マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 【エッセイ】 自殺への序曲 著者 岡崎里美(りみ)によせて


中学2年の時、一学年上の親友(S)と盛り場デビューを果たしたアタシは、毎晩のように二人で新宿の歌舞伎町近辺をフラついていた。
彼女も母親だけ、アタシも母親だけ、家も近所で鍵っ子だったアタシ達は直ぐに仲良くなった。
アタシの母はスナックを営み、彼女の母は芸者をしており、互いに夜は母親が居ない事を良いことに、家をすり抜けては何の目的も無く新宿をフラ付いていた。

当事の新宿はヒッピーやらフーテン族やらがあちらこちらでタムロし、所々でシンナーの匂いがし、ハードロックが流れ、サイケデリックでエキセントリックなあのゾーンへの入り口は、アタシ達少女にとって子供から大人に抜けられるトンネルのようにも見えた。
一度くぐったら元には戻れないかも知れない・・・。どこかでそんな不安と予感を感じながら、アタシ達はそのトンネルの中に迷い込んでいった。

街を歩けば直ぐに誰かと友達になり、ナンパ目的の男達に散々奢ってもらってはタイミングを見計らい逃走する・・・なんて事は日々のゲームのように行い、たまに天罰で危険な目にさらされそうになる事も有った。
そんな時にアタシ達を助け、本気で叱ってくれた一人のヒッピーに連れられて行った店が西武新宿駅近くの辺鄙な場所にある【ルナ】と言うアングラ喫茶だった。

その店は16歳〜28歳くらいまでの男女を混ぜた10人ほどのヒッピーグループの溜まり場で、みんなのアジト的な店になっていた。
アングラ劇団の女優の卵・アクセサリー売り・ミュージシャン・画家の卵なんかが居て、みんなはアタシ達の事を即座に受け入れてくれた。
それからアタシ達もその店の住人になり、毎晩毎晩その店に集まっては深夜遅くまでダベっていた。
そのグループの中の一人が岡崎里美だ。

当事彼女は16だったはずだ。
長めのマッシュルームカットに大きな目を持つ彼女は、小柄で愛くるしく、アタシと同じくらいか年下に見えたくらいだ。
いつも薄暗いテーブルで、ノートを片手にコークハイを呑みながら詩を書いていた。
時々良い詩が書けると「ねぇマキ、読んで読んで〜」と持って来ては「どう思う?」と聞く。
「ステキな詩だね」と言うと「何処がどうステキに感じる? それを教えてよ」と少し挑戦的でいたずらっぽい目をクリクリさせながら聞いてくる。
(猫みたいな子だなぁ・・・・・・)アタシは彼女にそんな印象を持っていた。

出来るだけ丁寧に彼女の詩の感想を告げると、彼女は満足そうにウンウン呟き「マキはアタシの言わんとした事がちゃんと解ってくれてるね〜」とアタシを抱きしめ、頬刷りをし、飲み物を奢ってくれるのだ。

家にも学校にも居場所を感じられなかったアタシ達は次第に【ルナ】にのめり込んで行った。
その場所だけが唯一心が安らげ、人が自分の存在を感じてくれ、愛されていると感じられる場所のような気がしていた。

一年後、親友(S)の高校進学とアタシの引越しを期に、アタシ達は離れ離れになり、自然にルナからも足が遠ざかり、更に数ヶ月経ったある日・・・・・・。
リミの父から電話があり、彼女の自殺を告げられた。

彼女の追悼会は彼女の父が経営するDORIと言うカフェバーで行われ、久々に集まったルナのメンバー達と彼女の死を悲しんだ。
なぜか偶然その中にアタシの従兄が居て、彼女の交友の広さと彼女の人懐っこさと彼女のやり切れないほどの寂しさなどを改めて知る事となった。
その数ヵ月後、彼女の父からリミの遺書が本になったと言う添え書きと共にこの本が贈られてきたのだ。


【ルナ】に集まっていた仲間は、きっとみんな子供の頃から魂に同じ色を持っていたのかもしれない・・・・・・。
常に何かに絶望し、常に何かに違和感を感じ、常に何かに飢え、常に何かで寂しくて、虚無感や孤独感や一種の諦めの中で、それでも何かが見つかると思い、必死で彷徨っていたあの時代・・・。
そんな迷子たちがルナと言う一つの店に集まり、一つの時代を共有し、ひとたび心を通じ合わせ、チリヂリに散っていった・・・・・・。
あのルナでの時代は、アタシの中に未だ根強く鮮明に焼き付いている。
もしかしたら生涯の中で最も居場所を感じられた時代なのかもしれない。

アタシの中のリミは今でも17歳のままだ。
あどけなく人懐っこく、いつも優しかったあのままのリミだ。
アナタのアカンベーをした遺影のあの顔、今でも辛くなるたび時々思い出すんだわ・・・。
「や〜い、や〜い、ヒョイと垣根を越えて早くこっちへ来てみやがれ〜♪」と挑発しているようにも思えてね・・・。

誰が行くもんか・・・。
行けたらとっくに行ってるさ・・・。

アタシはあの頃と同じ虚無感や焦燥感を抱え、何の成長も進展も無いまま、そっちに行く勇気も無く、こっちで生きる自信も無く、もう52歳にもなってしまったよ・・・・・・。
今リミは何処でどんな事をしているのかなぁ?
そっちは本当に楽園だったの?

人が自殺を選ぶのは、重い病気や苦痛を苦にする場合は別にしても、きっと現実に起きている苦悩や置かれている状況に絶望するからではないのだとアタシは思う。
毎日どれだけの人が自ら死を選んでいるかは知らないけれど、きっとみんな自分自身の無力な存在自体に深く絶望するからなのだ。

昨日、ふとリミの事を思い出し、もしかしたら・・・と思い検索を掛けてみて、長年封印していたリミの遺書を久々に読んだ。
泣けて泣けて仕方が無かった。

http://art-random.main.jp/samescale/017.html

リミはあちらを選んだ事を後悔はしていないのだろうか・・・・・・。



ある女性がリミの死に付いてご自分のサイトでこう書いてあった。
http://www6.cds.ne.jp/~haga_ken/OLDTEXT/Y04/text0412A.html

いちにちに80人が、みずからの命を絶つというぢだいに、わたしたちは生きています。
死んではいけない。生きていれば、いつか幸せになれる。
そんな言葉が叫ばれてもいますが、わたしにはそれは、ひどく虚しく、かえって人々の心を不安に陥れる、こどもだましな言葉のようにも聞こえます。

肉欲でもなく、金でもなく、ただぢぶんの居場所を探すために生き、そして疲れ果ててしまったしょうぢょ。かのぢょにとっては、そんな彼らの言葉よりも、冷たい風の音のほうが、まだ心に安らぎを与えたことでしょう。


アタシも彼女に深く共感する部分がある。
又生きられると思う垣根と今日までが限界だと思う垣根の間を何度も人間は行き来するのだろう。
それを超えた人と超えられないで居る人とどちらが偉く人間として正しいのか、アタシには未だに解らない。


2008年02月20日(水)

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