与太郎文庫
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1904年08月23日(火)  Family of Hesse 〜 新島 襄(41)、ヘッセ(7)に会う 〜

 

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 Ex libris Web Library;Hermann Hesse - misunderstood but loved
http://www.dw.com/en/hermann-hesse-misunderstood-but-loved/a-16152933
 
…… かねて西京を発せし時、私への御手紙はズーリッヒに御遣はしあ
りたしと、且つ手紙の上書きはデビス様に御願ひあるべしと申置き、又
デビス様も私のズーリッヒに参るは御存じ故 定めてズーリッヒに来ら
ば家郷よりの便りあるならんと存じ、勇み進みて、去る二十一日レーゼ
ルンを出立し、ズーリッヒに参り、日本よりの手紙あるやと郵便局に相
尋ね侯に、一通も無く、数千里も隣の如くに思ふ襄も、此の如く出発以
来故郷の便りを聞かざるには、甚だ閉口仕侯。かねてズーリッヒにては、
永逗留の積りに侯へ共 一切故郷の様子も分らず候故、若しやバーズル
と申す処に手紙は参り居るならんかと思案し、ズーリッヒにては只大学
を見物し又幼稚園を一覧して、種々幼稚園附属の画図などを求め 二十
二日午後そこを発し、バーズルに参り候。此は夜八時、一の旅宿に投じ
一泊、その翌日乃ち二十三日直ちにバーズルにある「宣教師を送るの局」
に参り、日本よりの手紙を拝見侯処、日本よりは一通の書もなく、只米
国より二通、英国より一通、又べレー先生より日本にて医学校設立の旨
意書を送られ、縦令日本より一通の書なきも、英米より二三の文通を得
て、恰かも大旱に雨に逢ひし心地をなし、甚だ慰めを覚へ申候。旅行先
にて、故郷の書面なき程、さみしき事はあるまじと、此度初めて発明申
候。併し何の便りもなきは、何事も皆無事平安なる故、便りなきならん
と、止む事を得ざる事と諦らめ申居り候。
 偖て、「宣教師を送るの局」は、私の思ひ侯より広大なるものにして、
局内に外国伝道用の書籍局あり、又宣教師を養成する神学校あり、宣教
師の子供を教育する男女の両校あり、外国に種々物件を送るの会社あり、
何事にも手の届きたるには、感心仕り候。此の局に客部屋あれば、そこ
に泊るべしと局長より勧められ候故、一昨二十三日直ちに此の局に参り
候。昨日日曜なれば外出せず。又今日も外出せず。私も少々ルーマチス
のきみにて、此地の良医にかゝり服薬申居り候。何れ明日は外出致し、
見物仕るべく候。此の週間には是非とも当所を発し、ライン河を下り、
直ちに英国に参り度く候。英国にては暫時滞留、来る九月十八日発の汽
船にて、米国に渡航の積りに候。
 日本熊本の阿蘇山より火を吹き出せし由、英の新聞に見ゆ。阿蘇に在
る私共の朋友中には何の怪俄も無く候や御尋ね下され度く候。
 西京にて大宮通りならんか、グリーン教師�愍に邦語神学の諸君、耶蘇
教演説(会)を開かれ候ひしに、仏徒大混雑をなせしよし新聞に見たり。
同志社の卒業式は如何なり行きしや。未だ紙上にも一覧致さず、日本よ
りの詳報を待居り侯。(P176-177)
 
…… 当時ヘルマン・ヘッセの父母が、比の局にいたので、日本人とし
て始めて此の局に宿泊した新島は、未だ七歳ばかりの幼児であったへッ
セの可愛い姿も、おそらく見つけたことと思われる。(P178)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000JB59M4
── 新島 襄《新島襄書簡集 19541205-19880316-20000707 岩波文庫》
 
…… 小子は決して顔面の好美を好まず、唯だ心の好き者にして、学問
のある者を望み申侯。日本の婦人の如きなき女子と生涯共にする事は、
一切好ましく存ぜず候。(P109-110)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20110614
 烈女列伝 〜 ならぬものはなりませぬ 〜
 
…… As you know well, Handsom is handsom does. (Mr. N., H.)
「あなたがよく知っているように、Handsomはハンドソムです。」
http://honyaku.yahoo.co.jp/ (自動翻訳)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1364494378
 ジョークか酔書か悪戯か? 〜 結婚披露宴の寄せ書き 〜
 
