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■ (日記) どうしたってアタシの人生皮肉に出来ている
昨日は店の再開日だというのに、ありがたくも大雪。(笑) コマキだけは来てくれる事が解っていたけど、他の客は望めまいと半分諦めていたのだが・・・。 8時ごろ(K)さんと言う古くからの客が3人連れで来てくれた。
この(K)さんと言う人はアタシより3つ年上なのだが、アタシの母がやっていた頃の「エポック」の大常連で、年は違えど母とは大親友だった人だ。 彼は地元でとある化粧品の会社を立ち上げ、今はとても成功を収めている人である。
彼がまだ若い頃、少し気持ちがすさんでいた時期があったらしく、自分に自信も持てず、酒びたりの日々を過ごしていたそうで、同級生や飲み仲間達と母のエポックによく通っていた。 当時アタシはよそのパブで働いていて、そのパブが終わると母の店に手伝いがてら顔を出したりしていたのだ。 なので当時はアタシとは顔見知り程度であった。
母の店も信大生とか若い客が多く、母は新宿の母ならぬ、松本の母のような存在で、自分の娘にはとりわけ辛らつで厳しい事を言う人だが、他人には優しく、若い子達の愚痴や悩みをフムフム聴いてあげる役割を果たしていたようだ。 母はアタシと違い一滴も酒は飲めぬが、コーヒーとタバコを片手に、フレンドリーに客と接する事や歌が上手い事で、結構なアイドル母ちゃんぶりを発揮していた。
(K)が「オレは全くダメな人間だ・・・」と凹んでいたとき母は「アンタは何れ必ず大物になる!! 私が保証するから自信を持って未来に向かいなさい」と言ったそうで、それから母を慕うようになり、どんどん仲良くなっていったそうだ。
やがて(K)さんのお母様が化粧品会社を立ち上げ、お母様が亡くなった後に彼が後を継ぎ、会社はとても大きくなった。 彼は温厚で、フレンドリーで、音楽好きで、グルメでもあり、読書家でもあり、頭もよく、かなりのセンスを持つ切れ者だ。 そんなところを母は身抜いていたのだろう。
それから直ぐに彼は結婚をし、彼の家の新築祝いにも、母と私は招待され、彼の家でくつろぎながらタバコをくゆらす母の嬉しそうな写真を彼がくれ、母が亡くなった時のテレフォンカードにそれを収め、漫画のように吹き出しに「昌子ちゃんを忘れないでね・・・」と入れ、母を慕っていた皆にお配りした。
母が亡くなった後、彼らはアタシの店「エポック�供砲両鈩△砲發覆辰討�れ、その化粧品会社の本社の人たちを大勢連れては飲みに通ってくれ、エポック�兇諒�凄い戦力となってくれていたのだ。 やがてエポックを閉じた後、彼のお父様が亡くなられたそうで、それからはしばらくの間お酒を断っていたそうで、彼の噂も聞かなくなっていた。
正直言って、からくり箱を開店したとき、本当ならば一番来て欲しいくらいの人だったので招待状をお出ししたのだが、まだその頃は酒断ちの最中だったようで、一度も彼が訪れる事はなかった。 そんな彼が、去年の暮れ、初めて店に来てくれた。 そして凄く気に入ってくれ、昨日が4回目の来店だった・・・・・・。
1度や2度は懐かしさと珍しさで来てくれても、まさかそこまで気に入って通ってくれるなんて思っても見なかったので、昨日は心情的に店を閉める事になったとは言い出せなくてとても辛かった。 歌を歌っては泣きそうになり、初めて来てくれたお連れさんも居たのであまり暗い話も出来ず、アタシはどうしようか迷っていた。
そんな中、コマキとダウアーが来て、アタシは内心少しホッとしたのだが・・・・・・。 そうしている内に(K)のお連れさんご夫婦が帰り、彼を残し、「実は(K)さん・・・、折角再会出来て通ってくれるようになったのに申し訳ないんだけど・・・・・・」と、店を閉めざるを得なくなった事を打ち明けたのだ。
それからはコマキやダウアーを含め、(K)さんが母との経緯や昔のエポックの様子などを語ってくれ、みんなで70年代の洋楽のポップスなどを歌いあい、良い時間が流れた。
あんなに待ち望んでいた(K)さんが6年のときを経てやっと来てくれ、しかもあんなに気に入って通うようになってくれたのになぁ・・・・・・。 アタシってなんてタイミングの悪い人間なんだろう・・・・・・。
昨日はそんな事を一人ごち、ため息を吐きながら店の看板を消した。
2011年02月12日(土)
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