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2005年09月13日(火)
言葉は神であった

日曜日は選挙行って午後は母と映画見てきました。うちにチケットがあって、でも今いかんかったら母はすぽんと忘れるのではないかと思い誘ったのでわたしはカケラも期待してなかったのですが。もちろん期待していなかったからというのもあると思うのですが。
たぶん生まれてはじめての、なんの不満もない映画、でした。私は映画にはかならずこれがいかんあれがいかんを言わずにおれない人間なのですが。
味は薄かったですしおそらく万人に好かれるものではないのでしょうが。なんていうのかなあ、過不足のない。というのは完璧をあらわすのだ、と思ったね。

こちらなわけですが

んー。一人の女性の生涯を描いた映画、というのが無難なんだけど私にはもうこれは映画ですらないというか、万人に宛てたごく個人的な手紙というか。比喩ではなくて。言葉は神であった、とか、言葉は人となった、とかいうけど。そういうことであって。
たぶん見る人いないと思う(爆)のでねたばれるけど念のため反転(微


「あなたは神に選ばれたと?」
「いいえ、私は神の手に握られたえんぴつに過ぎません」

こうした映画は鉛筆のことを書きがちだ。すばらしい素材、握り心地、この発色!
でも問題はそんなことではなく、それを持つ手は何を思うのか。その手は何を書いたのか。
この映画は、鉛筆の筆跡をおってそれを読み上げたもの、という感じ。書かれていたのは真理。
行いも人柄も、そんなことはささいなこと。


いままでこんなに祈りと信仰に力があることをはっきりと描いた人による作品はなかった。すくなくとも私は見たことがない。
地味な映画できっとほとんどの地域では公開していないかもう終わったかだと思うのだが、これはなんか…もうなー。
ブレイクはしないだろう。公開延長もないだろう。でもわたしこれ見てもいいよって言うひといたらお金出してあげたいよ。それでもいいくらい見せたいよ。まじで。
ぜったい楽しめるとか感動するとかそういう話じゃないんだ、地味すぎて泣き所はいちどきりで一瞬でそれも激しくないんだ。
それでもそんなイロいらない。
過不足はない。
なにも足さなくていい。
なぜならこれが完璧だからだ。

*

某さんとこの日記で「いままでにいちばん影響を受けた人は?」というのを見た。
えーだれじゃろーと思ったらこたえがすごく簡単だった。のだじゃ。
絵を真似した人とか演技を真似た人とか、発声の仕方を盗んだ人とかたぶんいっぱいいるんだけどいってしまえばわたしとかかわる誰ひとりわたしに影響を与えずにいるということはありえないわけで、100人いればわたしは百人からその大小にかかわらず影響をかならず受けている。
けれどこんなに長くこんなに強く根深くわたしがはなれられない人間はいない。わたしこのひとに関しては「人生変えられた」と言ってしまう。わたしが初めて知った天才。紛れもない、本物の。

上記の映画とは違って、台詞は間違えるし芝居壊すほどテンション高いし顔合わせには遅刻するし最近日の丸つかいすぎでちょっとうざいしいつも不満のないことのない彼の芝居だけれどそれでも私はこのひとのつくるものがほかのだれのものよりも好きだ。わたしの中にある芝居の、演技の、舞台の、言葉の、美しさの、リズムのスタンダードはこのひとにある、きっと。
彼の言葉を知らずにいたらわたしはどんな文章を書いていたのだろう、きっといまより更に、もうくらべられないほどに、愚にもつかない、目も当てられないようなものを。きっと。

*

かえりしな、マホメの言葉を思い出す。おまえの好きなアメリカのムービーのように、ヤマト。どうしてガムが噛めるの?コーラが飲めるの?ハンバーガーが食べれるの?まだ一年しかたってないのよ、あれから。
ものをすぐなくすまかべさん、なんと文学界が見つからない(爆)ので台詞が定かではないのだがこの台詞を呟くだけでなみだがでてきて、わあ、なくのってかんたんなのね、と思った。演技を変身願望といったのはどこの誰だろう。そんなひともいるのだろうか。

*

オイル評判悪いなと思ったらこの台詞が芝居自体のメッセージにとってるひとが多いのか……わたしはマホメとが醍子はおろかさの象徴だと思ってるからなー。ものがたりの百パーセントを使って叫んでいる言葉が、作家のうちでは「どうだ、愚かだろう?」っていっていることなんてざらだ。もちろん私は野田ではないので事実はしらない。彼はハンバーガーもガムもコーラももう口にしていないのかもしれない。

ありえねえ。