…… 新島が2回目のヨーロッパ旅行中、1884年8月6日スイスのサンゴ
タール峠を登る途中に呼吸困難におちいり、ホテルに戻って遺書を書い
たことは良く知られています。ルーツエルンで受診し、心臓弁膜に故障
があることを注意されましたが、胸に膏薬をはったりして旅を続けまし
た。チューリッヒを経てバーゼルではミッション・ハウスに滞在するよ
うにと招待されていましたが、このハウスの館長がヘルマン・ヘッセの
父ヨハンネス・ヘッセ牧師でした。時を経て第2次世界大戦後の1953年
にヘッセの作品の翻訳者高橋 健二がヘッセに会いました。高橋はヘッセ
の「母の日記に、日本の新島がバーゼルの伝道館に訪ねてきたことが記
されている。それは同志社の創設者新島 襄にちがいないと考え、それを
確かめると、やはりそうだった」と書いています。ヘッセは次のように
応じたといいます。「自分は7つぐらいだったが、よく覚えている。
新島が自分の会った最初の日本人だ。自分の両親は新島をかわいがって
いた。ああ70年後の今日、自分たちが新島の話をしているのを両親が知
ったら!と言い、涙ぐまんばかりであった」と。宮澤 正典(名誉教授)
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/school_life/chapel_news/chapel_archive/130_years/130_years_03.html
 


 新島 襄  同志社校祖 18430212 江戸 小田原  18900123 48 /客死/18751129 創設/天保14.0114
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530212 生没点描 〜 リンカーン&ダーウィン&新島 襄 〜
 
♀Hesse, Maria Gundert 18421018 Duitch     19020424 59 /Hermann の母/日記40年
https://www.hermann-hesse.de/node/888
 
 Hesse, Johannes 牧師 18470602 Duitch     19160308 68 /Hermann の父/Karl Otto
https://www.hermann-hesse.de/node/880
 
 Hesse, Hermann 作家 18770702 Duitch Suisse 19620809 85 /1946Novel〜《Peter Camenzind 1904》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050727 学楽同穴 〜 日記と手紙 〜
 
♀Bernoulli, Maria マリア・ベルヌリ(ベルニリ)
1868‥‥ Basel     1963‥‥ 95 /[1904-1923]
 9歳年下のヘッセ(26)とバーゼルで知合う。彼女は、スイスで女性
初の自立した写真家として旧市内にアトリエを営んでおり、おまけに才
能ある音楽家でもあった。二人はいっしょに旅行し、3人の子供をえる。
https://www.hermann-hesse.de/node/896
 
 Hesse, Erinnerungen von Bruno ブルーノ・ヘッセ(長男)
19051209 Basel     1999‥‥ 94 /画家。最初の結婚で娘と息子、再婚。
https://www.hermann-hesse.de/node/920
 
 Hesse, Erinnerungen von Heiner ハイナー・ヘルマン(次男)
19090301 Basel    /1918 両親が別居/ショーウィンドウ・デザイナー
https://www.hermann-hesse.de/ja/node/964
 
 Hesse, Erinnerungen von ?(三男)
191,‥‥ Basel    /2度結婚、4人の子供。
https://www.hermann-hesse.de/node/930
 
♀Wenger, Claudia Ruth ルート・ヴェンガー
18971031 Basel Weimar 19940530 97 /[192401‥-1927,1929] 3年後に離婚
https://www.hermann-hesse.de/node/904
 
♀Auslander, Ninon
18950918 Czernowitz  19660922 71 /[1931-19620809] Montagnola 没
https://www.hermann-hesse.de/node/912
 ニノン・アウスレンダー(旧姓=Dolbin ユダヤ人)は 14歳の生徒時
代に『郷愁』を読んで深く感動し、ヘッセに手紙を書いた。最初の出会
いは1922年モンタニョ-ラにおいてであった。彼等の関係は 192603‥
ツューリヒで始ったが、これは二人がそれぞれの連れ合いであるフレド・
ドルビン、及びルート・ヴェンガーとの差し迫った離婚に直面している
時期だった。
 
 高橋 健二   独文学 19020918 東京     19980302 95 /1931 ドイツ留学
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B9%E2%B6%B6+%B7%F2%C6%F3

 
http://hermannhesseclub.net/nenpu.html 年譜・年表
https://www.hermann-hesse.de/ja/%E4%BC%9D%E8%A8%98/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%94%9F
http://meigen0kakugen.seesaa.net/article/420714449.html
 
…… 有賀の回想は、まるでヘッセの青春小説のあらすじのようだった。
20110526(Thu)11:25〜13:25 Tel from Dr. Ariga, Seiichi
 地獄耳の女 〜 筋入りストッキング 〜 (20110528)
 
(いま読むに、ヘッセの《郷愁》と同じような態度で人生を見ています)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1357271308
 自伝文学 〜 ルソーとスタンダール 〜 ヘッセからゲーテへ
 
(20110622)(20151102)
 


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