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『贈られた手 家族狩り第三部』 天童荒太 新潮文庫 - 2004年06月30日(水)

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『幻世の祈り』
『遭難者の夢』

いよいよシリーズも第三部となった。ますますシビアな世界が繰り広げられて行くが少しづつ変化が見られる点は決して見逃してはいけない。

ぼんやりとではあるが固まりつつあった主要登場人物のアウトラインが少しづつ変化しつつある点が読んでいてわかる点は嬉しいかな。

例えば恋人と距離をおいていた巣藤はかつての教え子とふれあう事によって少しづつ人間らしさを取り戻して行く。

本作の魅力ってなんだろう?
社会派的要素は当然のこととして、物語レベルで論ずると私は主人公三人の苦悩が同じぐらい突き刺さる点が特に素晴らしいと思う。
まるで三つの物語を同時に読んでいるような気がする。
他の読者の方はどうなんだろうか?

とりわけ“明らかに三人の中でいちばん大人になりきってない感の強いというか精神的に弱そうである”浚介の今後を特に気になりつつ読まれてる方も多いと思う。

絶対に目をそらしてはいけない点は、主人公三人ともに今を懸命に生きている点。
三人三様でそれぞれに本当の生きがいと言うものを見失っているようにも見受けられる。
というか、総じて不器用なのかもしれない。
きっと読者は自分の弱い部分を主人公に投影されて読まれてるのであろう。

ただ、現実に立ち向って行こうとする点は見習うべきというか賞賛に値することを決して忘れてはならない。

第一部の感想で重松清の作品との違いを述べたが(私自身重松さんの大ファンなんで)、もう少し補足したく思う。

重松清の作品には愛情を持って子供に暴力を振るう親は登場するが、子供を虐待する親は皆無である。

天童荒太は作品を通して“社会の厳しさ”を教えてくれる。
重松清が“人生の厳しさ”を教えてくれるように・・・

重松清の作品を読めば避けて通る事の出来ない“人生の苦楽”を体感出来る。

が、天童荒太は得るものが2つあるような気がしてならない。

まず、天童荒太の作品を読むと“グローバルに世界を眺める”ことが出来る。
同時に“人間ってこんなにもろいものなんだ”とひしひしと伝わって来るのである。
まさしく“表裏一体”という言葉がぴったり当てはまるんじゃないかな。

きっとそのもろさって“人間の本性”の一番根元にあるものなんだろう。

結論づけると、重松清の作品は主人公に読者が成り切ることができる(というかそうあるべきである)、天童荒太の作品は社会全体から主人公を見守ってあげなければならないような気がする。

そういう意味合いにおいては天童作品の方が読者に対してハードルが高いのかもしれない。


物語は脇役を中心に少しづつ動いてきた。
今回のラストは馬見原の妻佐和子の突然の暴挙。
果たして麻生家と実森家の事件はどうなって行くのだろうか?
油井の動向も注目だが、馬見原が研治に対する、あるいは游子が玲子に対する想いって“肉親の愛情を超えた想い”なんじゃなかろうかと胸に突き刺さった。

天童氏の筆力を持ってすれば、どうにでも展開させることが出来るであろう。

あと2冊読み終えた後、大きな感動と教訓をゲット出来る事を信じて本を閉じたことを最後に書き留めておきたい。

評価は全5巻読了後  
2004年63冊目 (新作45冊目)


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