ジンジャーエール湖畔・於
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韓流スターの来日に一日中待ったり写真とったりしてる日でした。(仕事で、ですよ) 1200席の会場が満席となり彼一挙手一投足をみつめてる。 2400の瞳が彼をみつめてる。 どんな気持ちなんだろう。怖いかな。こわいだろうな。 自分が登場したら「ギャーッ!!!!」て叫ばれるってどんな気分なんだろう。 私ならおどろいて泣くかも、おしっこもらすかも。 イ・ビョンホンはその点ではすごいせいしんりょくのもちぬしだ。 笑顔がはりついていてマネキンみたいだった。でもいやな人じゃなさそう。 自分のしごとをまっとうしてるって感じがした。
眠れない病気もあるが寝すぎてしまうのも病気らしい(ナルコレプシーとかではなく)。 最近毎日12時には寝ているのに10時まで起きれないのはなにか問題があるってことなのかな。 ものの本には、眠りには体力を回復するためのものと、精神を回復するものの2種類の効能があるという。 睡眠時間が短くても大丈夫な人の多くは自我が強固で対外的に頑丈な人が多いという。 そういう人にとっては眠りは体力の回復がなされれば十分でそんなわけで短時間でも平気だという。 そして自我があいまいな人ほど体力と精神両方の回復が必要なためより多くの睡眠が必要になってくる。 すなわち自分は繊細で傷つきやすいから日中外界から得た打撃を回復するために朝もおきられないんです。 とかそういうことをいいたいわけではない。 自我の話で最近よく思うのは自分の自我のなさ。 自我といっていいものかわからないけど、あまりの無頓着さ信念のなさ譲れない所のなさ等もろもろのこと。 自分と真っ向に対立する考えや嫌悪を感じる出来事に対してもなにかと寛容になった。 それは許容できる心のめばえであり精神的な成長とかで「大人の態度」といえるかもしれないけど そうした「大人の態度」にこそ最もいやな嫌悪感を感じることもある。 なんでも事なかれ主義で、事実をみることをせずその場だけをまとめようとすること。 自分の無頓着さはそんな傾向に片足つっこみはじめている証拠かもしれない。
たった一、二年で、3ヶ月でも、3日でも人はがらっと変わることがある。 昔はここに書きたいこと、書いておきたいこと、思うことが一日の中でもたくさんあった。 今は何かを感じても、感じている自分にきづかずにそのまま頭が止まったまま時間が流れている。 ときめきを実感できなくなったら人の生は即座に静脈弁にト音記号がとどこおったものとなる。 古本屋にいく回数が減ったせいか本も読まなくなってしまった。
最近のときめいたものリスト 山本直樹の「破壊」 福島聡の「6番目の世界」 くらもちふさこの「月のパルス」 松田奈緒子の「レタスバーガープリーズOK」もよかった。 トッド・ソロンズ「おわらない物語」 山下敦弘「リンダリンダリンダ」 キム・ギドク「空家(3-irons)」(ときめいたというか呆れてひっくりかえった)
新宿武蔵野でみたパク・チャヌクの「復讐者に憐れみを」もすごかった。 恋人殺害の容疑をかけられたシン・ハギュンが恋人の遺体が移送されるエレベータに何食わぬ顔でもぐりこみ 誰にもきづかれないようにそっと彼女の冷たい手を握るシーンが! その他にもゾッとするシークエンスがいくつかあって、 隣家から聞こえてくる女性の喘ぎ声に興奮しているボンクラ男たちのショットのあと、 カメラがその隣の部屋にスライドしていくとそこには艶めかしい嬌声ではなく 不治の病に冒され肉体を蝕まれる女性の痛々しい悲鳴であったことがわかる、 さらにその女性の弟であり無類の姉思いの主人公は同じ部屋にいながらも、 聴覚障害であるために背後で叫ぶ彼女の悲鳴に気付くことなく ニコニコと姉のために料理をつくる という一連のシーンには背筋がぞーっとする位の美しい絶望を感じました。 人と人とのディスコミュニケーション。
おととい、事務所の女の子から子猫と子猫がチューしてる写真がプリントされた使い終わったメトロカードをもらった。 この世で一番かわいい光景です。 子猫と子猫がチュー・・・・ 人と人はわかりあってると思ってもほとんどが勝手に生きているから わたしはこの子猫と子猫の間にはさまって両側からチューされたまま眠ってしまいたいです。
(梅酒ロックで酔っ払いながらキーボードをうっています。)
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