・補正)
 
 雅子さんが、六歳でピアノを習い初めした前年、忍ちゃんが生まれた。
 忍ちゃんが、ヴァイオリンを習い初めて八年後に、与太郎はチェロを
手に入れた。誰にも教わらず、我流で翌々年に《白鳥》を独奏した。
 


♀鳥井 雅子 19370824 京都 /19430606( 6)ピアノ習い初め
♀増田 忍  19420815 京都 /19480606( 6)ヴァイオリン習い初め
 阿波 雅敏 19390120 京都 /19550802(16)ヴァイオリン独り学び
/195606‥(17)チェロ購入 /19581125(19)《白鳥》独奏

 
…… 芸の習い事は六歳六月六日に始めると、上達が早いなどという。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20060606
 絵空事 〜 ダゲール以後の画家たち 〜
 
 1955040. 新聞部&ホザナ&文芸部より勧誘される。文芸部に寄稿。
 195606‥ 山脈(11)
 19560606(水)この日付は不確実(駒柱不具合により、タクシー事故)
 
 19560609(土)ホザナ(11)出演
 19560606-19581125=902 days
 195610‥ 弦楽同好会発足
 
 1957040. ちらし“音楽のすゝめ”校門で手配り
 1958041. 新入生“入部勧誘演説会”チャペルで熱弁(不評)
 19581125(火)校内ポピュラー・コンサート
 
 この数日前に《白鳥》を独奏した記憶があり、舞台の袖で待機中に、
高木 慶子に「緊張してはる」と揶揄されたが、プログラムには彼女の
名がない。弾き終って「首を傾げた」のも、このときだったと思う。
 
…… いちばん練習量が多くて出来そこなったのは、チェロ独奏だった。
 あまり親しくない後輩女子のピアノ伴奏を、数回の手合せで済ませた
のが致命的だった。細部まで知りつくしていたので、甘くみたのだ。
 
 あろうことか、弾き終わって首をかしげたのは、いまも悔やまれる。
(江川 卓のような大投手でも、打たれた後で首をかしげる癖があった)
 ピアノ伴奏の曲では、原則としてピアノが主役でなければならない。
 
 あとから耳に入ったのは「演奏中、伴奏者を睨んでいた」などという
不名誉なウワサだった(そのように見えたなら、弁解の余地がない)。
 高尚な作業に従事しながら、あくまで煩悩を断ち切れないのだろう。
(20210527)
 
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