ぼんやり日記
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2002年12月24日(火) ジョー・ストラマーに花束を

このニュースを知ったのは23日の夜。
イギリス時間22日、The Clashのリーダーでヴォーカルだった
Joe Strummerが自宅で心臓発作で死亡とのこと。

ジョーと無縁の生活をもう何年も送っていただけに
きつねにつままれたようなニュースだった。
私が知らなかっただけで、彼は新しいバンドを引き連れて
ここ数年続けて来日していたという。

きっとジョーはもう人生をリタイヤしているんだろう、そう思っていた。
それまでの、余りに激しい人生で神経も体もすり減って
とてもまともな状態とは思っていなかった。
だからこそ現在のジョーの情報を探す気にもなれなかった。

ところが今回、慌ててネットで彼の消息を調べていくうち
彼はきちんと前を向いて生きていた事を知った。
私なんかよりずっと前向きに。

相変わらず彼を身近で感じた人々のコメントは、彼への愛情で
満ちていた。
どれだけ裏切られ人間関係で傷ついた経験をもっても
彼はどうして人を信じるのだろう。受け入れ続けられたのだろう。
もちろん彼を愛する人たちがたくさん周囲にいたに違いないのだけれど、
私みたいにすぐ閉鎖的になる人間は、彼の器の大きさの前に
羨望と敬意をこめて立ちすくむだけ。

今日、立ち寄ったショップでクラッシュの輸入CDが平積みになっていた。
ちょっと迷ったけれど買ってしまった。(パパごめんなさい)
“LONDON CALLING”
聴いているうちに、もちろんレコードへの思い入れ、思い出もあり
自分が予測していた以上にたくさんのものを、このレコードから
(まあCDなんですけど)吸収している。

ヒロトが「ああ やさしいから すきなんだ」と歌ったように
クラッシュの、ジョーの音楽は優しい。すごく優しい。
そして真っ直ぐで強くて、鋭くて、か細くて、痛い。痛い。
でもクラッシュの凄いところはその上に暖かい。
熱いのはもちろんだけれど、寒い日に暖炉の前で暖まるように
あるいは暖かい毛布にくるまるような暖かさがある。
でも、そういう居心地の良さだけではなくて
いっぱい問題提起をしてくれる。
その驚きと痛さといったら、私はジョーを通して社会にある
いろんな矛盾に目を向けるようになった。
ジョーの音楽を聴かなくなった今でも未だ模索中。
そういう意味で、ジョーは私の中に生き続けているといえるだろう。

いろんなミュージシャンの悲報を聞いたけれど
お墓まいりまでしたいと思う人はいなかったな。


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